梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

若気の行ったり来たり

2023-02-13 16:31:28 | 昭和の頃
15歳の9月に日立製作所の臨時工になり、半年で試験を受けて正社員になった、
翌年17歳の夏休みに突然思いついて自転車で田舎まで帰る事にする、
寮のあるのは江戸川区の小岩、此処から掛川まではおよそ230㎞位あるが(自転車で帰る)と決めた、
今考えれば無謀どころの騒ぎではない、正気の沙汰ではないのだが(行ける)と信じて疑わなかった、
それも「1日で」行くと言うムチャクチャの予定を立てる、
自転車は半年ほど前に組合の訪問販売会で同僚3人と買った、ブリジストンのドロップハンドルの4段ギヤ車である、
オプションで速度計を取り付けて中川放水路を浦安迄行ったり、木下街道を走ったりして自信をつけていた、
明らかに過信だが兎に角根拠のない自信で本気で思い込んでいた
テントをもって三浦半島を一周すると言う同僚2人と夜中の3時に寮を出る、
横浜駅前で16号線に行く二人と別れ自分は1号線を西に向かう、
戸塚の坂で苦労したがその後は順調に藤沢バイパスから1号線に入って小田急線の箱根湯本についたのは午前8時過ぎ、此処迄100km少し、しかしここからが大変で殆どは押してゆく事になった、
芦ノ湖畔で新潟から来たという同じ年の高校生は1か月かけて山陽道から山陰に廻って帰ると言っていた
背の高い20代の方は富士フィルムに務めているそうで「今日はここでキャンプをする」そうだ
箱根峠まで自転車を押し上げたら午後2時を廻っていた、箱根湯本から6時間、しかしここから三島まで40分で降りてしまった、
清水を過ぎて安部川を渡る頃日は完全に落ちてしまい、東名高速道路のない頃の国道1号線はトラック街道で引っ切り無しに大型トラックが行き交う歩道のない国道を只管走る、トラックの風圧の恐怖とさすがにたまって来た疲労で諦めて列車に乗る事にした、
恐らく(疲れた)と考える力すらなくなっていた気がするが時間が9時を廻って(これは無理だな)島田駅に向かう、
駅の自転車預かり所に預けると東海道線に乗って掛川に、姉の家に着いたのは11時を廻っていた、
鍵のかかっていなかった玄関に入ると起こすのを憚ったのか力尽きたのか上がり框に倒れこんで寝てしまったらしい、姉に起こされた、
「凄い鼾が玄関で聞こえて恐る恐る見に来たら」私が寝ていた様だ、
「兎に角上がって」と言われて「何か食べる?」と言われたのだが疲労困憊すると胃が受け付けない、
西瓜が有ったので半分位食べた、布団を敷いてくれたが火照った体には縁側の板敷が気持ちよくそこで寝てしまった、
あくる日島田に自転車を取りに行き日坂峠を押し上げて掛川に帰り夏休みを自転車で田舎を廻ったので「東京から自転車で帰った奴」と言う話は同級生の間に広がってその後同窓会に行ったときには「今日は自転車じゃないのか」と揶揄われていた、
しかし、車に乗るようになって「なんであの時帰る事が出来ると思ったんだ?」とつくづく思う、よく体力が持ったもんだ
今なら車でも東名じゃなかったらあそこ迄運転するのも嫌になる、
当時は東海道しか思い浮かんでいなかったのだが今考えたら国道246を廻れば恐らく三島まで4時間以下で着くはずだから無事掛川まで行けたんじゃないのか、
それを考えると少し残念な気もするが箱根越えもそれはそれでいい思い出になった
同窓会のはがきを眺めながらこんなことを思い出した


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