へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2006-04-30 08:45:04 | Weblog
だから、そのマンション内での理事会や自治会単位で村社会を作る。そして、町内会には~マンションとして所属になる。煩わしさや面倒はないが、人間付き合いは下手になります。「歩調・足並み」なんて元々考えていないと思いますが、事変や有事が起きて焼け野原に成ってしまったら個人主義では生きて行けずノイローゼになるのは、大地震の地域の例で明らかなとおりです。都会での大地震の見知らぬ同士の助け合いと、あの新潟の大地震の共同生活は大きな違いがありました。イザ、という事が無いと判明しない都会の地域社会の付き合い。

へんな洋食屋

2006-04-29 08:21:55 | Weblog
都会の村社会、これまた矛盾した表現ですが実際に活きづいている。しかし本当の意味では、地続きの地域でしょうなっ!地続きとは、一軒屋続きの昔ながらの下町です。朝の路掃除、水撒き等から始まる一日で想像がつく町内会。マンション等では有り得ません、相互維持の為の利害のある理事会、共有部分の利害の絡む清掃等、どうしても利害が見え隠れしてボランティア精神や心からの隣近所の付き合いには成りずらい。しかも、代々その土地に根付くという覚悟が無いと思う。その為どうしても、マンション全員が町内会員とは当て填めずらい。

へんな洋食屋

2006-04-28 08:32:53 | Weblog
自分達の住む場所を生活の場所と考えているが、その生活の意味が地域社会との共存とか相互護助等とは思わず収入は会社で得て、自分達の生活は干渉を受けずに楽しみたい。という身勝手な言い分だっ!だから、「足並み」なんて揃うはずがない。上下関係や長幼の孝等は、実社会の前に学生時代の部活や祖父母の居る中での三世代家族で身に付けないから、またそういう事柄を嫌って、面倒がって、避けて大人に成るから、その大人が知り合い子供を育てれば押して知るべしだっ!下町は、それなりに地域社会が密接で有り、都会の村社会と言える。

へんな洋食屋

2006-04-27 08:33:51 | Weblog
良いときばかりの気の合った人ばかりの付き合いしか選ばず、地域社会迄を考えない生活。実話です、先日、地域社会活動に列ねた方が幾度も会合の参加を所用と言う事で不参加したところ、遊んでいたのを発見され問いた。説いた。結果、引っ越ししました。裏切りが自らの生活の拠点を変えざるを得なくなった。元々、我町内の状態を知らずに越して来たのかも知れないが、やはりその地域にある面守られている相互護助の精神に理解がない方だったのかも。収入さえ有れば生活に不自由は無いという考えが、近所付き合いを避け遠ざけている。

へんな洋食屋

2006-04-25 08:35:26 | Weblog
民俗学で村社会という言葉が出てきますが、現在でも地方ではかなり強く残っている伝統的な善意の形態。隣近所・班・地区等と組織が有り様々な活動をしています、田舎暮らしには欠かせない覚悟が必要です。憧れて田舎暮らしをしてみた都会育ちが大概引き返すのが「縛り・しがらみ」ですなっ!それだけ都会では、個人主義・核家族社会が馴染み生活の仕方に大きなギャップを感じるらしい。隣が誰か判らないマンション、町内名簿も作成出来ない・回覧版も回らない家等、プライバシーを重視しすぎた都会の寂しさが様々な問題をニュースにする。

へんな洋食屋

2006-04-24 08:43:01 | Weblog
「縛り」、勿論あっちの方ではない。社会の通例としてこの「縛り」は必ず存在する。法律とか条例は元因りだが規則・規約・口約束も縛りですなっ!この縛りも利害が絡む、いわゆる商取引の場合は受けた以上文句はない。しかし、利害がない町内活動やボランティア活動等は受けた以上席だけという訳にも行かず、また善意を問われる為に「仕方がない」意識が専攻する。それでも現役引退組の方々は奉仕の精神を持って取り組んでいてくれますが、現役世代は本業優先の意が有って、仕方がないに成る。だから、尚皿「やらされた」の心を持つ。

へんな洋食屋

2006-04-23 08:39:18 | Weblog
「足並み」は、行動。団体行動や集団プレー・組織活動・町内活動なんかは、やはりお互いの能力や体調等を考慮して目的の遂行に進む。利害がない為に、「俺が俺がっ!」が出るし、そんな人に限って指図ばかりで動かない。「俺がやった!」と言えるのは、金も労力も頭脳も駆使し出した方を言う。でも、「俺が、話を付けた」等と言って偉そうにし一目置かせようとします。だから、「足並み」を揃えるのは難しい。行動で有る為、体育系の統率と規則が必要に成る。この統率と規則と言う「縛り」を大変嫌う方も多多居てナカナカやりきれない。

へんな洋食屋

2006-04-22 08:16:33 | Weblog
そして、歩調・足並み。これ自ら擦して合わせる。北朝鮮の行進のようなのは、強制的な歩調・足並みであり苦痛を伴っていると思う、イャ!はずだっ!脇役・助演も金銭や職柄として演じているだけで、只自分の与えられた役割としての綺麗事。やはり、能動的に足並みを揃えれば「和」が発生するし、逆に報恩を受け自らも引き立てられます。歩調も合わせれば、相手の心も開き高揚し大概巧く事は進む。だから、「足並み」は、行動。「歩調」は心通です。心通揃えれば、技術的行動の足並みは修練だけで整えます。でっ!その心通なんですよっ!

へんな洋食屋

2006-04-21 08:57:13 | Weblog
つまり徹して、相手の気持ち・心の内を読み、自分を変える技術、自分が変わる技術ですなっ!主人公の心に形容詞を添えて引き立てる。恐らく大概の方は、冷静に思い起こせば、誰かの引き立てが有ればこそ今が有るわけで、決して自らの力だけで活きている訳では無いっ!概して、うまく行かない時は、人や世間や景気等の他の力学の性にしていまいがちだが、実は、力や良き心の足らない自分の性だとは言わないし思いたくない。そして、「~の為に頑張って来たのにっ!」を連発して惨めに自分を慰めている。「~の為に」をよーく考えましょう。

へんな洋食屋

2006-04-20 08:22:57 | Weblog
音楽での基本は、メロディー・ハーモニー・リズムです。そして歩調、これはハーモニーです。合わせる、それも主題を損なわず引き立てる、だから音量も控え、引き立てる美しい裏旋律を伴奏する。大変難しいっ!主旋律が出来なければ弾けません、自分は引きながら相手を引き立てる。自分は弾きながら相手を弾き立てる。でも実生活に大変役立つ、何かそういう縛りがないと自分が出て「俺が俺がっ!」に成ってしまうのが常です。時には、伴奏に徹して美しく主題や主人公を引き立てるのが必要です。その為の手伊達の一つに合奏が有る。