へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2007-03-31 08:20:28 | Weblog
イベントや商店街や社寺仏閣は、灼熱を発する鞴(バーナー)です。人は、その短い期間の儚さに引き付けられ集まる集合熱で溶かされ融合する。オイラの店だって同じ、お客さんで充満するー37℃の体温が集合するから店内は熱くなる。しかも、大方は女性客。当然、話の渦だから熱さにふいごが回る。更に食事をして消費熱が回る。凄い流壺です、「壺中の壺」とも言える。そして、そこでの様々な話題、結構シビアで深刻な話も聞こえて神秘状態。毎日が「壺の中」を覗いている様だ。深刻話・見栄話・自慢話・嘘話・真実話など口も「壺中の壺」だ。

へんな洋食屋

2007-03-31 08:20:14 | Weblog
思えば、彫金で素材を溶かすときに「流壺」を使います。高温でなんでも溶かし混ぜてしまう、交差点ですなっ!だから、人間模様を見る為には人間交差点へ出向けば良い。人間交差点は灼熱のドラマがあるなっー!彫金の流壺も灼熱のドラマがある。混ぜ合うある温度に達すると見事に融合し、赤く熱せられた表面張力に因る水滴の如く金・銀が動く。徐々に冷えながら水滴の形のまま黒く固まる。何か辻での人間交差点の模様を呈する。彫金の流壺は、僅か5〓ですが熱せられた神秘を見る。人間交差点も天空から見たら同じであろう。「壺」の中。

へんな洋食屋

2007-03-30 08:32:10 | Weblog
昨日は、はかない代表の「桜」を撮りに行きました。近くに名所たる川沿いがあり、屋台等も出て人も溢れ賑やかです。そこで、オイラは毎年そうなんですが、桜を狙わず桜に引き付けられた人々の人間模様を狙う。人間模様、これは人間のるつぼです。人の集まる商店街やイベント・駅周辺・観光地・社寺仏閣等は、スナップ屋のメッカです。様々な人間模様を発見でき記録紙に写し込める、同時にその「る壺」に流れる人間臭気というか溜ったエネルギーを見る。それは、それぞれの「壺」を引っくり返した正に流壺である。流壺は、回っています。

へんな洋食屋

2007-03-30 08:32:01 | Weblog
「皿」広く畳めない、いわゆる大口。居ますねっ!見栄とプライドが専攻して片付けられない方、大方はそうです。そう言った事も例えとして器の形状で判ります、「壺」は入り口が狭く中はふくよかな形状です。だから、嵌ったら出るのは大変ですが色々を学べ吸収出来る。只、その「壺」は個人に因って異なり相性もでる。かならの腕前の方が入れる壺の口はやはり大きく開いていないと無理、趣味の仲間の「壺」も同じ、達人は達人の「壺」でないと入れません。初心者は「壺」が広く深いと中で溺れてしまう。だから、「壺」の見極めも大事です。

へんな洋食屋

2007-03-29 08:23:31 | Weblog
達人も習う方の心意気で金銭なんて関係なくなる。商売を越える訳です。そうしてオイラは様々をモノにしてきた。そして、今は教授もする。素人は、教えない。あるレベルに達した方と共にやり合うのが双方の「壺」に成るからだ。だから、初心者の内は頂きます。突然達した時に「共に励もう!」にします。結局、「壺」に近付く為には縁ある人の支持や協力を得て自らで近付かなくては何にもならない。ところが、「壺」に蓋をしている方も居ます。見せない方。そんな方に限って自慢話ばかりします。実は、「壺」が浅く「皿」だったりします。

へんな洋食屋

2007-03-28 10:31:26 | Weblog
オイラなんて、知らない事はドンドン尋ねちゃう。そして必ず次回に成果を見せ今一度尋ねる、尚且つ何人かに尋ね話・教えを統合して身にする。それは、相手の言い回しで解釈が変わるからです。でも、それぞれに必ず成果を見せる。すると、次の段階の教えを乞える、益々成果は挙がる。達人たちは、初心者は苦手です。でも、最初は誰もが素人。そこを早く脱すれば段階が挙がり達人の教授も得られる。金銭なんて掛りません、嘘ではないっ!乞う方の心意気です。初心者の内は何かと道具などで初期投資が必要だが、その後は心意気とやる気です。

へんな洋食屋

2007-03-28 10:31:09 | Weblog
恥をかくのも一興。特に若年時の恥は「壺」に繋がる、マァ中年でも何時でも恥を糧と出来るかどうかの心の問題ですが、必ずや「壺」に繋がる。恥の原因である指摘は、誰もがしてくれる訳ではない。言わば、良かれと思って指摘をしてくれるので、可能な限り早急に改善する事が大事。その姿を見て更に指摘をくれる、益々改善し結果として自分が先に「壺」に近付く。必ず得をします。だから、むしろ教えを乞うくらいの姿勢で指摘を受けたら可愛がられもするし益々益も頂けます。それを、会得したらそれ自体が「壺中の壺」の見本ですなっ!

へんな洋食屋

2007-03-27 08:34:00 | Weblog
料理だって、上には上が沢山いる。隣町に有る老舗のレストラン、そこのポークソテーとポークカツ。これは勝負する気に成らないっ!年季も違うがピカイチです。だから、オイラはポークをやらない。周囲を知り相手を知り勝負しない、これも「壺」。怖じけずやれば良いのだが、役割分担とか言って自分流を築く事に集中したんです。選手権とは違うからオイラの趣向とお客さんの趣向が合う事に費やした。趣向・趣味の世界はこれがあるからやってゆける。オリンピックなんかはそうはいかない。順位を決めなくてはならないから「壺」ではない。

へんな洋食屋

2007-03-27 08:33:48 | Weblog
刹奈的な話しに成り過ぎました。ところで、面倒臭い事ありますなっ!大好きな長年続けてきた趣味でさえも面倒な時、倦怠というか何か本気に成れない。実は、今スランプです。五つもの趣味がどれもです、それでもギターでは曲が産まれる。だけど譜面に造るのが面倒、だから頭の中に詰まってきてしまう。でもドンドン浮かぶからモッタイない。譜面に残さなくては次々に忘れてしまうから焦る。この冬眠明けの倦怠が成しているのだろう、写真散歩もカメラにフィルムが入りぱっなしで二週間、彫金も作業台に座り材料を眺めるだけ、壺が遠い。

へんな洋食屋

2007-03-26 08:27:48 | Weblog
外側から眺めるのとは精神的に大分異なる。真横から見たあの麗しい曲線、地肌、意匠の醍醐味も上から覗いたら深井戸の底に溜った古い水に写る自分の顔にも似た、何か別世界の扉の様相です。オイラは、この世とあの世の境の感じがする。入ったら、抜けられない蟻地獄・土くもの巣に見える。大体、完璧なんて望まず気楽に今の力を出せば良いのであって無理を重ねるから挫折がある。「壺」の術中に嵌らないようにゆったりとした正しい心を持ってすればいいんです。嵌った方には狂気的な姿や行動が見られ変人扱いもされる。居ますねっ!