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へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2009-09-29 10:12:33 | Weblog
相性の善い楽器は、弾き続けても疲れず、音色に飽きず、いつまでも響き応えるのでオイラの方が引き込まれる様である。つまり、楽器が自然に唱う訳である。マァ、今回の楽器は自己修理古楽器だが、とにかく鳴るというか「唱う」訳だ。有名で希少で大変高価で古いクレモナ製の三大バイオリンが名手程の力量がないバイオリニストでも驚嘆の音色を響かせ、更に名手ならば魔術の如し響きで唱うというのも真実であると確信しているのは、今此の名器を弾いて判る。こう為ると、更為る名器を弾いてみたいと考えるのは自然であるが、買える金額ではない。大体、名の通るギタリストが持つ楽器は五百万円以上である。希に、アマチュアで収集家の方がそういう名器を数多く所有していて、何かの機会に恵まれ弾かせて貰うがオイラはそれで充分である。今此処に在る楽器ですら店に来るギター弾きのお客さんが弾いたら驚嘆する音色である。昨夜も、そんなお客さんが見えて値段まで聞いていって驚愕していたのだ。音色に驚嘆し、値段に驚愕した訳である。その後に、ピアノの先生が来店
したのだ。帰り際に一言「こういう趣味からこの料理なんだっ!」である。
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へんな洋食屋

2009-09-29 10:12:22 | Weblog
畏れ多くも、店内にオイラ直筆の作曲譜面・編曲譜面が無造作に置いてある。週始めに来店してくれた常連さん、常連だから10年越えのご夫婦だが、先日はイベントのスタッフ打ち上げで食事。で、前回食べたヒレステーキが気に入り昨夜はご夫婦で来てくれた。取り巻きが居ないので前回の大勢さんのお礼旁デザートをサービスして会話である。其の奥さんは、以前からオイラの譜面が気に為っていた雰囲気がある。先日のイベントは何なのか?を尋ねると発表会だとの事。「ふ~ん」と感じながら商売人の直感が走る。手を視る、爪を視る、腕を視る。直感は確信に変わる。鍵盤楽器の教授者だっ!再度、確認を含ませて尋ねるとやはりピアノ教師だ。主宰するピアノ教室の発表会だったのだ。オイラは、ご夫婦と店内譜面をチラチラと観る。心中で赤面した。畏れ多くも恥ずかしくも、先日の打ち上げ会ではオイラの譜面の目の前で食事をしていたのである。未だ、其のご夫婦の前でギター演奏をした事が無いのがせめてもの救いである。大概は、ご主人と車の話をしていたのだ。其の
ご主人、車好きとは言うもののフランス車専門、しかも「シトロエン」専門である。

へんな洋食屋

2009-09-29 10:12:12 | Weblog
有り難いモンで、昨日の臨時休業で定休日以外滅多に休まない為に業者や来店予定のお客さん達から「昨日はどしたっ?何か起きたのか?」と連絡を頂いた今朝である。有り難いのだが、其の都度その都度いちいち脱腸を説明するのも難儀である。が、喋っている内に説明も上手く為り簡潔明瞭な説明会に為ってゆくのが判る。医者並みである。脱腸専門の医者並みである。で、心配を気遣う方も居れば、気の毒がる方も居れば、半月の休業で納品が滞る事で自分達の売上を心配する方も居れば、それぞれの利害人間模様も感じ取れる。来月、実際にどう変化するのか?も楽しみであるが、オイラ本人は脱腸という病を得て暫し休息を頂き再生して行くという希望と明るい未来で居る訳なんだけど。しかし、脱腸という病を得ての「病を得て」よく使われる慣用句だが、誰しも病は得たくはない。つまり取得した訳だ。だが、進んで取得したのではない。得てとは、「得ーとく」だが、なーんも得はしていない。むしろ、休業や心的感情、経済的、入院手術費用、休業に因る収入減、回復再生までの
趣味や技術の遅れ等々ドチラかと言わずに「損」なのだ。病を得てなーんて言っている場合ではない。しかし、病を取得したからには其を活かして様々を見詰めて生活するしか無い訳である。何か複雑な心境だなっ!

