へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2007-12-30 08:24:18 | Weblog
だから色々の「腕の見せ場」は、自分が経験者であれば大体は判る。特に職人芸とも言える創作物は暫し絶句する場合がありますなっ!最近、NHKの「美の壺」なる番組に填っているが、どれも「手仕事」の作品でしかも達人中の巧みが「手掛けた」モノばかり。毎回、驚嘆に絶句である。オマケに、それぞれが芸術性を多く含みしかも作者の宇宙感とも言える信念が宿っている。叙情的古典派印画機械持込散歩術学をしていると、アチコチ所々にも存在する。建築物や石垣に多く見られるが、玄関の開いている家の玄関先に飾られる品物にも目が付く。

へんな洋食屋

2007-12-30 08:24:10 | Weblog
その写真家でありハモニカの達人が昨夜も来てくれてフィルムを五本五百円で譲ってくれた。安いっ!何かオイラの家は頂き物が多い。いい度胸をしているのは、料理人一家へ自己調理した料理を持って来る方。評価を得たいのか?勝負を挑んでいるのか?はたまた、当店を下げずンで居るのか?微妙な心境で受け取るがやはりそれぞれが美味しい。自信がなければ料理の世界の末席でも汚しているオイラに持って来ないなっ!それも様々な奥さん達の「腕の見せ場」であろう。腕の見せ場は、その過程を見なくても結果に表れる。経験者は判るのだ。

へんな洋食屋

2007-12-29 08:34:37 | Weblog
太陽光などの自然光は、自分では造れないから天気予報や太陽の高さに因る光の角度と強さを待つ。ある梵鐘のプリント、その日を予測しめがけて出向き撮りたい光線の出会い迄ジッと待つ。そしてその瞬間は、何秒も無い。つまり夕方の光線は毎秒移り変わるからだ。その日、朝から出掛け何時間も待って12枚をプリントに焼き付けたそうだ。その間は、寒さでシャッターが押せない様に常に手を暖めて待つ。その位は想像に固くない。「手作業」とは言え指先一本のしかも瞬間の作業だがその梵鐘のプリントには写っていない巧みの精神が入魂してる。

へんな洋食屋

2007-12-29 08:34:31 | Weblog
昨夜、ハモニカの達人が白黒プリントをくれた。見事な焼き具合いである。オイラも写真術を25年前から行っているのでそのプリントに写っていない「手仕事」が見える。ハモニカの達人は、実はプロの写真家である。今迄にも何枚かのプリントを頂いたがどれもオイラには撮れない。技術も勿論だが、「待ち」の術が巧みなんです。写真は、画面的には光と陰に質感や心象が表れるからその光と陰を待つんです。何時間もどころか、何日も何ヶ月もです。勿論、培った予測はあるだろうがそれにしても待つんです。それが本当に困難なのには驚いた。


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2007-12-28 08:43:31 | Weblog
植木職人の巧みな鋏使いも見せて頂いた。で、一回りしバイクを置かせて貰った境内に戻ると片付けの最中で、あの竹箒と熊手で境内に模様を描いていた。多分、大晦日の練習だろうがそれにしても巧い。その方々が夕焼けのシルエットに成って作業の郷愁を描いていた。帰途は必ずに次回巡る為のロケハンをするが、相模湾から三浦山脈を越え東京湾に出る。その途中の様々な田園・集落に次回の叙情的古典派印画機械持込散歩術学を見た。大根の収穫時期で作業の終わりに腰をたたく農家の姿に手作業の一日も映る。手作業は終了後にも表れている。

へんな洋食屋

2007-12-28 08:43:23 | Weblog
店を手伝ってくれている娘が書道10段なんですが、やはり筆を落とす時の「手捌き」は感服する。しかも「単甲法」という筆の一番後ろの紐が付いている場所に近い部分を持つから半紙迄の距離が30〓位離れている。オイラも真似をしてみたが恐ろしくて出来なかった。その「手捌き」はナカナカに美しいモンです。昨日、バイク騎馬で葉山の近くの森戸へ行き森戸神社では初詣の支度で広大な境内の清掃をしていた。そこの宮使えの方々の竹箒の捌きが素晴らしいっ!あまりに見事なのでパチリ、周囲の水彩画を描いている方々のの画面にも「箒使」。


へんな洋食屋

2007-12-27 08:32:42 | Weblog
それを疲れない様に「手抜き」するのも「手捌き」という技術の一つである。曲の休み所を真っ先に捉えてそこまでの「手継ぎ」を進める技術。なんか水泳の息継ぎ、管楽器の息継ぎにも似た心理がある。書家の方の捌きを見ていると、やはりリズムがあり筆休めの瞬間がある。拍が止まる訳だ、つまり「休符」。そして、勢い。と、リズム感の有る「手捌き」を見る事が出来る。それでも、最初の筆。つまり筆を置く瞬間には緊張が漂う。しかも、筆を置く以前のゆったりとした心造りにもその「道」の研ぎ澄まされた精神を懐間見る事が出来ますなっ!

へんな洋食屋

2007-12-27 08:32:34 | Weblog
「手捌き」と言えば、先日の宴会で手品を披露する方が居てマジシャンの卵らしいがやはり手捌きは驚いた。騙しと言えば、そうなのだが何しろ大袈裟な手振りをしてソチラに注目を行かせ陰ながら「手の内」を仕込む。でもそれが見破れない。ダイナミックな反面、実際の手仕込みはコンパクトである事に自分の職業・趣味に活かせる様学んだ。楽器の演奏だってある意味指の運動な訳だから、何時迄弾いても疲れない動きの技術習得が必要。実際ギターは弦を押さえ込み指を放す迄が音の長さだから5・6分の曲になると大変な労力を必要として疲れる。

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2007-12-25 08:29:49 | Weblog
参考書や教則本などでは、基本的な技術しか教えてくれないし、また教授教室でもその先生の感性を見極めないと習う訳だから、見本とする訳だから結果としてつまらない演奏やモノ造りしか出来なくなる。そこは「手作業」として解釈し「手捌き・手並」などの感性や芸術は自らアチコチ・様々・色々と別のジャンルから吸収しないと自分のスタイルは築けない。常連のハモニカの達人がギターを習得したいっ!とギター教室を探し始めたが疑問である。努力家だから頑張っていくだろうが技術ばかりに目が行くと後からの感性造りに障害を招くからだ。

へんな洋食屋

2007-12-25 08:29:40 | Weblog
技術論はともかくやはり技術は修練の賜である事には変わり無い。その修練の仕方である。しかし、そこに芸術を魂入するには共に感性も磨かなくてはならない。舞踏や歌の伴奏などでは、正確なリズムとフレーズの区切りが大切であるが、器楽では音楽性という感情表現が大事。その表現の為に技術的な音質やタッチが必要であるが、その前に心造りが無いと身に付けた技術は活かせない。そして指なんか忘れての、間違いやミスを恐れない集中である。職業である場合は、ノーミスも大事だが趣味の範囲では自己表現をどうしようか?が重要ですよっ!