へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2007-06-30 08:39:33 | Weblog
でも、その時代は今の様にメディアでも正当的・伝統的な字体しか扱っていなかった為、賛否両論の否が強く受け入れて貰えなかった。やはり大家でないと駄目かっ!と考え暫く小筆は封印した。しかし、今では個性的・芸術的な字体に目が向いている。つくづく思うが、中国の古い「篆字」なんて象形文字です。字は、体を表す。と思うんだけどなー!マァ、オイラはこれから新ためて濃い墨の枯木体を進めていくつもりです。と、その時その時代はで流行がある様に、道徳論だって変わる。だから、法律がだって時代を反映していかなくてはならない。

へんな洋食屋

2007-06-30 08:39:16 | Weblog
手書きのと言えば、一時店のDMに役立てようと、小筆を習った時に教授してくれた方が「マスターは、下手だからいっそ独自の字を書きなさい。」と言われて、先生が名付けてくれた書体「枯木体」。字の如く、枯れ木の様の筆使いです。その時に念押しで言われた事、漢字は体(意味)を表すからその字成りをよく解釈しなさい。と。確に、漢字は象契文字的要素が強いから形なりの字が風情を持つ。自然現象や古の造作の形は、純で理解しやすい為、侘寂を含んでいる。下手成りにそこを活かして「枯木体」を考案した。というか、そう成った。

へんな洋食屋

2007-06-29 08:24:04 | Weblog
そういう手造りの維持された古い佇まいの街を歩くのが、叙情的古典派印画機械持込散歩術学。コンクリートの街は綺麗で清潔感があるが、叙情や温かさの風情はありません。これから更に増えるだろう。逆に、消防法や建築法などで益々淘汰されるのが下町。せめて映像に残したい。思えば、オイラは平屋の木造住宅に育った。ゆくゆくは、平屋の家を建て過ごしたい。やはりオイラは、古いタイプの人種であろう。手書きの書類なんて少なくなりましたねっ!希に見ると斬新ですし、その文字の勢いや濃さに気持が表れている。何度も読みますよっ!

へんな洋食屋

2007-06-29 08:23:51 | Weblog
その見聞だが、叙情的古典派印画機械持込散歩術学を重ねるうちに見えてきた事があった。戦災に遇ったかどうか?遇わずにいた街は、残る。古い佇まいを残し風情ある街を形作っている。が、街の道路は真っ直ぐでなく狭い、家々は密集し火災でもあったら大変だっ!経済的に楽では無さそうで潜んでいる感がある。だからこそ、昭和の郷愁を残し懐かしさに溢れている。街の人々もなつこく温かい、そして残された緑や木造家屋の出す雰囲気が涼しげです。コンクリートに囲まれていないからだろう。そう言った空気感に満喫するのはオイラだけかな?

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2007-06-28 08:20:49 | Weblog
だから、必要に関係無く常に教えを乞う。ここで、教えのプロは駄目っ!どうしても教授が生業だから金が絡むし、教え切らない。教え切ったら金の縁も切れるからねっ!むしろ、製作・調査に信念を持つ方の方が教授は下手でも、全てを伝えてくれる。モノにするかは自分次第だ。教えまで言わなくも、見聞も大変参考に成る。百聞は一見にしか有らず、とはよく言ったもので、出向いて目の前で示された事柄は強烈に脳裏に入り脳への刻が深いから忘れず何時でも取り出し役立てられる。だから、興味以外にも出て・見て・聞いて・試してを重ねる。

へんな洋食屋

2007-06-28 08:19:30 | Weblog
今、娘にジャズ・マンドリンを教えて二年。やはり音楽理論ージャズ理論とか、取り上げる曲の背景などを通し遂には自分流に導きたい。只、生活を供にしているからバイク乗りや生活環境の中で同じ様なスタイルになるのは当然だ。思えば、政治家二世なんかはその環境の産物です。オイラだって、商売家に産まれ育ってきているから遺伝子的にも独立の気風を持ち、家元の気風も潜んでいた。巧いか下手かは別にしても基本を学んだら「創意工夫」を巡らせて自己流を築き「家元」に成ろうとする。でも、家元であっても未だ学ぶ事が沢山有りますな。

へんな洋食屋

2007-06-28 08:19:17 | Weblog
オイラの今だって決して自分一人で形作った訳ではなく、全てに師匠が居たのですがその師匠達は、掌握術とかアピール術にたけていなかったので今のオイラの術は、自己流と言えば自己流なんですが「家元」です。自己流という意味も様々あるが、一般論では「自己勝手流」「自己都合流」と捉えられるが、オイラはたっぷりの基礎・基本の上に様々な趣味・見聞・感性から結んだ行いですから、写真もギターもバイク乗りも料理も彫金も「家元」です。これ、自慢っ!だから、教えを乞われても無理っ!せいぜい基本の仕上げくらいは教授出来るかな。

へんな洋食屋

2007-06-27 11:12:48 | Weblog
だから、「学ぶとは、真似ぶ」という言葉が活きてくる。確に、学んでいる時期は先生なり師匠なりの教えてくれる通りに習うことでレベルに近付く。すると、当然に教授者のスタイルにも似てきて瓜二つに近付く。もう結構なレベルに達している。そんな生徒が何人と集まると「派」の形成だっ!いわゆる「流派」。それでも、そこから枝分かれし独立の派を造れる方も居て、「家元」となる。勿論、家元だから「一人前」です。その一人の前には誰もいない。但し世の全般に受け入れられるか否かです。そこからは、掌握術とかアピール術に因ります。

へんな洋食屋

2007-06-27 11:12:34 | Weblog
正しいけど、許せない事柄は沢山あるなっー!人の行う色々な有り様に欲・見栄・意地が加わるから段々とスレスレに近付く。だけど権利は、主張する。義務を怠り権利は主張する。義務と法的とは異なる場合があるから、「何が悪い!合法だっ!」と粋巻く。粋巻いた方の場合、殆んどがスレスレです。確に、決められた通りに行うのは難しい。音楽だって、譜面通りが難しい。作者ではないからどうしてもその心理が掴めないので、アレンジをして自らの意思を出す。思えば、「物真似氏」は凄いっ!いわゆる譜面通りです。しかも生業にしている。

へんな洋食屋

2007-06-26 08:28:37 | Weblog
秘伝と言えば、挽き肉加工業者の配合は「秘伝の配合」であったに違いない。マァそれでも今の科学をもってすれば、世の中の殆んどが解明可能だから直隠すのも難しい。だから、役立つ事柄は知的所有権を活用すれば開発の苦労に報いれる。しかし、インチキに知的所有権は無いだろう!合法的に、なんて言葉も何かスレスレという感がある。だから、暴かれても道徳論に訴えられ消滅・破滅に至る。やはり、道徳は強く偉いっ!道徳で何ともならない事を法律が補うが、スレスレは合法的なんだけど、道徳が有って、いわゆる「村八分」に成る。