家に帰り、まずカメラの手入れですなっ!これ大事、手入れしながら今日歩いた道筋を辿り思い出す風景の様々。食事の内容、カメラの元気状態等、家に着いても叙情は終らない。出会った人、会話もしたし、カメラで挨拶もした。挨拶と言うより立ち会いですなっ!お互いに、顔でなくカメラに意識が有る。「お主、出来るなっ!」て言う感じですかねっ!その振る舞いや所作、立ち姿勢をカメラを通じて判断します。露骨にも、取得金額をも推察し「恐れいった。」と挨拶をかわし振り向かない、でも撮影ポイントは大体同じだから再び会ってしまう。
という事にて、只今叙情的古典派印画機械持込散歩術中です。今日の騎馬は、ゆっくりと自転車にて港の方角へ出ています。帰り道には、リハビリの為の中古カメラ店が二軒有りそこを素通り出来ないのが楽しみです。辛いと言うか、わくわくすると言うか、それも叙情ですなっ!騎馬自転車に由る散歩も景色や風を感じられてナカナカ粋なもんです。移動に時間がかからないのと一方通行が関係無い、少し置かせて頂いてもお金が必要無い。只、雨の日だけはねー。自転車なら、5.6駅遠くまで軽く行き帰りが可能で買い物も最適だなっ!自転車散歩。
切欠ーキッカケ、よく考えた字ですなっ!調べたら、刀の刃溢れから生じる刀折れらしい。命盗りです。という事は、悪い意味に使われる言葉だと判りました。今では、「~をキッカケに、実を結んだ。」等と好意的に使いますが、嫌々とんでもない!言葉も解釈が大分変わりました。こんな事も、民俗学です。だから、叙情的古典派散歩を切欠にしてなんては言えない訳ですなっ!そう思えば、様々な言葉も厳密に由来を調べたら結構間違った使い方をしているかも知れません。歩みを散らしながらポスターや広告などを題材に研究するのも、また楽し。
歩みを散らす事で、それを続けて何か発見しチャレンジする。歩みを散らす事で見聞を広めて選択肢を伸ばせば必ずや自分に合う趣き有る味わいの事柄が見付かります。メディアや情報誌は、ウワベですよっ!CMにしか過ぎません。マァ、それを切欠にして歩みを散らすのも一歩ですが読みすぎて迷う。誰かに背中を押して貰うのも一つ、励まして貰うのも一つ。とにかく、始めなくては何も産まれません。一つ始めると他の色々も見えて興味が出て事が広がり進展もします。それが、生活に潤いを与え万事が建設的に考えられるように成って相乗します。
そんな趣味がなかなか持てない、殆んどの方が打ち込む趣味を持っていない。道具や教室に通うことで納得してしまう。マァ、趣味の範疇でしょうが実は只の習い事に過ぎません。読んで字の如く、趣味とは、「趣き有る味わい」です。かなり客観的ですので、人が見て趣き有る味わい、という事ですなっ!ですから、やはり一人前の型に到達して始めて、人に趣き有る味わいを提供出来るモノと思います。「あれもやった、これもやったことが有る」は、単なる経験でしかない。思えば、趣味探しは難しい。探す、そうっ!歩みを散らして考えましょう。
その型、叙情的古典派云々も、有る種「型」嵌りです。まず型に嵌る、型が完成する迄、脇目を振らず信心して完成に導いてその後、オリジナルの自分の型に変える。その時こそ他の追従を許さない姿、その前には誰もいない、そうっ!一人前の型が出来上がる。師匠の指導の内は、人まねでありいつ迄も追い越せない葛藤のまま熟成してしまいます。やはり、~流という家元に成り新たなる境地を築かなくては始めた甲斐がない。そこに到達するには、様々な知識・経験・人付き合い等を学問の如く習得しなくてはならない。その位の趣味を持って良い。
しかしながらその師匠任せが良くない。やはり家庭なり自身なりがある程度の節度・道徳を身に付けていないと受ける気持ちにブレがでます。結果、批判しあい不幸を招く。素直な心、叙情豊かな精神が無くば師匠は面倒はみてくれません。演技ではない素直な感動心を得るには、叙情的古典派印画機械持込散歩術か叙情的古典派自己奏楽器学は最適だなっ!何しろ、積まなくては習得出来ませんから。一朝一夕では、不可能です。型に入るまで五年は必要、やはり型は大事、いわゆるフォーム。音楽も写真も動作ですから基本の型は必ずある。大事です。
先生ではないっ!先生・教授は、専門分野における教え人です。それ以上の方が居ます、「師匠」ですなっ!師匠は、専門分野の教授にたけているだけでなく、それを通じて正しい生き様を指針しその後の人生をも導いてくれる存在です。皆さん、身近かな人では両親・祖父母が居ますねっ!「師匠」です。必ず我に良かれと叱咤激励をしてくれます。自分達の環境も性格もよく知ってるからこそ可能です。ですから、始めは先生・教授も相手の生活環境・性格等を判ってくれば適切に指導が出来る。家庭との信頼関係も不可欠、そこから師匠の入口です。
兎と亀の話、コツコツと積んだ方が目的・目標に堅実に近付ける。ニュースでも大騒ぎに成ったある会社と名物社長、正に功名を急ぎ他を蹴落とし取り込み結果ズルをして目標に到達出来なかった。些細なことでも沢山有りますねー!過程を大切に過ごさず結果ばかり急ぎ失敗。積み重ねの時期は、ゆったりとした正しい心の動きを持ち、張り合わず競わずコツコツ続けてゆくしかありません。そうして身に付けた知識・技術は決して忘れないし苦労は、人に教える場合も手順良く丁寧に伝える事も出来る。巧みに出来る。そんな方は先生ではありません。
ですから、歩みを散らすとは見聞を散らす。強いては、幅広く知識・人との縁を広げる、そして趣味に職業に還元して生きざまを開花させる事に繋がります。人付き合いも職業も趣味も篭っていては自分中心となり行き過ぎる、人に聞いてばかりも迷う。冷静になる術を設けて、縁も深め、歩みを散らしながらも前を見て回り道や辻で立ち止まり見つめ直し正しい判断を考慮し進む。立ち止まるが、足踏みは止めない。すぐの一歩が出るように体と頭脳の血流は回しておく。兎と亀の話、兎は亀の前に居ることが、亀はゴールが目的だった。だから侮った。