隣の席のお兄さんは、デュポンのライターである。銀色の渋い奴だが、年齢的に似合わない。吸い口を使う煙草飲みも居ない、オイラだけである周囲の煙草飲みは変わりモンといった目で観ている視線を感じている。言わないが、オイラは料理人だから煙草の匂いを指に浸けたくない訳である。道中に一軒の古本屋が佇んでいたので立ち寄るか?とも思案している。しかし、繁華街とはどうしてこんなにも用事の在る人々が数多く歩いているのか?と不思議にも思う。
今日の雨情散歩は、霧雨にて大変歩きずらいなっ!ボディは濡れるしレンズも水滴が着くしでスタスタなんて歩けないっ!それでも歯医者の治療の後、二駅程テクテクして上大岡まで来た。ヨドバシカメラで安売りのフィルムを買い求め、先日見ていた無印良品の赤い革ベルトも買った。で、駅前のドトールで一服である。帰途を歩こうか?電車・バスに乗ろうか?を悩んでいる。交通機関を使えば写真は撮れないしお金は掛かるし、散歩ダイエットには為らないしであるがこの霧雨で撮影に気持ちが乗らない訳である。フィルムを買い求めただけに、やはりカメラに詰めて歩きたいのだが、悩んでいる。更に、時間も一時半なので半端な訳である。霧雨だから、明るい情景でシャッターが充分に切れるのだ。でも、外では傘を差している方も居るし思案のし処である。しかし、今はドトールの喫煙ルームだが、老若男女様々な方々が煙草をくわえ煙を飲んでいる。見ていて似合わないのは若い女性だなっ!意外とお婆ちゃんなんかは様に為っている。年季の性であろう。
そうした中で発見する意匠などを彫金や物造りの閃きに活用する訳である。だから、文献だけではどうしても用が足らず、外に出て直に観察したりするのだ。だから、オイラの散歩は叙情を味わうと共に、意匠の発見や経済的ダイエット、散歩作曲、そして細やかな喫茶店での一服、写真撮影と様々な要素を組み入れて行っている。勿論、その中で四季の移り変わりや人との縁の広まりを味わうのも忘れない。散歩中には、様々な出来事にも遭遇するので翌日からの店でのお客さんとの会話にも事が欠かない。先週もフィルムに収めて店内に展示してあるが、川に身投げする男性を七人のお巡りさん達が必死に抱き止める写真の撮影に成功し会話のネタに為っている。
明日の休日は、雨降りらしい。午前中には歯医者にも行くのでその後の過ごし方を今から思案する訳だが、雨降りならば当然に傘持ち散歩だ。で、カメラも一台しか出しておけない。更に、雨降りは叙情が暗いので明るいレンズの選択に為る。オイラはどうも高感度フィルムが好みではないので常には、iso感度100のフィルムを使う。すると、どうしても開放の明るいレンズの使用となる。これは、広角レンズでは大口径レンズだから大きく重いのだ。当然、軽いボディのカメラの選択に為る。と、マァ色々様々仕度に煩いのがクラシコカメラの流儀なのだが、それはそれで楽しんでいる。叙情的には、雨情だから普段見慣れた風景や町並みもガラリと変わる。普段賑わう商店街なども閑散としてシットリとした情景に為る。撮り処である。何でもを受け留めて徒然為るままに叙情散歩を楽しむ術を知ったのも最近である。今までならば、家で閉じ籠りビデオ観賞や読者、昼寝そして納屋での創作だったのだが受け留める事で世界観は広がった。
恋愛にも似たと書いたが、稀にはへんな洋食屋にも恋愛中のお客さんがいらっしゃる。稀にである。ご夫婦・ご家族が圧倒的に多いから稀になのだ。その恋愛中のカップルでどうも嫌なのが、「不倫タイプ」だ。歳が離れていたり、年甲斐も無くベタベタしているのを観るのも嫌な訳である。そういう事には縁の無い生活を送ってきているのでどうしても馴染めない。これが、八時を過ぎると来店する。結局、マトモではない訳だから食事の時間もマトモではない。で、家族で営業する様に為ってからは9時閉店にした訳である。売上には響くが、好きで行っている商売に嫌気を刺したくないし、飲食店の役割分担もわきまえているつもりでもある。つまり、定食屋は食事、飲み屋はお酒、ワイワイガヤガヤは宴会屋、子供連れはファミレス、正統レストランはマトモにである。ニーズに対応するのも商売人の役目でもあるが、需要を造る商売人でも在りたいのだ。
