へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2008-11-30 08:32:05 | Weblog
今朝は、米屋と八百屋との口溢しである。つまり景気の影響で売れないのだ。在庫と言っても仕入れた金銭は払う訳だから売れないと困る。それはオイラも一緒で、一番困るのは生鮮品である事と仕込んだ食材には期限が有る。これはどんな商売にも言える事であるが受注生産なんかではどうなのだろう?せめて、仕込みは無い訳だから仕入れも受注後で良いのかなっ?知りたい処である。飲食業では、例えば米は炊いたら数時間だし、野菜も丸なら数日もつが捌けば一日しかもたない。肉類なら一週間だが、魚類なら二日である。客足も天候次第である。

へんな洋食屋

2008-11-30 08:31:54 | Weblog
昨夜、帰途にブックオフに出掛けカメラ雑誌数冊を入手。今の時期は、暮れに向けての片付けで本類なども古本屋へ多く出ます。そこは、付け目であるが何代本は重たいから沢山選ぶと持ち帰りに大変だ。で、そんな古本でさえも吟味して選ぶ。気が向けば再び行けば良いのだが、何せ古本だから出会いである。二度と巡り会わないかも知れないと思うと多少の荷物も仕方が無い。帰宅し、風呂ー食事の後にパラパラと捲るのだが本気では読まない。翌日は店に持ち込みお客さんの待ち時間用にしたり、暇時の暇潰しにジックリ読むのが楽しみなのである。

へんな洋食屋

2008-11-29 08:23:28 | Weblog
で、そのプリント屋は元機械式カメラの修理人だから詳しい。必ず、露出の事で意見してくれる。彼の意見は、批判じみていないから素直に受け留められる。これが、店のお客さんでカメラ趣味の方々は多少批判じみた評価を述べるので聞きずらい。撮影の意図とか、能書きを並べて評価を挙げよう等とは少しも思わないので堪えて聞いている。料理だってギター演奏だって同じである。十八番は滅多なことでは披露しない、評価付けが嫌なのである。オイラという個性の表現は、個性そのものだからである。おだて誉めも嫌なモンだが、批評も辛い訳だ。

へんな洋食屋

2008-11-29 08:23:19 | Weblog
その御夫婦は、定年後にカメラ散歩を始めたそうだが、昔は駆使して撮影していたそうでクラシコカメラの不便差を知っていてオイラが素早く構図を決め、露出を決め、音も無く立ち去ってゆくのが不思議だったそうだ。道具を駆使しついる、使われていないっ!と見えたらしい。最新のデジカメの方が能力は上だと思っていたが、疑問の焦点は「使い手は、ゆっくり素早い」である。計器は自らであり数値を道具に移し操るのが人間の作業である。今日の昼休みにプリント屋にフィルムを出し、明日以降の出来上がりだがその潔さがフィルムの楽しみだ。

へんな洋食屋

2008-11-29 08:23:11 | Weblog
言葉のヤリクリに成ってしまったがそう思うのだ。昨日のカメラ探しのお姉さんから様々を思い浮かべたがオイラ成りに勉強させられたのだ。とかく、金銭的・経済的・遺産的な価値観ばかりで物品を評価するが個人にとっての想いが最も大切であろう。海岸通では、どの方もデジカメを駆使?して撮影していたが、オイラのクラシコカメラを見てある御夫婦が尋ねた。不便でフィルムで古いカメラは楽しいか?である。説明しても理解して貰えないだろうから「形見なんです」と嘘を付き散歩を続けたが、銀杏並木だから再び出会う。困ったナァー!

へんな洋食屋

2008-11-29 08:23:03 | Weblog
つまり、物を大切にする姿勢も感謝が極まるとその使い手の御心に因り温かい余生を送れる訳である。人だってそうな筈だ。物の全うだって、一度や二度の修理でなく購入時の金額程の修理代を重ねて、もうどう探しても部品が無く買い換えしかないと思われ、買い換えられても大概は廃棄である。品物の大きさにも因るが鎮座に苦しくなければ名誉博士として片隅で光らせて貰えば温かい余生である。人間だって施設に入らず家の目の前の公園で日向ぼっこ会話出来たら良い余生だ。鎮座とは、周囲から崇め奉られている訳だから良い余生であるなっ!

へんな洋食屋

2008-11-28 08:44:15 | Weblog
カメラ雑誌で、若い女性がクラシコカメラを買い求めるのを記事にしているが、目の前の出来事にマンザラ嘘でない事が理解できた。インテリアと絵画用なのだ。大体が、蛇腹を持つカメラは大きく重いから女性には大変である。しかし、絵には成るしインテリアにも成る。動かないカメラも、そうして何かしら世の役に立ち、求められ余生を過ごせる訳だ。思えば、オイラも同じ様な事をしている。作動しなくても修理の部品採りに成り、画材にも成り、文鎮にも成り、店のインテリアにもしている。役目は、全うしているが余生を過ごしている訳だ。

へんな洋食屋

2008-11-28 08:44:05 | Weblog
出掛けた嗣いでの中古カメラ店覗きも一興である。まず、先日求めた旧レンズの調子を尋ねられ、来月の特売の案内を受けたりして会話。で、出会いを探してウィンドーを眺める。欲しい物は鎮座しているが、最近の必要か?否か?を働かせて欲望を押さえる。そこへ、若い女性。大学生かも知れない、およそクラシコカメラを使うとは思えない小娘だが、蛇腹のカメラを探しているとの事。オイラも話の中に入る、作動しなくても良いらしい。目的は何か?と聞けば、インテリアらしい。クラシコカメラの金属感や精密感が好きらしい。絵も描くそうだ。

へんな洋食屋

2008-11-27 18:35:17 | Weblog
今日の休日は、以前から狙っていた海岸通の銀杏並木である。11系統という横浜の尾根を駆けるバスに乗り港の見える丘公園で降り、海岸通を歩き、何年か振りに「氷川丸」を見物し開港の道を歩いた。関内の中古カメラ店にも寄らなくては気が済まないし、で大分歩く。疲れて喫茶店にてケーキセットで一服である。窓から眺めると、ビルが西日に映えて美しいので今一度フィルムを詰めようか?思案中である。しかし、詰めれば再び歩く訳だから悩んでいる。帰りの地下鉄もバスもすぐ目の前だから、どちら付かずである訳だ。コーヒーも、後二口だ。

へんな洋食屋

2008-11-27 18:35:09 | Weblog
今年は、年頭に立てた「オイラの分・器の物差し」探しをしていた。11月も終りに近付き焦りも出てきていたが、オイラなりに見付けた。「何を成すか?でなく、何が出来るか?」だった。で、今年の成した事柄のマトメの時期が来ている、何が出来たのか?を検証する訳である。オイラの身辺は大事件も無く平凡だったのだが、その平凡が難しいのである。平で凡庸な日々が連続していたのだが、よ~く考えると波風も無く凸凹も無い進路というのもナカナカに無いモンである。脇道にも逸れず、寄り道もせず脇目もしないで五種類の趣味に励んでいた。