へんな洋食屋

2009-09-28 08:12:29 | Weblog
手術日までの20日間の日々の過ごし方、休日の過ごし方をどうしようか?気の早いオイラは、もう思案している。マァ、無理をせず、重量物を持ち上げず、走らず、長散歩も避け、腸を冷やさず、力まず、心健やかにしっとりと暮らす。何やら、枕草子的な生活を心掛け、腸に負担の無い消化の良い食生活にして暮らす訳だ。もうこう為ると拝聴する音楽なんかもリズミカルで体を揺さぶる様なアップテンポの曲を避けて、バロック音楽やウインナワルツやカンタータの様な宗教音楽など幽玄、静寂な心洗われる音楽を聴こう。睡眠前の読者も笑いの種の多い雑文や随筆を避け純文学や古典物で心健やかに就寝に至ろう。休日の散歩も、バイク遠乗り散策や半日掛けた大散歩を避けご近所再発見散歩、つまり隣の庭の眺めや近くの大岡川の桜の葉の散り際眺めで人生の儚さを憂い、家の前の公園の銀杏の葉の落ち様を嘆き、自らの枯れ果てと再生で輪廻を味わい暮らす訳だ。とはいっても「脱腸」だから人生の末期じゃない訳である。が、しかしそういう思案の機会を何かの力が与えてくれた
モンと受け止めている。此の機会を無駄にせず豊かな心で過ごしたいモンである。

へんな洋食屋

2009-09-28 08:12:16 | Weblog
都合によりとか、急な用事が出来ましてとか言えないし。何て事はない、先生パンツの横から手を突っ込んでハイッ終わりっ!で、大病院への紹介状作成であった。但し問題は其の次だ。待合室の出来事である。へんな洋食屋のお客さんが四人も居てマァ挨拶はする。直後1人「どうしたの?風邪?整形?内科?胃腸科?肛門科?」と矢継ぎ早の質問である。観念した。「脱腸だって」一呼吸置いて(何故一呼吸置いたのかは知らないが)大丈夫よっ!とか、手術も簡単だしとか、癌でないんだからとか、同じ脱腸に為ってもいないのに慰め励ましてくれたのだが、何と無く合点が行かない。マァそうは言っても観念したんだし、覚悟も決めたんだから恥ずかしがっても仕方がない。大威張りで「脱腸です」「脱腸人です」と言って退けた。此れと同じ事を紹介先の近くの大病院でも繰り返した。だが、看護師さん達は更に数多くしかも更に若い。やはり困った訳だが、三倍程度困った。

へんな洋食屋

2009-09-28 08:12:08 | Weblog
急な話だが、店の看板「本日、都合によりお休みします」と為った。ブログで書きずらくも在り、恥ずかしくも在りで中々病院にも行けなかったのだが、本日は25日で以前も書いたが月で一番暇な日である。で、何故に臨時休業かと書けば目の前の病院に行って、其の足で大病院への紹介状をもらい出掛けレントゲン撮影~採血~心電図と立て続けに検査を受け大金6240円を支払い店に帰れば一時であった。更に、来月15日の入院、翌日の手術と段取りを組まれちょっとなショックも頂き、本日の営業に踏み切れない訳である。サラダもライスもデイリーランチも支度を済ませたのにである。でもでも、午後には銀行も来るし食材屋も来るし米屋も来るし三時まで待ち帰宅。病名は「鼠径部ヘルニア」つまり脱腸である。これがまた診察の際に困る訳だ。要するにアソコの10センチ左だから、ややもするとアレが出てしまう。先生には、まだいい(診られても男だ)が、看護師さんが若い女性なのだ。マズイッ!診ちゃ駄目っ!とは言えないし手で隠すのも何だ
し。何だしというのは自慢・自信作という訳ではないからなっー!困った。

