へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2007-02-28 10:41:20 | Weblog
昨日、料理人を目指す学生さんと話し、自分は要領が悪く人と比較して落ち込む、と。実際、オイラ身長が160〓に満たないですが人より励まないと追い付けなかった。その為、片足で、しかも目を閉じてフライパンを振ったり、包丁を抱いて寝たり、耳だけで調理したりと人と異なる修練に励み、挙句の涯、両手を壊し手術して今。周囲に囚われず比較せず「型」に入れたと思うし、その修練の過程が最も大切だと気付いた。20年は必要だった。物覚えや要領が悪いからです。でも、「兎と亀」の話し。亀の目的はゴールで兎は亀の前に居る事だった。


へんな洋食屋

2007-02-27 08:37:36 | Weblog
技能の「壺」も結局は、見所を押さえる事。一番は、体勢です。技能は運動でもあるから、姿勢が大事。細かい指の動きだって運動だから姿勢です、真に見所です。動きや出来上がりのしなやかな見事差ばかりが目に入って見落としがちなのが、姿勢です。いわゆる「型」、マズこれを身に付けないと行き詰まる。必ずや行き詰まる。どんな運動も同じですが「型」に入る迄に長年掛る、地道すぎる型の稽古に耐えきれず、独学に走るか諦める。例えば、刃物なら握り手の姿勢。ギターなら抱く姿勢。鑢なら支点の角度と様々に姿勢がありそれが「壺」。


へんな洋食屋

2007-02-26 08:38:34 | Weblog
確に、長年培った技術や知識・経験等の「壺はそう簡単に教えられない」。ずっーと以前に習っていた音楽教室で先生が言っていました。どんどん教えたら商売に成らなくなる。その通りっ!結局オイラも後半は月謝無しで習っていた。オイラも今迄何人も教授してきましたが、絶対に「壺」は教えない。追い抜かれるとか、何かを奪われるとかではなく、教わる側が気付きを得ないと駄目なのであり教えて理解した雰囲気に成るのでは、身に付かないからです。技能は教えてなんとかなっても、術や業は自分で習得しないと一人前に成らないからです。

へんな洋食屋

2007-02-25 08:29:51 | Weblog
逃げないようにという事だと、やはり「壺」の形状は逃げないように出来ている。蓋が付いているモノも有る、これは逃げられたら困るモノを入れて置くんだなっ!そして、中身は暗く陰湿ですなっ!ガラスの「壺」だと外から中身が見えて良いですけど、何故か逃げないように隠す感じは拭えない。マァ、「壺」にも色々有り、国宝から骨壺まで用途・鑑賞・大小も様々です。とにかく、大事な何かを入れて逃げないように隠す。いわゆる「ノウハウ」という壺も大概の方達は、蓋をして逃げないように隠す。全てが利益・権威に深く関係するからだっ!

へんな洋食屋

2007-02-24 08:38:44 | Weblog
そう考えると「壺」は、そこいら中に存在している。勿論、存在と言っても本人の意識次第なんですが、「気付き」を得れば場所・時を問わず発見出来る。しかし、人間・企業の欲は凄まじく、実際には完成されているモノに更に装飾や機能を付け足して結局台無しにしてしまう。快適・便利を追求する余り本来のシンプルな機能美を崩し、デザインという名の元に足し算のモノを造り消費させる。「壺」を押さえた品物は、今や探すのに苦労します。「壺を押さえる」と言いますねッー!「壺」って逃げないように身に付く迄、押さえ込むもんなんだっ!

へんな洋食屋

2007-02-24 08:38:35 | Weblog
その「壺中の壺」を昨日観てきた。昭和30年代の横浜の有り様を撮った写真家の展示会、御年91歳。知り合いです。その時代に高級カメラを手に、50年間もの保存状態、そして長命ーその全てが「壺」でした。どれ一つも無ければ残らない歴史的な遺産です。本人の弁「マサカこの歳で世に出るとはっ!」座右の名「継続は、力成り」。居るなッー凄い人。そこそこの方等は、ゴロゴロいますがこの位の方になると探してもナカナカお目に掛れない。恐らく、「壺中の極点」を見たんだろう。元気カクシャクの91歳自体が人生の「壺中の壺」ですなっ!

へんな洋食屋

2007-02-23 08:44:55 | Weblog
だから、それも「壺」と言えば「壺」。人間だって楽器だって食材だって天気・気温だって天然と言えば天然だから、毎日どころか気付いた瞬間各々異なる。その瞬間に適合した対処をすることはかなりの「壺」を要します。年季ーいわゆる、経験とか失敗とかそう言った一見無駄と思える行為・月謝が大事。それにめげないで、諦めないで辛抱強く続ける事で峠に近付ける。さすれば、その過程で新たな発見や手法・知識を学べ、必ずや自らの糧となり様々な行為に対処出来る術が身に付きますなっ!「壺」は、覗いたら実行するのが「壺中の壺」。


へんな洋食屋

2007-02-22 08:44:26 | Weblog
オイラなんてセイゼイ、これはどうやって造るのだろう?とか、この経緯はどうか?位の「壺」探しであって、それはそれで楽しいのですが、壮大差には程遠い。只、その「壺」探しに一説では解決しませんで、色々と見聞し調べ「壺」の極点に近付ける。また、その見聞・調査の過程が楽しいのであり、決して結論を急がないし結論着けなくても良いとも思っています。例えば、音楽での楽器演奏で毎日弾きますがその日の完成には至るが明日はまた違う。毎日変化を楽しみ同じ演奏ではない。それは、楽器のコンディションや気持ちは毎日違うから。

へんな洋食屋

2007-02-22 08:44:16 | Weblog
そうなると、様々な意味で「壺」というのが問題に成る。嫌っ、オイラが問題にするのだが、極点という解釈を取っても「壺」は奥深い。実物の壺は、確に狭い口から奥深い底を覗く。覗かなくてもイインですが、やはり穴は覗きたいっ!節穴だって望遠鏡だって、知人の秘密の穴だって、物造りのコツだって覗きたいっ!それが、「壺」だし極点だから。探検家なんて凄いなっー!なんの用事か理解出来ないが、喜んで極地へ莫大な費用と命を賭けて出かける。正に、「壺中の壺」ですなっ!好奇心の成せる行いだと思うが、それにしたって凄いなっー!

へんな洋食屋

2007-02-21 12:41:32 | Weblog
その「覗く」という字、「見る司」司とは職業の事。という事は、職業としての「覗き」がある。刑法に触れる事から顕微鏡を覗く研究者・プロカメラマン等など確に職業としての「覗き」がある。みんな「壺」を見て商売をし生活の糧としているんだ。マァ、大概は「覗く」と言えば「穴」なんですが、物理的に暗室効果が得られる為、穴の外が鮮明・新鮮に見える。映画館での鑑賞は正に暗室効果だし、望遠鏡やファインダー・スコープだって暗室効果に因り肉眼以上の鮮明差で何故か嵌っちゃう。「壺」は、何故か嵌っちゃう不可思議な秘密の世界。