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梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

馬込の麦畑から思い出の映画

2011-05-27 09:40:08 | 雑記
散歩するコースの中に麦畑が有る、23区だがこの辺りには少しだけ畑が有るが麦畑は珍しい、田舎で作っていたのは小麦だったが此れは大麦か?随分時間が経ったので記憶があやふやだ、





所によっては田に秋に米を収穫した後麦を植える所が有るらしいが私の田舎では畑だけで作る、
山肌を開いて作った畑なので緩く傾斜している、田と違って水をためる必要がないので段々畑ではない、幾つか段々にはなっているが畑の面は傾斜地である、
背は1m程度なのでその間が子供の遊び場になっていた頃の埃っぽい空気を思い出した、
収穫は初夏なので「麦秋」と言う言葉が有るがこの名前の映画がある、小津安二郎の映画で原節子の名前が売れているが私は宮城千賀子の若い雰囲気が好きだ、
この頃の映画は今見ると確かに大人し過ぎるがそれなりに見ごたえがある物が多い、洋画と邦画と言うジャンルに分かれていて洋画はフランスとイタリアが主だった、
アメリカやソ連も有ったがソ連製が出て来たのはこの頃より20年位後か、昭和40年代に成ったと思うが国策的な映画だったせいで大作が多かった、
「戦場」と「カラマーゾフの兄弟」を見たが見ごたえが有った、この頃のアメリカ映画は娯楽性が強かったがフランスとイタリアは質の良い文学的な作品が多かった、「映画だから出来た文学作品」と言える物が多くあったがアメリカ映画は徹底して「娯楽作品」を追及していたらしい、
それでも西部劇やミステリー、ヘミングウェイの芸術性のあるものも有った、やがてミュージカルが出て来てジャンルを形成しそれなりに素晴らしい物が出て来たが「ポセイドンアドベンチャー」「タワーリングインフェルノ」などのパニック物から段々こけおどし的な作品になって行く、
ジョージルーカス辺りから面白い形も出来てきたがスピルバーグで完全に御伽噺を動画で見せると言う形式になってしまった、彼らは黒澤明監督の信奉者で黒澤作品に刺激されてと言うらしいが黒澤作品の娯楽部分しか継承していない、
確かに黒澤作品のシリアスな物はかなり日本人的な重さと歌舞伎や能の舞台を映画にする手法はアメリカ人には分かり難いかも知れないが「スターウォーズ」はとても黒澤的とは言えまい、
「荒野の7人」は確かに黒澤的だったがそれ以外は黒澤的娯楽表現しか継承出来ず結果として映画は子供の娯楽になってしまったのは実に残念だ、もっとも日本の映画はもっと酷い状況だ、映画が「映像芸術」の一部だったのが今では単なる「映像ビジネス」に成ってしまったのだから仕方がないだろう、映像ビジネスに徹するならなら放送と言うメディアにかなう訳もない、