今、研鑽しているショパンのノクターンだがギターでの効果的な表現は難しいなっ!それでも諦めず励んでいるのはこのギターを始めて35年間に幾度となく挑んで打ち負かされてきたのだが、今回でやっつけたい訳である。更に、あのフジコ・ヘミングさんの演奏映像にも魅せられているからだ。表現に困難がつきまとうのは、ノクターンという曲名の通り「夜想曲」つまり夜を想う曲という虚ろでロマンチックで幻想的な表現に極まる。オイラは、あのバラードワルツをスイングワルツに仕立て挑んでいる。ちょっと困難休憩の際に同じ調で別な曲も産まれかけていて連鎖効果もあるが本題はノクターンなのである。今では、得意のテーブル上六つ折ナプキンに片仮名音符がズラリと並んでいる。
休憩時間にいつものプリント屋へフィルムを出しついでに相談だなっ!デジカメをそろそろ買わなくては為らないのか?である。しかし、現在売り出し中の各メーカー色々様々な一眼レフはプラスチック外装の電気製品だから愛着なんて湧きそうにも無いし操作感もダイヤルや電子ボタンだし裏画面だし気に入らない訳である。オマケに未々高価で周辺機器も必要なんて言ったら大した金額を用意しなくてはならない。マア、今直ぐに買うか?とも決めてはいないが、来年夏の積み金の満期迄に考えるつもりだ。とりあえず、プリント屋で大箱フィルムを注文しておいた。フィルムとかの消耗品は、お米と同じでケースの底を見るのは嫌な訳だ。なんかヒモジイ、寂しい、哀れ、哀愁、悲壮、空虚を感じて心穏やかである。フィルムにヒモジイは無いが、とにかくそういう気持ちに為る。煙草も同じ、最後の一箱を開けるのが寂しい。雨降りが続いての下着引き出しのスカスカも侘しい。と、マァ生活の一部に為っているフィルムの話である。
帰宅し、食後に楽しみの「ブラタモリ」を待つ。そう言えばあの奥さん地域歴史歩きボランティアの性かブラタモリや世界街角歩き等の番組を愛観していて、其の話題でもオイラと合う訳だ。きっとまた来てくれるだろう。此のブラタモリ、東京の知られざる不思議空間等をタモリさんが案内してくれ大変楽しい。又、供歩きする久保田さんというアナウンサーが綺麗で歩き姿勢が美しい。嫁さんによるとバレエを長年続けていたに違いない歩き方である。と論。思えば、嫁さんも若い頃はあの歩行であった。嫁さんも高校までの15年間バレエをしていたので姿勢も良い。今では、車に退かれたタコヤキの様相だが当時は若かった訳である。其の後に、スペイン映画「タンゴ」を観る。プロ中のプロを集めた映画だから出演者どれもが凄い。中の一曲が耳に着き寝られない。とうとう夜の夜中にピアノで音を拾う。明日からの新曲である。おかげで寝たのは明け方四時である。
昨夜、中区文化ボランティアを自称する一見ご夫婦。文化ボランティアだから入店する也、壁の街撮り写真に目が向き注文もそっちのけで話し込む。「何故こんな写真が?趣味?取材?デジカメじゃないの?」と矢継ぎ早である。相当の興味の奥さんだが、ボランティアで中区歴史歩き為る催しやマリンバの演奏などで参加しているらしい。そうこうしちつ、ご主人はギターへ目が向き「俺、やってんだよっ!マスターが弾くの?ジャンルは?ボサノバ弾ける?」ときたモンだ。嫌味なご夫婦でもなく、強い興味を示してくれたので食後にねっ!と誤魔化し「ボランティアとは言うもののプロかも?ヤバいなっ!指動くかな?」と呟きながら調理~食後に為る。「ちょっと一曲聴かせて?誕生日なの」仕方がない。プロかも知れないので、なまくらなボサノバの前に強烈圧倒爆発のフラメンコしかない。気勢を制する意味も含めてブレリアの早弾き。口が開く、術中に落としたので好みのジャンル七変化で流し弾き。満足してくれた様だ。ご主人はとうとう弾かなかった。
