へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2007-09-30 08:27:26 | Weblog
勿論オイラにだってコダワリが有りしかも強い。今までは、オイラ流を通していたが薄々感じていた「想いあふれて」を自身が実感して以来、字の如く「相対する心あふれて」と解釈したら、何とか皆さんの想いに応える姿勢を身に付けたいと思う。世の中の様々な成功者は、その時代の人々の想いに応える姿勢を持っているのだと思う。気付いたのは遅いがこれからその姿勢を築きたい。自分の想いが溢れる事を知れば、相手の想いも溢れる事も理解しないといけない。全ての「想いあふれて」に応えようもないが努力して気付きたいし築きたい。

へんな洋食屋

2007-09-30 08:27:15 | Weblog
そのニーズで一番難しいのがライス、注文で何が一番多いかと言えば、食べ物屋では当然にご飯。これがまた、皆さん歯が生え始めて以来食べ続けているからそれぞれにコダワリがあり、固い・柔らかい・モチモチ感等と全てには応えようもない程にニーズがある。パスタなんかは外来だから、アルデンテが一番という概念があるから押し付けられるがご飯はそうはいかない。様々な炊き方が出来れば良いのだろうが物理的に不可能だから、保管・精米・研ぎ・浸水・蒸らしの五項目をキッチリと管理することで理解を得ている。コダワリの最足るものだ。

へんな洋食屋

2007-09-29 20:42:02 | Weblog
そしてその想いがあふれて「コダワリ」を形成する。途中で信念も造られる。良いか悪いかはそれぞれだが、とにかく形成される。そして形成された信念を変換しなくては成らない状況に出会った時に「コダワリ」という石よりも固い信念を打ち崩す事が大変。更成る想いがあふれてこないと無理です。今オイラがそんな状況に陥っている。「コダワリは、儲からない」である。想いあふれても相手の人数がおびただしければ、相対する想いが通じ合い儲けに繋がるだろうが、今は景気も左右しおびただしい数ではない。ニーズに応える事も大切だなっ!

へんな洋食屋

2007-09-29 08:24:48 | Weblog
そしてその想いがあふれて「コダワリ」を形成する。途中で信念も造られる。良いか悪いかはそれぞれだが、とにかく形成される。そして形成された信念を変換しなくては成らない状況に出会った時に「コダワリ」という石よりも固い信念を打ち崩す事が大変。更成る想いがあふれてこないと無理です。今オイラがそんな状況に陥っている。「コダワリは、儲からない」である。想いあふれても相手の人数がおびただしければ、相対する想いが通じ合い儲けに繋がるだろうが、今は景気も左右しおびただしい数ではない。ニーズに応える事も大切だなっ!

へんな洋食屋

2007-09-29 08:24:40 | Weblog
時間を掛け踏ん切りを着け始めた事柄は、おそらく熟考した訳だから、つまり熟して想いあふれて始めたんだから研鑽も惜しまないし、頭を下げて教えを乞うのも苦ではなく、調べたり考えたりすることも楽しんで行える。だから、巧くなるし益々楽しくなる。誉められる事だってある。それが益々楽しくするし、巧くも成る。限度がない進化が望める訳だ。そう思うと「想いあふれて」という言葉の意味は、なんて素晴らしいんだろう!想いあふれてくるからこそ、人生も生き様も変えられる。その「想い溢れる」何かを探し実行することが大切だなっ!

へんな洋食屋

2007-09-28 08:30:16 | Weblog
何かをやりたいという衝動、重大な事ばかりで無くホンの些細な趣味だって、これやってみたいなっー!と思う事有るでしょ?その想いが溢れると実行です。そして想いあふれて行う事柄は飽きがないし永続します。オイラは、今まで百にも及ぶ趣味を行ってきたが想いあふれて行った趣味は僅かです。その趣味はやはり今も続いている。オイラの場合、想いあふれる迄時間が人よりも必要。想いの器が大きめなのかナカナカ溢れてこない。だから、取っ掛かりが人よりも遅く出遅れる訳だ。でもねっ!生きざまは比べるモンでは無いからコツコツ続く。

へんな洋食屋

2007-09-28 08:30:09 | Weblog
ある方と音楽の話、オイラは長年に渡りギターを弾いていますから色々なジャンルをこなせますが一応好きなジャンルを聞いてその代表的な曲を弾く。依頼の方の想いがある筈だからだ。で、オイラはアレンジを加え即興的に弾く訳だから当然にオイラのその曲に対する想いが有るんだなっ!すると、その方とオイラの想いが重なり想いの器から溢れて話題は弾む。つまり、「想いあふれて」だなっ!相対して想いあふれて感動を呼ぶ。人との縁も深まる。想いという字は、相手の心と書いてあるんだからその心使いを表す事で溢れてくるんだなっ!

へんな洋食屋

2007-09-27 08:32:54 | Weblog
結局、コダワリの罪悪感を打ち消そうと努力を重ねている訳なんですがナカナカ巧く打ち消せずある結論に至った。「想いあふれて」だなっ!そのモノ・姿・形に想いが有りしかも溢れる程の想いの為にコダワリに成っている。そう思ったら美しいではないですかっ!想いあふれて固執して追い掛け長年に渡り追い求め縁を切らずにいる。美しいではないですかっ!只ねッ、それが商売だと儲からないんだな。だからと言って曖昧な結果でお客さんに渡せないでしょ?代価は金銭だし、お客さんだって想いがあって来てくれている筈なんだから。想いです。

へんな洋食屋

2007-09-27 08:32:42 | Weblog
さて、絵を始めるに当たり道具なんですが、オイラの信念としてお金を掛けずに行うというのがあるので子供達それぞれからペンと絵画ブックを貰う。勿論、使い余りだっ!思えばその昔、大作家でさえ買えなかった画用紙。二十年前に求めたピカソの素描は、紙の切端でした。でも、その切端に生活感が溢れている。素描そのものよりも存在感が溢れている。つまり、絵に対する「想いあふれて」である。「想いあふれて」とはなんて美しく素晴らしい言葉であろう。これからオイラの信念の一つに加え事有る毎に使いたいっ!心の表れだからです。

へんな洋食屋

2007-09-27 08:32:29 | Weblog
只今計画中の新趣味がある。我産まれ育ち古地図造りを続けている南区の風情有る歴史遺産を絵に残す事。今まで、カメラやバイクの精密画は書いていたが風景は難しいという理由で避けていた。遠近法とかです。そして写真では、逃れる事の出来ないありのままの風景(つまり、写真に入って欲しくない電柱・看板)にもコダワリがありその仕方が無い潔さが好きだったのだが、作品造りとしては絵に部が有る。しかも散歩ー写真ー絵と関連も繋がるし、晴撮雨読の雨降りの休日のたしなみにも成る。貧乏性が産む一石五鳥の醍醐味の実践ですなっ!