へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2008-04-29 08:42:07 | Weblog
「間」の取り合いと譲り合いは複数の場合、レベルの前に難しい。大概は、「俺が俺が」である。だから結局まとまらずツマラナイ結果に結ぶ。勝負に成っている訳だ。オイラも若い頃はそうだった。娘とデュオを組み、店でライブを企画して奏者を招いて学んでいる内に気付きを得た。相手を引き立てる気持ちが自分にも余裕を産み楽な演奏が出来る様に成った。しかもその心技は、ソロにまともに表れる。つまり和音同士の戦いが無くなり和音同士が引き立て合う様に演奏が可能に成るという事。回りくどいが、バランスー均衡という事に気付いた訳。

へんな洋食屋

2008-04-29 08:41:58 | Weblog
昨夜、これは久しぶりなのだが店が大暇にて常連のハモニカの達人と即興演奏をした。「何をやろうか?」と言いつつAmのコードが出る、拍子を探り強烈な四拍子で打ち始める。タンゴだっ!と直感しハモニカのリードを待つ、相手も横目でオイラの出方を探る。ピアソラだ。「リベルタンゴ」が始まる。コード進行は単純明快だから即興つまりアドリブが効く。ナカナカ終れない、双方の疲れの合図で終演。この臨場感と創造感は何とも言い難い。あるレベルに達した者同士の間の取り合いと譲り合いである。即興だから打ち合わせは勿論無い。

へんな洋食屋

2008-04-28 08:44:26 | Weblog
「誉めの報酬」という言葉がある。一般的に報酬と言えば、金銭であるが「誉めの報酬」の凄いのは、更成る向上を目指す事に繋がる。金銭では得られない心の報酬である。金銭での報酬は、癖に成るし条件にも変わる。条件に成った瞬間に金銭欲の固まりに成って、結果ー金銭という心が産まれ逆に金銭が絡まないと行動さえもしなくなる。「誉めの報酬」は純心ですなっ!で、その純心の向上には趣味である。利害の絡まない金銭報酬に無縁の心の構築には趣味が一番である。だからこそ、作品を差し上げたり演奏をプレゼントしたり出来る訳である。

へんな洋食屋

2008-04-28 08:44:14 | Weblog
以前、何度かへんな洋食屋でライブをしてくれた銀行屋さんがみえた。電話では、業務上しばしば話して音楽の事も相談しているジャズギターの達人である。前々から出来上がっている「テイク・ファイブ」というジャズの名曲を聞いて貰う。ソロ弾きでの極限の演奏だと誉めて頂き頭に乗っている。誉められるとは、こんなにやる気に相乗するとは思わなかった。益々、精進しようという想いに溢れます。料理だって、お客さんの誉め言葉は励みに成るし更成る向上を目指すのは当然の成り行きである。羨まず、けなさず、下げずまず、誉めて円満だ。

へんな洋食屋

2008-04-27 08:43:12 | Weblog
その困難を和らげるのが、支えである。家族だったり師匠だったり趣味だったりである。で、自分の範囲でしかも周囲に迷惑を掛けない趣味が大事。家族は、遠く離れていたり家庭は無かったりして人様々であるが趣味は好奇心と実行で見る見る内に身に着き、人との縁も広まる。自己満足でイインです。まず、自分が趣味を通じて変わらなくては縁も広まらない。人を変えるよりも数段簡単だし、それよりも自分の為に成る。打ち込む事が有る方と無い方とでは、数年後にはかなりの生き様が異なる。身に着けたら磨けば更に光る。世界も広がります。

へんな洋食屋

2008-04-27 08:43:03 | Weblog
そうすれば、大難が小難に変わり上手くすると難が転じて喜に変わる事もある。只、難の起きた直後は沈むし、凹みます。立て直しの切欠なんですなっ!大事なのは。「諸行無常」の言葉通り、諸々の行いに常は無い。勢流も衰退も紙一重だし、山有り谷有りだ。乗り越える力というのも、いわゆる持っている力ではなく気持ちの力です。つまり「心力」です。これを身に着けたら明るく強く生きられるのだがそれが難しい。身に着けるには、身を持って度々・様々な苦難を経験し峠を越えて行かなくては心力は、着かない。という事は、始終である。

へんな洋食屋

2008-04-26 08:29:38 | Weblog
でも、オイラはその自らの不幸を話題に出して面白おかしく話す。で、人は笑って聞いている。マァ、話せるのも絶体絶命ではない訳だし、もう済んだ事で解決しているからケロリと話せます。自分の心中では、その不幸は自らの糧だと思っているし苦い経験は料金を払ってでも買えっ!という親父の教えもあるから、良い勉強とも思っている。そう思えるには一つの「コツ」がある。苦く辛い状況を素直に受け停めるんです。例えば、「苦辛力・不幸力」が身に着いたとかです。で、身に着けたら活かさなくては無駄。活かすのは、自他共には勿論だ。

へんな洋食屋

2008-04-26 08:29:29 | Weblog
昨日の遠乗りでのパンクさえも話題である。こんな言葉がある「人の不幸は、蜜の味」である。確かに、自分を棚に上げるには自らが周囲も認める以上に上位であれば良いのだが、大衆はナカナカそうはいかないから大衆なのである。で、他人の失敗や不幸を逆手に取り「あれ程大変ではないから、今に満足だ。」等と言って周囲を棚下げして比較的に自分が棚上げに成る事を楽しむ。これ、蜜の味程に甘くやめられない事らしい。様々な事件も他人事であれば良い。という心理ですなっ!この言葉、平安時代からあって古よりの真実の言葉であろう。

へんな洋食屋

2008-04-25 08:34:41 | Weblog
「希」なと言えば、マレなんだからそう無いという事。つまり有り得ない迄は行かなくも「有り難い」だ。有り難いとは、皆が始終使う「アリガトウ」である。つまり、希望とは有り難い望みという事になる。マァ、有り難い事だからこそ感謝に成る訳で、「希望」も感謝の望みという事になる。屁理屈の積み重ねで申し訳無いが、その「申し訳無い」だって申す訳も無い程に恐縮しているという事で、大変な詫びを表現している。の割に安っぽく始終言ってしまう。

へんな洋食屋

2008-04-25 08:34:32 | Weblog
希望であるが、ナカナカ困難を避けて活動する事は難しいですなっ!その「希望」であるが、希成る望みと書いてある。頭がかしがるなっ!想えば、オイラは今となっては差ほどにアレが欲しいとか、アーしたいとかの望みは無い。だから、本当の望みというのは希にしかないという事なのか?だからマレに望みが出るから希望というんだと悟る。その「希」、滅多に無い事らしい。安易に希望なんて言っている場合じゃないなっ!これまた屁理屈ではあるが、漢字というのも上手く出来ている様で上手くない漢字も沢山有る。気になり始めたら大変だ。