駅裏の路地では、まだ6時にも係わらず電信柱に片手をついてゲロゲロしている紳士もいる。撮影してしんぜようと考えたがフィルムが無い。相手はゲロゲロで無防備だから失礼だし写真道を極めようとする道半ばのオイラとしては、仁義にも関わるから止めた。しかし、まだ6時であの状態だから今後は如何なモンであろう。電車なんかあのまま乗られたら堪らないなっ!と不安が過る。思えば、お金使い飲んで呑まれて食べた食材やアルコール飲料を全てゲロゲロとは、あの金銭はゲロゲロに導く為の金銭だったのか?聞き込みをしたいモンである。無駄の極みだなっ!更に、想像だがゲロゲロでスーツのズボンの折り返し等にゲロゲロは入らないのか?革靴はどうなのか?靴下どうか?心配というよりも気になるなっ!余計なお世話であろう。更にあのゲロゲロは翌朝どうなっているのだろうか?何処の誰が整理整頓するのか?調査が必要である。無駄の極みから生じる地域社会への迷惑も一つの学問に為らないのか?文化庁や文部科学省へ打診したいモンである。
山下公園からの帰途、関所が二軒在りつい先日にも其も関所から年末セールの葉書が届いたので手形を見せなくては為らないからどうしても立ち寄る。どうしてもという事ではないけれども散策徘徊に禍根を残したくないし、出会い系での新発見にも期待する。中古カメラ店だ。年末セールにて10%引きと張り紙がありヤバい、一応、後学の為に見物させて頂く。マア、ライカと言えどもデジカメに押され大分安くなってきた処へ10%引きだから3物体を拝見させて頂く。あまり気持ちは動かずお店を出る。ふと思い出し、前回上手く刈られなかったカットの手直しに床屋へ向かう。歩き疲れて床屋の椅子に座るなり眠くなる。あれ、不思議ですよねっ!必ず眠くなる。疲れが出る椅子なのか?前回の事もあって今日は半額であった。床屋の帰りは、久しぶりに野毛の街を歩いて京急日ノ出町駅へ向かう。ちょっとネオンは綺麗ですなっ!日中の明るさの中でのゴミ箱散乱やノーメイクの飲み屋のお化けママや薄汚れ倒れ架かった居酒屋が闇に隠れてやはり夜の街である。スナック
の日中ノーメイクお化けママを一生涯見ずに通う常連客は幸せだっ!偽装の極致である。昨夜美味しく食べた焼鳥や湯豆腐や鯨の刺身なんかも翌日のあの街角のごみ溜めや街の汚れを観たら二度と、であろう。駅へ向かう。ストリップ劇場の大看板がこうこうと輝き、呼び込みの汚いおじさんが小声で宣伝している。きっと、呼び込みは違法なのだろう。中々の夜情であった。
の日中ノーメイクお化けママを一生涯見ずに通う常連客は幸せだっ!偽装の極致である。昨夜美味しく食べた焼鳥や湯豆腐や鯨の刺身なんかも翌日のあの街角のごみ溜めや街の汚れを観たら二度と、であろう。駅へ向かう。ストリップ劇場の大看板がこうこうと輝き、呼び込みの汚いおじさんが小声で宣伝している。きっと、呼び込みは違法なのだろう。中々の夜情であった。
山下公園前まで来た。やはり、ドテラほっかぶり絵描き達やベレー帽写真家達がう~んとか唸っている。オイラも降車してから並木までの間にフィルム二本を撮り終える。フィルム交換ついでに一服、マックで「いつものっ!」と心の中で呟き注文し窓から山下公園銀杏並木人間模様を眺める。ふと横を観ると、初老の紳士がテーブルを広く使いパソコンやら書類やら新聞やらを拡げ「どうだっ!」という感じでシワを寄せてごちゃごちゃ行っている。まるで仕事場か、書斎である。このマックの喫煙席で何が産まれれのか?日本を世界を揺さぶる仕事に通じるのか?自信に満ちていて目障りである。で、其も人間模様だから静かなシャッター音のライカにてファインダーを覗かず、カメラを見回す感じで撮ってやった。目障りな悪者を狙撃した感触だなっ!
