へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2008-03-31 08:31:55 | Weblog
で、行く先々は前々からお客さんと話し聞いておく。幸い、へんな洋食屋には県内様々な地域からのお客さんが居てとにかく聞いておく。そしてある日出掛ける。プリントを掲示するとそのお客さんが来店した時に再び話しとなる。その瞬間は、お互い知り得る地域の話となるから縁は少し深まる。という様に、趣味の様々を関連着けて行うと更に楽しめる。情報媒体も様々に有るが、オイラはやはり人に尋ねる。そして実行する、報告する。この一見まだるこしい一連が人との縁であり経験であり知識へと結び付く。会話から産まれる経験は大である。

へんな洋食屋

2008-03-31 08:31:48 | Weblog
先日行った三崎のプリントが出来てきた。広角レンズで路地から路地、狭地から広地と写し出来栄えはマァマァですがプリントを見ながら様々を思い返す。道中の経路や景色、その日の気候や風、グルグル回った路地、話をしたオバちゃん、ホォ張った鮪丼、ガス欠した交差点等々出来上がったプリントをながめ二度楽しめる。旅行く前の計画から朝の支度での感情、行った先々での旅情、プリントを見ながら部屋での叙情と想いをはせれば幾度も楽しめる。旅費なんて500円、プリントや食事やらで3000円と安く随分楽しめる。細やかな楽しみであるが。

へんな洋食屋

2008-03-30 08:42:16 | Weblog
旅情と言えば、景色が良く美味しい名産があり神社仏閣も由緒があってとなるが、クラシコカメラをブル下げて散歩するだけでも気分は旅情に成り下町の食堂にでも入ればもう叙情豊かになる。昔から有る中華屋さんの赤い格子の経て具なんて泣かせますよっ!入ってみると正面に海亀の剥製、丼の中華模様、希にテーブル上のおみくじなんか有ったりして。そういうのって、やはり昭和の残る下町にしかない。オイラ自身が下じもと言えばそうなのだが、何か和む。大都会に人情・叙情・旅情を感じるの出来ないのはオイラだけでは無い筈だと思うが。

へんな洋食屋

2008-03-30 08:42:09 | Weblog
先日も発見、以前無かったが出来た。フィルムのプリント屋さんである。入ってみると人なつこい若夫婦が始めた店で相性も良いから次回から利用しようと考えている。勿論、安いっ!これ大事。続かなくては人との縁は広まらないからである。残念なのは、昔からの食堂が無くなりレトルト使用でアルバイト活用の店が増えた事である。この場合、店の御主人は常には居ないから信念なんて見受けられずどうも相性が無い。信念を掲げて従業員任せは、商売利益にしか思えず近付けない。それでも下町の南区には未々人情・旅情・叙情が残っています。

へんな洋食屋

2008-03-29 07:09:48 | Weblog
という事は、自分の生まれ育った土地だって風俗や民俗や風土とかが有る。日常過ぎて気付いていないだけである。オイラは横浜の南区に生まれ育ったが数年前から全ての道・路地を歩き倒して地図造りをしています。勿論、番度している訳ではないが年に何度か地区を決めて歩く、近隣と言えば近隣だが新ためて歩くとそれは叙情的古典派印画機械持込散歩術学だ。当然、クラシコカメラはブル下げてである。この年に何度かが再発見に結ぶ、有った家が無かったり四季を感じたり、入りたかった食堂に入れたりして叙情豊かな一日を過ごせます。

へんな洋食屋

2008-03-29 07:09:40 | Weblog
その叙情という字だって、又余りある情けと書いてある。つまり、日常の感情に余りあるもっと広く深く心打つ情けに違いない。旅情なんて言うの広い範囲で同じ。旅行けば~の浪速節の如く住んでいない土地というのは、別な香りもして土地の食べ物なんかも普段と違う。それら全ての味わう感情が叙情ですなっ!勿論、叙情にはその土地の育んだ歴史なんかも含まれるから別世界が展開される。風土なんかはその類であろうし、風俗や民俗も長年に育まれている。しかも育むのは、その土地の人々だからその人々ソノモノがその土地なのである。

へんな洋食屋

2008-03-28 08:20:03 | Weblog
三崎までは、距離にして70〓、時間にして二時間半。この道中を前々から地図で調べる楽しみも小旅行の粋興である。何度か出掛けているが、其度道中を変える。知らない街や見た事の無い景色も楽しめるし、調べた道だって常に不安が有るから道端で尋ねる。その間、次回は此処へ。と想う土地にも出会えます。目的地へ着き散歩を開始すると、去年まで有った風呂屋が無かったりしてそれはそれで寂しい感と、この街の常連だと言う気持ちも出る。細やかな趣味ではあるが、比べるモンでもないし叙情とは一個人の心の受け取る感情だから自己愛だ。

へんな洋食屋

2008-03-28 08:19:56 | Weblog
昨日は休日にて久しぶりの叙情的古典派印画機械持込散歩術学、三崎へ出掛けた。漁師町、入り組んだ港町、路地と坂、一限の観光客、趣味の釣人、丘陵の畑、信号器の無い道、大漁祈願・航海安全の社寺、潮風に負けない蔵造り、等々被写体に事欠きません。そして潮風、青い海、干物屋さんのおばあちゃんとの会話、心も豊かに成る。行き詰まりの発展の難しい街ならではの光景と温かみが有る。貴重な街遺産である。ミニバイクでヒトッ走りという距離ではないが道中も楽しい。混雑の道を避けて行く幾度もの峠越えも不安を抱えつつの道中である。

へんな洋食屋

2008-03-27 08:34:22 | Weblog
大体がオイラ流というのは、ある基礎を踏まえた上で自分にとって弾き安く古典に囚われない流儀である。が、クラシコ(古典)は作曲者の心意を汲みつつも自己表現を組み入れる。勿論、音符の一字一句を踏み外せないので、そこに困難が存在する。「~通り」程、難しい事は無い。増して、バッハの曲などたった1ページの曲でめ完奏に何ヶ月も掛ります。それも10年以上の巧みがである。オマケに、舞曲なんて自分自身も踊る心を持ち合わせて弾かないと雰囲気も出せません。オイラも25年弾き続けているバッハの曲が有るが未だ人前では弾けません。

へんな洋食屋

2008-03-27 08:34:13 | Weblog
で、その方と入れ換えに教員でありギター弾きの方がいらして二曲弾いて頂いた。その先生は、クラシコ畑で久しぶりにクラシコギターの音色を聴いた。かなりの熟達で、バイクで来店後冷えた指でイキナリ難曲を弾いた。チョッと驚いたっ!大体、その曲は10年以上のギター弾きでも仕上がりに1年は必要とする大曲であり難曲。それを、冷えた手で指慣らしも無く弾き始め、止まるかと思いきや完奏。プロでも相当に指が動いてこないと弾きません。居るなッー!そんな方。で、バイクを跨いで帰って行った。是非にクラシコライブをやって貰いたい。