へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2006-05-30 15:58:10 | Weblog
かなり以前に、「瀬降り物語」という映画を観たんですけど、家族以外の接触を一切避け「ナワバリ」意識の基に生活する人達の話、熊野の山奥で追数十年前まで実在していた孤高の野生人です。本当の一族のみの生活、勿論自給自足です。世捨て人ではありません。死する時も、一人で命を絶ち自然に帰りました。世捨て人と言えば、路上生活者。この人達でさえ集団を作り擬野生の生活をしている。三日やったら辞められない、という路上生活。世間とのシガラミを避け金銭至上主義を投げ自由奔放な人生、多少憧れながらも無理。セイゼイ寅さん。

へんな洋食屋

2006-05-30 15:57:57 | Weblog
姿・形に囚われすぎて形式を重んじ物質欲、いわゆる物欲に走る。目に現れない結果は、興味の範囲でない。結果が全てと言いながら評価や形にコダワル。その努力の過程が尊いのに、結果第一主義だなっ!だから小学生の時分から成績そしてその対策ばかり練る。親がです。比較は避け只ひたすら成績主義、良い就職が家族の幸福に直結、個人主義は幼い内から親の手の中仕込まれて、そのまた子孫は個人主義となる。教育維新でも起きないと変えられませんなっ!とは言っても、プライバシー等の理念も大きく葉を付けてしまった現在ではかなり困難。

へんな洋食屋

2006-05-29 08:34:04 | Weblog
歩調・足並みなんて書き始めたら「教育基本法」の改訂などと騒ぎ始め、その中に「愛国心」を含めようと論じられている。団体主義の復活かッ?と騒ぐ人々もいる。個人主義が行き渡り、気付いてみれば「愛国心」が他国と比較して足らない。行ったり来たりですなっ!だけど、オリンピック等で選手が日の丸を仰ぎ君が代を斉唱する姿、これは美しい。個人が国を背負い励む、では家や町内や区や村や市等を背負う姿勢だって美しいはづ。団体主義的個人主義でゆけば良いではないですか!国益だとか利害だとか利益ばかり論じた団体主義でなくです。

へんな洋食屋

2006-05-28 08:36:38 | Weblog
消費経済の企業のマヤカシに踊り、本質を見極める事が出来ずに物欲のスパイラルに陥る。その消費経済すら足並み・歩調は揃わない。勿論、各企業が同じ製品ばかり造っても仕方がないが、それでも長きに渡り製造される製品は数少ない。マァ、国民中流意識を戦後40年くらい続けて来たから、そろそろ個人主義が芽ぶいても良いのだがそれにしても疎外的個人主義過ぎている。不思議ですなっ、世情と言うか世の移り変わりと言うか。人類は、進化・発展していかなければならないけど疎外に向かっている。国民一致団結するのはスポーツ位かなっ!


へんな洋食屋

2006-05-27 08:11:05 | Weblog
物欲の歩調は、凄いですなっ!朝から深夜まで供に働き収入を得る、そしてレジャー・車・マイホーム・外食と形式的な幸せを求める。何かを造り上げその過程の幸福ではなく買う、幸福を買う。幸せは、工夫して造り上げる過程に宿るのに欲が先に有って、しかもローンで満たす。そこには、職を金銭を得て快楽を満たす為の手段にしか思えなくなる。因って子供達の手本と成る様な職の尊厳を見い出せません。「だって、仕方がない!」ではなくて物欲の制限を掛けながら建設的・創造的なしかも人との縁を深める様な趣味なり職を構築するしかない。

へんな洋食屋

2006-05-26 08:48:37 | Weblog
その家庭内においてもナカナカ歩調・足並みが揃わないと言われています。家業と言う程の事でないと感じるのかも知れないが、職がお金稼ぎの為に成っているからです。その為、夫婦・親子が全く関連の無い職を金銭と休日で選ぶ。だから、職に誇りはない。因って子供に対する見本と成らない。長い期間に渡る風潮には成らず家風には成長しないし、家庭内個人主義となり次の世代も繰り返す。きっと、団欒も難しいと思います。家風や家業は、歩調・足並みへの最初の一歩であるのに金銭・夫婦の楽しみばかりで物欲の歩調である。だから達成後に…

へんな洋食屋

2006-05-25 08:37:23 | Weblog
その「家風・家業」の信念に強く縛られながらも楽しく自分の自由な意思で継いでいる我々兄弟、弟は建築業をオイラは飲食業を「家名」に恥じないよう存続・発展?出来る様、日々美しく努力し子孫の見本と成るべく励んでいます。だから、「家風」を持っています。尊大ではないが保持している。この時流の激しい時代において維持しているだけで必死ですが転職家には成れない。転職も家風と言えばそうだが、勤め人の務め上げも素晴らしい。40年の長きを一つ所に捧げながらの家作り、「家風」です。子孫の見本と成るから立派な「家風」となる。

へんな洋食屋

2006-05-25 08:36:59 | Weblog
「家風」と言えば今では勝手な解釈で自分達独自の生活スタイル、と考えられていますがそんなモンではないっ!文献に因ると「三代以上続く家業を維持し、それに基づく独特の生活習慣と文化に築かれた家社会の姿」と有りました。だから、例えば雑巾の縫い目一つからその家のシキタリが存在しているそうです。マァ、大変貴重で尊い生活習慣です。只単に古いシキタリと決めつけるには恐れ多いその家の信念ですなっ!チョット前の時代までどの過程でも家風は有りました。大家族制が存在していた時代です。歩調・足並みはそこから産まれました。

へんな洋食屋

2006-05-24 11:48:32 | Weblog
戦後、嫌ッ!高度成長後の国民中流意識の芽生え頃からですかねー、団体主義が薄れ人悔戦術も薄れ個人主義が台頭して個別箱型住宅が増え、独立心も成長して核家族化が進んだ。因って、近所付き合いも減り家族主義となり組織活動も間々成らない。今、結婚で同居なんて流行らないと言うか若い夫婦達は嫌なんですなっ!最小の組織である家族の膨らみからして避けている。家社会のシキタリを嫌い、自分達の新たなシキタリを都合良く造りたい。永えいと築かれた日本の家族のシキタリも無くなる。家族のシキタリ、いわゆる「家風」が続かない。

へんな洋食屋

2006-05-23 08:33:23 | Weblog
マァ、簡単に幾人かで歩みを散らしてみる。いわゆる、散歩ですが、仲間の年齢・歩速度・歩きたい場所・見所・会話の内容等はそれぞれ異なりますので、例えば10人で歩き始めたら集団は分裂をし始め3集団くらいに落ち着く、たまにアチコチ声を掛け合いますがやはり集団は分かれて落ち着いている。派閥です。そして、ゴールにてまとまる。だから、最初と最後だけが一緒でその過程では集団は分裂をした状態で進む。只、同じ方向に進んでいるのは規則だからです。これは、役割分担で分裂・集合をするのではない。曖昧な規則中の自由だからだ。