起きるまで寝た。当たり前だか、そういう事である。天気次第という事で山手通り行きのバスに乗るが不安はある。乗り物酔いでいつも山手通り迄は乗っていられずにぶらり途中下車に為る訳だ。今日も早、バス停七つ目辺りで危ない感じである。オイラは昔から他人の運転は駄目な方でタクシーなんかは決して乗らない。お金だして乗り物酔いも馬鹿らしいモンである。山手通りへ行くには、平地走行の後に大坂を登り尾根伝いにくねくね道を走るから堪らない。210円でわざわざ乗り物酔い体験を購入している様な次第だ。案の定、バス酔いである。ちょっと耐えられないなっー!降車ボタンを押す。~小学校前だ。乗車客は皆、此の親父が何で、どんな用事で小学校前で降りるのか?という視線を感じる。「バス酔いなんだよっ!辛いんだよっ!吐くぞっ!」とは叫ぶ余裕も無い。でも、山の上だから後はぶらぶらと降りるだけだから楽なモンである。マァ、目的は銀杏並木散歩な訳だから早々にバスを降りて其の分たくさん歩けば高脂血症にも良いと判断した。
今朝ね、伝票をやっているとFM横浜でショパンのノクターン9-2のジャズボーカルを流していた。一瞬手が止まる、「おっ!」聞き入る。今まで何度と無く弾いてきた曲だが、原曲はピアノ曲だから絶対に敵わない。此のショパンのノクターンは数十曲の演奏家バージョンを録音して持っているがオイラの好みは「フジコ・ヘミング」の録音盤である。ノクターンとは、「夜想曲」の事。更に此の9-2は、アメリカ映画「愛情物語」の主題曲にもアレンジされた名曲である。確か「バート・バカラック」のサウンドトラックだったかな?名曲を名演奏に仕立てた大昔の作品だ。オイラも何十年間、何度と無く挑戦してきたがギターではどうもしっくりいかない。今朝の放送ではじけた訳である。そうっ!ジャズの三拍子スイングならばと。早速、伝票を中断しギターに持ち換えて曲をなぞる。三拍子のスイングである。活けるっ!で、晩である。得意の六折りナプキンにメロディーを片仮名書き、和音を宛てていく。我ながらちょっと良い。と、マァ暇任せのあれこれ音楽夜話に為
る訳である。
る訳である。
暇に任せてのギターの稽古が飽きずに出来るのは、音楽趣味人達の常連客のお陰でもあるなっ!勿論、ギターが好きなのは当然だが毎週毎週来てくれる音楽趣味人達の無理難題も励みである。例えば「此の曲、マスターならどう弾く?」とか「あの曲は、こんなリズムならどう弾く?」等という半鎌掛け的な誘導である。つまり、即興で弾けるのかな?という事だ。マァ、其なりに難とか曲の形にはするが、次回の来店迄に完結させようという意識つまり負けん気が働き毎日毎日がギターの稽古に為る。ハモニカでもフルートでもピアノ曲でも相手の楽器を問わずギターならばこんな演奏に為るなっ!という事で宿題をこなす。だからと言って、其の相手が其の曲に固執している訳でなくオイラ試しをしているのも感じている。でもね、其の事で常為る新曲挑戦に臨め自らの音楽人生に励みも発展ももたらす訳である。そういう膨大なお試し曲の中から自分の曲にするのは、僅かだが気に入れば譜面起こしに至るのである。