へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2006-12-30 08:24:10 | Weblog
ふさわしき生活態度ではありません。マァ、人はいいんです、だけど何も産めないでいるから後ろ立てとして祭っている。本来、後ろ立てとは人を言う筈なんだけど、信頼係数がお金>人なのかも知れません。ふさわしきモノ造りは、その位難しい。その振る舞いとか姿勢・思慮・知識も出すモノでは無く、出るモノですから、体から溢れてにじんでくる迄上手に積み重ねで詰め込んでいかなくば成りません。何でもやり続けている内に、詰まってくるし馴染んでくる。そして溢れてにじんでくる。「ふさわしさ」がです。特に、モノ造りは効果的です。


へんな洋食屋

2006-12-29 08:42:11 | Weblog
「金・プラチナ」の話をしましたが、利用価値が沢山有る。オイラは、彫金の趣味が有るので暫くモノ造りをして楽しむ。様々な実用小物を造りました、でも造ったモノを使っている内に不備や使い勝手に問題が出て潰して溶かして造り直す。その葛藤の過程が試行錯誤を産みより巧みに近付けます。その「金・プラチナ」を何千万円分も所有している方が居ます。所有です。産まれるのは、相場の上下に因る精神葛藤、売った後のお金、所有しているという満足感、金勘定です。せめて現在、相場高の時に売って利植すればいいのになっー!とは他人事。

へんな洋食屋

2006-12-28 08:36:00 | Weblog
買い物には、「ふさわしきモノ」の要素が多く含まれる。特に中古品だっ!必要か否か?以前に真眼が問われる。その価値観・真贋・機能の不具・見えない中身・メンテナンスの人脈等、本当の背ッ羽詰まる究極とも言える決心、新品には全く無い心の奥底からの葛藤が渦巻く。決断要素が多い為、当然「ふさわしき」に近付けます。後悔っ?勿論有る。幾度もある。だからこそ、「ふさわしき」に近付く中身が深い。とは勝手なわがままの屁理屈です。失敗は成功の基と言うじゃない!手遅れの失敗ー借金しての失敗ー以外はふさわしきへの授業料です。

へんな洋食屋

2006-12-27 08:48:55 | Weblog
オイラの場合は、結局買ってしまいます。「買わずに後悔するよりも、買って後悔しろっ!」です。勿論、よーく考えて、ウィンドーに鼻をくっつけて、物欲と葛藤します。只ねっ、オイラは実用品にこだわりますから単なる欲ではないっ!使えるか否か?嫌っ、使ってみたい。が専攻し、特に中古品では出会い系ですから二度と出会えないっ!という想いがよぎり、買い。理屈ですが、中古品の場合は「目利き」がモノを言う、多い「真眼」です。新品は、誰でも買えるが中古品の場合は大きく違う。そこには、自分に対する「ふさわしき」が含まれる。

へんな洋食屋

2006-12-26 08:37:58 | Weblog
それにしても「ふさわしきモノ」を得る、選ぶというは難しい。一々考えて入手するのも面倒だし時間が掛る、だから頭を冷やしに店から出て喫茶店に入り一服。それが、金額が張る物とか家から遠く再び出向くには大変なんて時は、葛藤は凄く成る。頭は、ナカナカ冷えず物欲と出会い系の悪循環が巡る。ふさわしいよりも欲しい。が角を出して引っ込まない。そんな時は、問い正すっ!「必要か、否か」を。大概は、必要無いンですよっ!只単に欲しいだけっ!しかも、自分に似合うかどうかなんて考える余地がない場所と時間の困難な状況に、です。

へんな洋食屋

2006-12-25 08:33:19 | Weblog
飽きっぽい性格というのも、それはそれで個性ですが何も築けない。それよりも、展開が早いと解釈すれば気持ちも楽になります。そうは言っても「ふさわしきモノ」を造り上げるには、やはり何かを継続して形に表れなければ他人から見た「ふさわしきモノ」には成りません。だから、コレクターは駄目っ!築けないし、主体性も無い。収集癖と言うか、物欲満たしの自己陶酔ですので尊敬は出来ません。ふさわしきモノだから、まず内面を造らないと、それにはモノ造りの趣味から得た考える力・解決する力・忍耐力、教えを乞う姿勢等から導かれる。

へんな洋食屋

2006-12-24 08:36:15 | Weblog
だから、簡単に始められる事柄。そうは言っても、やり始めると困難の連続です。簡単にとは、お金を掛けないで始め駄目ならすぐに止めて次を行う。駄目とは、行って暫くすれば解る相性です。相性の合わない事柄に時間とお金・情熱をぶつけても必ず止めます。どうせ止めるなら早めに切り上げて次を始めた方が良い、後に興味を持てばそこで始めると違う視点で楽しめる場合も多多あるなっー!お金も掛けてしまうと後に引けない事が多い。型から入る方が居ますが、理屈ばかりで大した事にはならないのが常です。携わっているだけの満足です。

へんな洋食屋

2006-12-23 08:38:51 | Weblog
「ふさわしきモノ」を習得するには、やはり自分を知る以外に「見る・聞く・話す」を続けないとならない。寡黙な方も没個性も、それはそれで個性です。「個性的でない個性」確に言えますなっ!しかし、それでは会話は続かないー人の和は築けないー自らの形成に限界がある。因って、「ふさわしきモノ」は習得不可能でしょ?ふさわしきモノは、実生活の中から活きた体験を基に学んで、取り入れ、そしゃくし、身に付けて、蓄えてこそにじんでくる。それには、様々な事柄に興味を持ち可能な事で性に合うモノを始めた方が必ず近付けます。

へんな洋食屋

2006-12-21 08:25:18 | Weblog
家庭でも「内女の効」等と言う、家族でも親は心の支えだし、従業員も業務上の伴奏者です。だから、人生には必ず伴奏が要る。勿論、各人がソリストなんだけど、それでも人の支えや導き・引き立てがあってこそ活かされる。伴奏は大切だなっ!と感じたのもあるハモニカ奏者と出会ってからです。「ふさわしきモノ」に出会うこともナカナカ困難ですが、自分が窓を開けていないと何も飛込んでこない。最近は、ネットとか言って窓を開けている方も多いが、やはり現物・現実でしょ?「ふさわしきモノ」だって直感に因る部分がほとんどですよっ!

へんな洋食屋

2006-12-20 18:28:30 | Weblog
大袈裟ですが、人間は一人では生きていけない。何かしら周囲の人や、人が築いた衣食住の中で守られています。恩恵に預かっている訳で、それではその環境に甘えながらも「ふさわしく」生活するのが道理です。その「ふさわしき」は、自分次第です。自分を変化させて環境にそぐわせる。趣味だって集め過ぎてゴミでは、環境破壊だし、俺が俺がでは「俺に併せろっ!」です。伴奏とは良く言ったモンで、「伴い、奏でる」という意味。むしろ、相手を引き立たせるのに必要な形。特に、和音とテンポですが音楽に限らず生活全てに言えますなっ!