へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2007-08-31 08:34:34 | Weblog
道選びだとしたら、ゆっくり選んでみたい。その選択が大変だなー!自分に向くのか?好きか?は勿論だが、結果を求めないとは言ってもやはり少々の結果は欲しいのが人情。そして大事なのは、選んだ道がずっと果てしなく続く道である事と途中で様々に分岐集合が繰り返し有るという事。つまり、ある距離を進んだら次の選択が可能な事です。基礎的なことはどのジャンルでもそうは変わらないが、少し進んだら様々が見えてくるから、その時点で選択が可能でないと苦しくなり立ち止まってしまいます。進んでいれば元の道にも戻れるし気付けます。

へんな洋食屋

2007-08-31 08:34:25 | Weblog
人間の命は様々な要因で異なり、明日に目を閉じるかも知れないが決して何事も遅れを取るということはない。目標は、「頂」なんだから何時始めても必ず近付きます。道は一本ではないし、始めと終りが同じ道でもないんだから。でも、とにかく前を見て可能な限り進めば違う道も見えたりする。そこで、いくつもの道に出会い・迷い選んで進むでしょう。その時、大切なのはゆったりとした正しい心の動きと信頼する方の助言、決めた信念ですかねっ?暫く、進み再び道は分かれ選ぶ。そんな繰り返しで一生です。結局、人生は道選びなんですかねっ?

へんな洋食屋

2007-08-30 08:37:44 | Weblog
朝の仕込み中にラジオを流していて、耳に食い付いたジャズの名曲。今、その名曲の音採りを終えた。片仮名の譜面だ、つまりド・レ・ミと書いてある。みっともなくて見せられない、そこから楽器を持って音を追い掛け和音を当ててゆく、すると自然にコード進行が読めて曲に成り、更にコードからアドリブが産まれ自分のアレンジとなり譜面に起こす。その間の試行錯誤の心の動きは至福である。思えば、楽器を持って35年ですが最近ですなっ!こんな芸当に到達したのは。もっと若い頃から目覚め勉強していたらと思うが後悔とかは全くありません。

へんな洋食屋

2007-08-30 08:37:35 | Weblog
つまり、損得や利ばかりを追うエンドユーザーが見る目や判断を自己都合に頼るんです。天下国家とまでは言わないが、環境や資源の享受をもっと実感して自己都合を離れ供生に考えを運ばないと更に人間悪は進むでしょう。現在、法律が6000位有るらしいが道徳心をもっと養えば百分の一に成るでしょう。解決を法や金銭で手段として持っている我々は決して幸福とは言えません。手造りの家庭道徳、手造りの社会道徳を進め手造りの人間社会を築かないとなっ!第一歩に手造りの趣味が有るよっ!趣味は、一人一人の継続の賜だから一役買いますなっ!

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2007-08-29 21:57:37 | Weblog
結局、自分達の要領の悪さが至らないんだなっ!という結論にまとめたが、嫌々、実は双方とも腹の中ではまだまだ諦めずに要領の悪さを続け信念を貫くつもりでいるのは、読み切っている。期限ギリギリの食材を買い叩き、しかも二ヶ月後の後払い。オマケに、ソソル口上と映像を駆使して消費者を欺き利益を挙げる。人の道ですかねっ?思えば、政治屋さんだってそんな事がまかり通る。しかし、未々正義はあるなっ!様々な分野で摘発されている。只ねっ!受け手も悪いですよ、自分個人の利ばかり追うからそれに応えようと世の中がズルをする。

へんな洋食屋

2007-08-29 21:57:28 | Weblog
と、言っていたら昨夜は後輩の政治屋さん。只今、勉強中だから「現場主義」の実践をしている。マァ、立ち直り二ヶ月にして様々な現場を角度や目線を変えて実践している。その弁に大変な共感を抱いた。「ズルをしないと上手く行かないのかなっー!」と、勿論いわんやおや。であるが、オイラも手造り・手書き・手サービスにこだわり、時間と手間ばかり掛りナカナカに儲からない。嫌々、政治もレトルトらしい。だから、彼女もナカナカに苦しんでいる。現場主義は、時間も手間も掛り政治も料理も同じです。だけどナカナカに認められない。


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2007-08-29 11:47:11 | Weblog
オイラは、ツクヅク幸せだなーと思うが、相談相手がそれぞれの分野に居る。という事です。しかし、その分野に直ぐに入れる訳では無く会話を重ね、その人と成りをしり、その方の得意分野を知り自分も興味を抱いて予習もしてこそ相手も理解してくれて様々を教えてくれる訳です。勿論、損得なんて関係無く只単に興味と好奇心、学びたい姿勢だけです。結果的には、得をしているのですがそのお返しがナカナカ出来ないでいる自分が情けない。つまり、オイラは得る事ばかりで恩返し出来る器量が無いんだなっ!報恩出来るにはどうしたら良いんだ?

へんな洋食屋

2007-08-29 11:46:59 | Weblog
結局、欲とカッコ付けという邪念が湧き出て無の境地を遠ざけている。これはどうしても取り去れないですなっ!経済や対面を気にしている内は無理っ!大家と呼ばれる方々は、大概は年齢に達して欲や対面・経済を気にすること無く活動しているから、何かを成す。でも、そういう方々はの弁に因れば拭いされたのは社会的責任や家族への責任の薄れた時期や老いた姿・形、体力の衰退を受け留められた時期から境地が見えた。と言い、更にその境を越えるのは別な努力が必要だと言った。経験からの弁だから真実味が有るし、全く反論が出来ません。

へんな洋食屋

2007-08-28 08:21:11 | Weblog
大概の本の最後にフィクションだ。と書いてあるが、それにしても想像力の凄さに加え文章化して人に伝えるという巧みさは感心します。自殺したりして狂気を抱いていた作家などは、文章自体が恐ろしい。静寂の心理というか、内に秘めた現実というか何しろ迫力があるなっ!きっと「閃き」は、雑然とした中での一時の静寂を見い出す事で現れるのかも知れません。思えば、ヒントが出る瞬間は無音・無温・無空に有る気がします。「無」の境地と言えば大袈裟だが、近い状態だと感じます。フッと我に帰り、曲や文章・形にするのが大変なんですが。

へんな洋食屋

2007-08-28 08:21:01 | Weblog
こうして毎日書いているオイラだって、人から「毎日~、よく題材がでるなっ!」と言われるが、毎日お客さんと接し会話することで以前の他の会話と通じる事柄が神経衰弱の如く捲られて辻妻が合い、更に深く会話が進む。そんな毎日の一部を今の話題に掛けて文章にしている訳で、決して造り話しではなく、現場主義から産まれる文章なんですなっ!会話には、何しろ空気感や感情が現れるから伝わりが見事である。口から出た言魂の凄さです。それでも、文章の大家は思考回路の違いか文章に凄さ・物々しさ・静寂・品格などが表れている。