へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2006-06-30 08:44:20 | Weblog
全て自己管理責任という事は、限りが近いという事なんですが意思の反映が全てに表れる。その作品なり行動がその人そのものです。実は、脱サラ・独立を夢見る多くの方は自己表現に希望を持ち切磋琢磨を繰り返す。そこには、残念ながら「歩調・足並み」を切り捨てた自己表現も存在する。統計に因ると社長業の方は、8%らしい。その8%が自己表現の為に「歩調・足並み」を割りきったと言える。だから、根底には自分しか信じない。というのは、取り巻きはおおよそが利害や生活の保証を優先して巻いているが親方は、夢や目標の頂きを目指すから。

へんな洋食屋

2006-06-29 08:29:23 | Weblog
会社も組織も商売も同じ、最初は小路からの「歩調・足並み」です。それも、自分一人か家族位の単位から始まる。その最小単位が揃わないと中路なんて出られない、まして大通りは無理。それなりの大人数・個性・うねり・人間関係を合わせた「歩調・足並み」が必要だし、リーダーシップも大事。しかも、対外的な要因や自分を取り巻く方の緊急事態をも想定し対応に追われ苦心もする。戦術だッ!だから、利害のある商売等は自分一人が気楽で良い場合が多い。人の責任まで被らなくてもよいからねッ!全て自己管理責任の範囲でやり遂げられる。

へんな洋食屋

2006-06-28 15:57:49 | Weblog
そして、その膨大な努力と正しい心の動きを見ていてくれる人も居る。そうした実践・実行が後ろ立てや引き立てを呼び込む。徳の発生と共に奇跡の運命の瞬間を招く、驚くべき躍進もやってくる。下心の無い動きが、取り立てを目的とせずに「頂」という目標に近付ける。一人では到底無理な事柄に後ろ立てが幾人も付いて頂に近付くのを容易にします。そして、大通りに出て早く大きな「歩調・足並み」に入る。成長だっ!育てて貰った小路の「歩調・足並み」に恩を返すのも今だ、いわゆる「報恩」。決して一人で歩いて来た訳でないから「感謝」。

へんな洋食屋

2006-06-27 09:26:27 | Weblog
そして、作品造りに深みを添えるのが「義」。ある反面、犠牲の部分もありますが、今盛んなサッカーWC。ストライカーが得点に結び付くようラストパスを送る選手は、相手の人数を自分に引き付けマンバランスを崩す。「俺がオレが」も相手の為の、チームの為の「俺がオレが」である。縁の下の力持ち、裏方等と言われますが、積む事だって最後の一個までの膨大な努力と正確な運びが無くば、最後の一個へ結び付かない。そこ迄の、長く日の目を見ない美しい積み重ねが尊い「歩調・足並み」の根本です。作品造りには、必ず付きモノの尊厳です。

へんな洋食屋

2006-06-26 08:47:31 | Weblog
巧くいかない試行錯誤の経験を数多く積む事で、調の合わせが可能に成り、しかも作品となる。作品は姿・形ばかりでなく経験も作品です。新たなる難局、試み、計画等が立ち対応に追われ始めても「経験」という作品が乗り越える術を見い出してくれます。だから、実践・実行して試行錯誤の経験を数多く積む事で、「歩調・足並み・間合い」なんか揃わせる事が可能になる。結局、経験を積んでいる過程で間合いや調べの同調が巧みになって、待つ姿勢や精神的余裕を副産物として得られる。大変な得ですなっ!実行・実践は、素晴らしい行いだっ!

へんな洋食屋

2006-06-25 08:31:37 | Weblog
マァ、良い曲は譜面も美しいのですが、眺めて良しという代物ではないので弾く。いわゆる実践・実行ですなっ!満身工夫を重ねて実行する。「歩調・足並み」も参考書で学ぶ、議論で満足する、眺めて理解するのでは何にも出来ない。実行です。実際に携わって問題点や傾向が解り対策の検討が可能ですよッ!だから、失敗は付き物。その失敗に問題点や傾向を見付け、反省し対策を整え幾度も実行して解決していく。これ、モノの道理也!経験は、だから宝ですなッ!巧くいかない経験の積み重ねがいつか開花する、自分の技術・知識と成り蓄積さる。

へんな洋食屋

2006-06-24 08:32:36 | Weblog
「間合い」、荒ゆる全てに大事な「間合い」。一口に言っても、距離だけでない。時間・感情・複線等が有りますなっ!音楽に例えると解りやすいのですが、まず聞こえる距離ー伝わらなければ何にも成らない、時間ータイミングーリズム、感情ー表現ー言葉に出来ない伝心、複線ーハーモニーー主旋律に添う相槌、ここいら辺が「間合い・歩調・足並み」の激尺でしょう。これを巧く操る人が希に居ますねッ!大達人です。大概、俺がの主張が強く出て割れます。美しく劇的な曲は、自己を知り相手を活かす「間合い・歩調・足並み」が揃っている。

へんな洋食屋

2006-06-23 11:30:51 | Weblog
いわゆる「タメ口」というのか、その仕様が歩調に大きく格差を造る。年輩の方で、本当に出来た方は年少の人にも丁寧語・尊敬語を使っています。それは、年齢や知識や経験を越えた尊厳をよーく知ってるからだと思う。相手の先回りをせず、相手の良さを引き出す術を備えている。勿論、実際はそれ以上の知識・経験を積んでいるのだが、先にそれを出さず相手の良さを引き出す。聞き上手なんですなっ!オイラのお客さんに居ます、その方は成るべくして国の役人の大老になった方で大変な聞き上手です。だから、間合いや歩調合わせは大達人です。

へんな洋食屋

2006-06-23 08:00:27 | Weblog
今朝の読売新聞、若者が人付き合いを会社以外にも求めている、と。但し書き「長幼を越えて対等に」と、これが常識でない。やはり、長幼を重んじなければ年齢や経験を越えた様々を引き出せないし、そもそも可愛がられない。その「歩調・足並み」は、只の自己都合の為にある。一人一人は、いい若者なんだけど大概心にイチモツがある。気の合う仲間の様に年輩の方を取り込もうとしています、若者の都合で仲間入りをさせようと。逆でしょう!これが教わるとなると違うんですなッ!「教わる」という魔術、金銭を払って、先生なんて呼んで崇拝。

へんな洋食屋

2006-06-22 08:42:35 | Weblog
ある反面、日本は競争社会だからどうしても個人主義にはなるが、その原動力の思想は乏しい。何をしたか、ばかりで、何の為にしたかを問わない。それよりも「何の為に、努力を重ね、失敗したか」が大事なのに、失敗は経済活動では損失という解釈で余程余裕の有る組織でなければ許されない。しかし、家族内では異なる。我が子の成長が夫婦の生涯学習なので失敗に、傾向と対策を沿えて許し、再び切磋琢磨に向かわせる。その精神的・経済的労力は計り知れません。「子は、親を越えられない」というのは、この親の子に対する想いなんですなっ!