へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2006-09-30 08:30:17 | Weblog
趣味を持つ利点の一つに、自分の弱点のカバーというのが有る。マァ、どんな方にも得手不得手があるものですが、とかく弱点を見せず過去の栄光や若かりし頃の武勇伝を語ったり、今現在の得手を発表するのが常です。凄いなッーと思っていた方が弱点を語ったり、見せたりした時、妙に親しみや可愛さ等を感じたりします。趣味の中でも色々な分野があるので当然に好き好きや得手不得手がある。かなりの達人でも有る。その弱点や不得手を開いた瞬間に趣味は、「趣き有る味」と成る気がします。人間らしさというか、努力の結晶の中の安堵だなっ!

へんな洋食屋

2006-09-29 08:35:09 | Weblog
ある方。昨夜のゲストで、将来独立を目指す28才の若手コックさん。大体、入店の瞬間に調理人だと判りました。マァ、経歴は4.5年だろう。若いから、様々な体験をしていないが、それでもイタリア修行や現在の状況を話してくれました。今は、足し算の時期が続きますので詰め込み主義が強く出て本当の事が見えていない。食巡りも勉強であるが、そのまま取り入れると、いいとこ取りの自分失いに成る。膨大な経験と技術の中からこそ独自のスタイルが出来るのだが時間も面倒も必要、その独自のスタイルが、いわゆる「一人前」という。目指せっ!

へんな洋食屋

2006-09-28 08:41:49 | Weblog
そうなる迄、つまり自然と心技体に身に付く迄には、途方もない時間と修練、正しい心造りの日々だったに違いない。その精神力な努力が「趣き有る味」の神髄ー本物の趣味に成り上げたのだっ!大体にして、若年の時の趣味は、テクニックに囚われて「これでもかっ!」という力と早さに終始する。それを越えて修練を続けているうちに、世間を知り他の趣味にも興味を持ち、様々を取り入れて足を突っ込み始める。神髄にです。そこいら辺から、「趣き有る味」の一歩ですかねっ!ざっと20年程の期間の修練が必要と思うが、そこ迄続かないのが大方。

へんな洋食屋

2006-09-27 12:42:32 | Weblog
ある初老の方。毎日挨拶を交す、しかしその佇まいたるや、ただ者でない!立ち姿勢や物腰が普通でないのだっ!正中線が整っている。こんな場合は、握手に限る。最高の判断材料です。その方の手に触れれば大概の履歴が出る。古武道の大達人です、話してみれば間違い無くその通り。修練が長年に渡っている為、気配を脱して境地に達しています。今も毎日挨拶を交しますが、益々凄さがにじんでいる。立ち会いとは、こういう事だろう。立ち会った瞬間に相手の度合いが見えてくる、その迫力と恐ろしさ。本物が放つ至光・侘びの鈍い光だっ!

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2006-09-26 08:23:32 | Weblog
ある方。世間話の内に音楽の話題になり、同年代という事もあり話は進み、ギターの造りの移りから演奏者の話に。オイラの店には常時ギターが有るので、チョッと弾いてみる?に成る。はにかみ長柄、調音をし始める。その姿勢、ただ者でない!徐々に音が整えられる過程の撥音のタッチ、手練だっ!その時点でかなりの修練者と判る。大体、楽器を抱えた瞬間に、その佇まいで判断が着く。弾かずとも理解に苦しくない実力、弾き始めた、やはり思い通りの手練でした。何故、こんな方が埋もれているのだろう?ゴマカシの効かない生の深い響きだった。

へんな洋食屋

2006-09-25 08:22:13 | Weblog
と、言いつつ何かしらの上下が発生する。モノ持ちの量・質・希少価値、文芸なら技術・センスの優劣等、どうしても二人以上になると比較が生ずる。これが、誉め合えば良いのだが、時と慣れと共に批評に転ずる。だから、引く方は自分の趣味の世界に引き篭る。引き篭ると発展に大きなブレーキが働いて進歩を妨げる、しかし争えない性格が自己を引き篭らせる。この自己の世界は、どうしても主張が伴うため避けられません。だから、意外な方が、意外な趣味を持ちそれが意外な程巧みだったりする。そこで初めて趣き有る味が紹介されるのだっ!

へんな洋食屋

2006-09-24 08:29:47 | Weblog
しかも、いくつも買ってしまう方。ギターなんか一度に二本は弾けません、予備にもう一本は許せる。カメラも、首から三台下げたら馬鹿者です、マァ二台は許せる。でも、あれも使ってみたい。これも使ってみたい気持が自然にコレクションに変わる、家族に内緒で入手のテクニックが向上する。例えば、カメラはカメラ屋の袋で家に帰れないっ!薬屋なんかの袋で持ち帰る。これはこれで、趣き有る味なんですが、コレクションに変わると趣き有る味からは大きく外れ、自己自慢の嫌な奴に成長し見せ開かし、物持ちで人の上下を判断して趣味でない。

へんな洋食屋

2006-09-23 08:17:10 | Weblog
それから、形に囚われてしまう方。このパターンも多い。まず、道具ーとにかく一流好みで、出来ない内からオソロシイほどの金額を出して買ってしまう。読みきれない程の教材、緻密な練習時間割、理屈で固める知ったかブリ。相手に出来ないっ!例えば、カメラ。プロも選ばない高価で高性能な機材を持ちながら、フィルムの入れ方を悩んでいる。例えば、ギター。聖地ーお茶の水の有名楽器店で揃えた車が買える程の楽器を持ちながら眺めるだけ。道具・文献を揃えて満足している達成感ですかねっ!結局やらずしまいで宝の持ち腐れの大方です。

へんな洋食屋

2006-09-22 08:42:24 | Weblog
趣味とは、「趣き有る味」ですから、様々な趣味と言われる中でオイラが賛成しないモノが有る。~鑑賞です。これを続けてあるレベルに達すると決って比べる、マァ比べるのは良い。それを、評価する。いわゆる批評です。どちらかと言えば、批判ですなっ!「あーでもない、こーでもない」とケチを着ける。趣き有る味などとは言えないでしょう?大概は、見聞だけで、実際にその事を体験もせず只他だ知ったかブリを振りかざしコキ下ろす。そんな方、沢山居ます。自分が出来ない事、やる気の無い事に尊厳も認知も無く寂しい批判をするだけの方。

へんな洋食屋

2006-09-21 08:36:45 | Weblog
新規連載、(百の内の五)ーマァ、オイラの趣味の話です。「趣味」ー趣き有る味ーと書きますが、趣きが芽を出す迄は大変な努力と月謝、続けられる環境が無いと到達出来ません。到達とは、高レベルを言うのではなく趣き有る味の事。趣きとは、その動作に入る姿勢や心構えが周囲に伝わり、いわゆるオーラを放ち巻き込む佇まいを言う。姿・形に囚われるのは、いけないと思うが、それでも動作の基本の型は有る訳で、心の状態を姿・形に囚われないで行うという事。その基本の型に行き着くのも大変な努力と修練が必要なので精神力も大事です。