へんな洋食屋

2009-09-27 06:44:17 | Weblog
昨日、新たに弦を張り、一年半振りに使用し始めた自己修理ギター。陽気も湿度も丁度良いせいもあり、素晴らしい音色である。未々、弦の納まりはしていないのだが弾き始めから劇的な音色を出す。三ヶ所もの割れの修理、それも自己修理にも関わらず見事な音色だ。ふと思ったのが、10人位来店してくれるギター弾きのお客さん。多分、此の楽器の音色は初めてだから恐らく驚くだろうなっ!是非に弾いて貰いたいっ!古楽器の凄さを感じて欲しい。腹に響くズシンとした空気圧、艶っぽくも枯れ果てた音色、音の立ち上がりの速さ、古楽器の佇まいである。25年位前に大枚叩いて買った楽器である。其の時点で30年程経過をしているから今ではオイラよりも五歳年上である。初老の円熟の入り口であろうか?つまり味である。
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へんな洋食屋

2009-09-27 06:44:08 | Weblog
昨夜は友人で役人が、暇ながら来店。お土産付きである。役所の際で収穫された「苦瓜」だ。沖縄料理には不可欠な食材だが、オイラは未だ扱った経験がない。姿・形・匂い等で判断すると茹で溢しか、油炒めが適するであろうか?と家に帰り文献で調べると豚肉合わせの炒め料理に適する訳だ。しかし、凄い姿・形というか、姿勢というか、佇まいというか、初めての食べた人間を尊敬する。若しくは、かならの空腹にて仕方無しに食べたのだろう。初めての経験では、いきなり油炒めや茹で溢し、蒸し焼き、漬物、卵とじなんて考えもしないだろうから生のまんまかじったに違いない。此の苦さを毒や薬とは思わなかったのか?それを、油炒めや卵とじ等と食に導いた人々も凄いし、栽培し出荷し産業にまで発展させた方々にも感心するなっ!失礼な話だが、オイラは初めて見た時は、農薬や枯葉剤かなんかでのキウリの異常変形だと思い、触るどころか近寄る事も出来なかった。ましてや、食べるっ?なんて思いもよらず衝撃であった。其れが今では、役人が役所の片隅の菜園でハサミ片手に
収穫にいそしみ、配り歩いている訳である。オイラの家庭では未だ見詰めている。

へんな洋食屋

2009-09-26 07:09:54 | Weblog
ギターを入れ替えた翌朝から暇さえ有ればの調弦である。早速、仕込み前に一度。伝票整理中に一度と、弦の落ち着きを待つ迄かれこれ10日間程度であろうか?調弦に縛られる。又、楽器も交換しているので其れはやはりそれぞれの特性に応じた爪の手入れやギターを抱く姿勢に捕らわれる。つまり、クラシコギターは手工楽器の場合全く同じサイズ、厚み、重さ、音色は勿論、タッチが異なるので何年か振りの感触を取り戻すのに時間も必要なのだ。今では、五本の楽器を三ヶ月おきに使用しているから一年半振りの感触である。自己修理後、初めての弾きこなしだから楽しみでもある訳だ。調弦に至っては、曲毎どころか曲中に音程が下がるので長丁場の曲は一服が必要である。
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へんな洋食屋

2009-09-26 07:09:47 | Weblog
次に起床したのは夕方の五時半であった。やはり、何と無く下っ腹がゴロゴロしての起床である。何もしない休日というのも何だし、だからと言って散歩はヤバい。で、三月に一度のギター交換をする。三ヶ月に一度はギターの弦も些か消耗し何時なんどき切断という事になっても可笑しくないので、この際ギター本体も交換する訳である。今回の楽器は、去年に自己修理した楽器である。表面板と裏板の亀裂を木工パテで埋め漆で固める修理方法にて行う。今日其の楽器をケースから出すと修理場所は完全に固まり亀裂に因るきしみもブカブカ感も感じられず「善し」として弦を張る。まあ、一仕事が済んだ事で休日をナマケモノの如く過ごさずに済んだという事で満足である。