行って来た、弘明寺である。しかし、やはり縁が無かったのだ。あの催事店は、しらす干し屋に換わっていた。こね苦い経験は古来幾度と無く味わっているので次回の出会いは失敗無く縁を掴めるであろう。ところで、三軒手前の中古カメラ屋には未だ鎮座し通り掛かりの男達を眺めていた。ちょっと位置が換わっていたので、最初は目に捕まらなかったがオイラは自然と探していた。未だ在るなっー!である。未だ在る事が悪い訳では無いのだが、通り掛かりに在る事が気に掛かる。早く人手に渡れば良いのだが2ヶ月間商店街の行き交う人々の人間模様を眺めて目を肥やしている。でも未だオイラに電波を放してはいない。多分それは、オイラがその先代のカメラを愛用しているのをカメラ間通信で解っているからだ。かどうか?は知らないが未だオイラに電波や光線を放してはいない。だから、オイラも買う気持ちに為れない訳である。バカな話と思うかも知れないが、中古カメラ道とはその手の電波光線に因る出会い系の繊細で陰湿な世界なのだ。恐らく世界中、中古カメラ道を歩む方
々には理解が簡単である。只、この様に文言に表現する事が難しいのだ。つまり恋愛にも似た情である。
々には理解が簡単である。只、この様に文言に表現する事が難しいのだ。つまり恋愛にも似た情である。
昨夜に、やはり一日中気に掛かっていた弘明寺の催事店の革ベルトの縁を求めに、閉店後バイクを駆ける。閉まっていた。縁が無かったのだ。逃した魚は大きい、という格言があるが中古カメラの世界では「買わずに後悔するよりも、買って後悔しろ!」という名言がある。やはり、その通りで買わずに後悔している。実は、沢山在りすぎて選択に時間が掛かるとも考えてその場を離れたのだが、仕事中にあの店内の残像が巡りあんなベルトが在ったなっ!とか、確か一枚革だったなっ!とか思い起こしている内に出会いを求めていた訳で、閉店後にバイクを駆った。しかし、出会いは無く後悔である。先日も、叙情散歩の道中にあるお店で手に取って思案したばかりである。その時も縁無く買わずにいたが、その縁起をはベルトが欲しいという縁起で在ったわけだ。ひょっとしたらの気持ちで本日の休憩時間に今一度出向くつもりである。
久々に来てしまった。しかも暇な時間にて会話を惚けるわけにはいかず、更にキッチン寄りのカウンターだから仕様がない。先日も来たのだが、幸い忙しくキッチンから遠く離れた席だったので業務上の挨拶で済んだのだが、今日は逃れられない。例の批判屋である。案の定始まる、オイラの新作写真を貶す。更に、飲んでいるビールも貶す。「恵比寿ビール」をですよっ!更にさらに、オイラの起床時間迄けなす。だからと言って二度と来ない訳でなく週2とかで来る。料理も残さず食べる。でも貶す。オイラの事が気に入らないのかと思えば繰り返し来店する。困った方なのだ。ギターを弾けば、やはり貶す。店内の様々な作品群を手に取っては貶す。縁を閉じたい方は何人居るモンだが、その内の一人である。家庭は、どうなっているのか?家族に尋ねたいモンである。
実は、昨日も弘明寺には立ち寄る。煙草屋~プリント屋、そして一月前から気に為っているオリンパスの鎮座する中古カメラ屋も覗いた。その三軒隣に週決めの催事店が出ていて革ベルトが沢山有って安い。これまた、気に為っている。今日の日曜日迄だから、出向くつもりである。話は変わるが、昨日のランチには常連の親子さん。高校を卒業し、音楽の道か何か?で、ボイストレーニングの学校へ行くらしい。で、音楽好きのオイラに相談だ。オイラは、趣味の範囲で活動すれば良いと答えたが、彼はその道を考えている様だ。失望させるのは気の毒だが、砂浜でボタンを探す様なモンだから職業としてはかなり困難である。オイラも趣味で割り切っているから苦しまず、むしろ楽しんで毎日弾けている。職業とし、名を挙げるには驚異的な創造力と音楽センス、他の追従を許さない技術、マネジメント力、人脈が相当に必要だ。夢や希望も判るが、趣味だからこそ達成出来る事柄の方が沢山あるなっ!
東京テレビの土曜日夜の「アド町天国」という番組を毎週楽しみに観ているが、来週はいよいよ隣街の弘明寺が紹介される。暫く、弘明寺も賑わうだろうし活気づくであろう。その弘明寺には、行き着けが何軒かある。後輩の煙草屋、写真のプリント屋、当家が頼んでいる不動産屋、懐かしい中古カメラ屋と、毎週何処かしらには立ち寄る。古くからの門前町なので老舗も在るし、大体が弘明寺自体が鎌倉時代からの縁起を持つ。夏には縁日も開かれ賑わうし、春には桜並木の名所なのでこれまた大変な人出だ。オイラも、年に数度は井土ヶ谷~弘明寺~上大岡と叙情散歩を繰り返す。来週が楽しみである。