へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2007-01-30 08:30:32 | Weblog
テレビ等で報道される不祥事なんかは、正に「ふさわしき」でない王道だなっ!実のっている方達こそ「ふさわしき」でなくてはならず、見本と成らなくてはいけないんだが、実りが装飾だとバレる。数字と自分自身は誤魔化せないと言われるがそれでも誤魔化す。粉飾・装飾という飾りは嫌な言葉である。しかし人は、日常何かしら必ず飾り立てて生活をしています。どうしても剥き出せない自分達が有って、装飾が不必要になる年齢や悟りに到達するまでどの位の歳月が掛るのか、また実は生涯無理であるのか知りたいですなっ!品行方性は難しい。

へんな洋食屋

2007-01-30 08:29:49 | Weblog
特に、商店主にありがちな自己保身、税金はできれば少なく納めたい、だから少なく申告する。しかし融資を受けようと考えた時に、少ない申告額だから充分な融資を受けられない。そして言う「本当はねっ!」で、バレる。墓穴を掘る訳です。税金は利益以上には絶対に納めなくてよいのに払いたくない、でもゼロも不審がられるから少なく申告する。節税と脱税は紙一重だから思い・誘惑に勝てない。「ふさわしき」の紙一重の瞬間である。家族経営の私等は、妻・子供にインチキを見せられないから公明な毎日で全然儲からないっ!大変です。

へんな洋食屋

2007-01-29 08:26:55 | Weblog
しかしどうしても「ありのままの自分」を出しきれない。装飾が掛り見栄が芽を出す、シモジモに見られたくないからだっ!だから、ある時、人付き合いの中で参加出来ない事柄も生じる。バレるからです。な~んだっ、嘘だったのか!だから、上塗りが重なる。もう始末に終えない。過去も隠す。「ふさわしき」ですかねっ!オイラの場合、商店主ですから、やはり無様な姿は営業中には見せません。それが仇。普段の生活もハイグレードだと思う方が多く、ありのままの生活を暴露しても質素倹約に感じてくれない。他人の芝生、という事なんだけど。

へんな洋食屋

2007-01-28 08:32:35 | Weblog
只単に、美しく明快な振る舞いをすれば良い訳ではなく、その場の空気を作る振る舞い。様々な時・場所・空気がある。これが自分のキャラだと過ごしていてはいられない。没個性も大事、控え目も大事、奥ゆかしいのも大事。そこのプロが芸能人、彼等はそれを職業にしているだけに巧みです。しかし本当の自分を見せていないから、家庭的でないのは然るべき。我々庶民だって様々な顔を持ち上手に使い分けています。子の親の仕事人の夫婦の、でも演技はしていない。その場のその時の自然な顔を出す、ふさわしい様にでなく、結果「ふさわしき」。

へんな洋食屋

2007-01-27 08:34:55 | Weblog
小結果、「ふさわしき」とは今の自分。特に、誤魔化せない背中に宿ると言います、正面は洋服や化粧・持ち物で何とか化けることが可能ですが後ろ姿は、やはり誤魔化せない。よりも、目が気が届かないから有りの真間が出る。つまり「ふさわしき」は、後ろ姿に表れる。いわゆる「姿勢」「佇まい」です。居ますよねっ!良い年輪を重ねた方、後ろ姿に表れています。振る舞いも素晴らしいっ!振る舞いと言えば、しぐさ。「所作」ーショサ、所を作る。と書く。綺麗な発音の言葉だが使い方は、その場所にふさわしい空気を作る振る舞いですなっ!

へんな洋食屋

2007-01-27 08:34:37 | Weblog
一人前という特異な存在が個性だから、それには長年の研鑽が必要だから当然にその時での「ふさわしき」になる。だらしなく長年を過ごした方は、だらしなくがふさわしい。その様に客観されるのを好まない方は、三芸以上を研鑽すると一芸が光ってくる。何度も言うが一芸では無理っ!それと、モノ造りの研鑽を積まないと個性は出にくい。モノ造りは、自分を作品として表す最大の手段でもあるから「ふさわしき」造りにも役立つ。創意工夫の結果の作品は、二度と同じモノは造れない。だからその時~の自分だ。その時~の「ふさわしき」である。

へんな洋食屋

2007-01-26 08:38:31 | Weblog
バッハの絶対音楽・フェルメールの絶対色彩・正徳太子の絶対政治などと絶対的に誰もが認める事柄、客観的に何百年も変わらぬ何か、主観に「正しい」が揺るぎ無く組み込まれているから時代が変わっても、色褪せない何か。大袈裟ですが目指しています。それには、勿論だが積み重ねた経験と失敗・知識が必要ですから日々研鑽ですなっ!「ふさわしき」は一面、個性だからやはり一人前を造らなくてはならない。一人前とは、一人の前と書いてあるから最前列です。他の追従を許さない輝く個性を築かないと一人前どころかふさわしきに近付けない。

へんな洋食屋

2007-01-25 08:38:53 | Weblog
こうして有る一面、愚痴めいた今の環境に不満をぶつけている自分もいる。何故かっ?それは、オイラは未だ比較的主観にこだわり、絶対的主観に至っていないからだ。「あの状態よりも未だまし」とかもっと苦難を得ている方達より良い。などと慰め周囲の、それももっと大変な生活をしている方達と比較しているだけで自分の本懐に、らしさに、客観的「ふさわしき」に到達していないからです。満足を追い求め満足を得られないのは、人間の常ではあるが、近付けない寂しさもよぎる。絶対的主観に到達するにはいかなる手段が必要か知りたいなっ!

へんな洋食屋

2007-01-25 08:38:43 | Weblog
商売屋の家計に生まれ育ったので、苦ではないが宿したサガー宿命を受け止めて自由な意思の元に選択した生き様ですのでプレッシャーや苦難を楽しむ業も血脈で受け継いでいます。だから、極論ー石ころでも遊べるし学問が出来ます。便利を好まず自分を鍛える事が尊いとも考えている為、ワザワザ不便を選んだりもしています。これが実はオイラには「ふさわしき」と気付いた。不便の克服は、自己向上に通じ、結果的に創造性や好奇心も繋がり解決する術も習得出来ます。その過程が楽しく感じ、生き甲斐にも成っています。私らしさの原点です。

へんな洋食屋

2007-01-24 11:34:35 | Weblog
人は、応おうにして「商売屋の家は、日銭が入って…」などと言って、幻想の生活レベルを想像しているのが、節々に見えます。実は、その全く逆っ!特にオイラの様な食堂は朝から晩まで(これは誰も同じ)の他に、常に何時来るか存ぜぬお客さんに備え毎日が仕込みの連続、オマケに直に経済に関わるから年中、金勘定。本当に夢の中でも仕込みをしています。しかも、この経済状況の中、外食が一番に控えられる為に、楽という事は断じてありません。更に、事業での多大な借り入れも有って必然的にお金には敏感です。宿命と選択の成せるサガ。