梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

荒城の月と城下町、

2024-07-23 10:57:00 | 昭和の頃
荒城の月と言う曲を思い出そうとするとどういう訳か「松風騒ぐ、丘の上」と言う歌詞を思い出してしまう
三橋美智也が歌って一世を風靡した(おおげさか)「古城」と言う曲の歌詞だった、「春 高楼の花の宴、廻る盃影さして」滝廉太郎と土井晩翠に失礼なはなしだが、
私の生まれた掛川と言う街も城下町で街の北外れに小高い城山があった、
当時は「掛川城公園」と呼ばれ、堀替わりの逆川と言う川を渡りセメントで補強された石段を上がると20m四方位の台上に火の見櫓と観音像が建っていた
いつ行っても殆ど人のいない公園だったが15㎞も山奥の村から一番近い都会に出てくると必ず登る城跡は私の中では街のシンボルだった
観音像は日露戦争勝利の時に記念に建てられて「戦勝観音」と言われていたのだが敗戦の後「平和観音」と改名した
「古城」の歌詞では朽ち果てかけた大手門や天守閣が有る様だが荒城の月は建物は無いようで恐らく跡地だけのような印象だったが
掛川公園も残っていたのは小さな「太鼓櫓」と言う建物と本丸跡に大書院が残っているだけで公園には城の面影はまったくなかった
天守閣が有ったと言う観音像の広場に立つと南に街並みが駅まで続くのが見え、東側に二の丸跡の寺院と高等学校の森がみる
北側には東海道を挟んで田園風景とその先はなだらかな山が続いている、
梶光男の「青春の城下町」の歌詞「流れる雲よ、城山に、登れば見える君の家」の方がぴったりくる景色だった
しかし現在は城山公園では無くその場所に昔のままの工法で復元された城が見事な雄姿を見せている
現在の掛川城は、平成6年(1994年)4月に日本初の「本格木造天守閣」として「東海の名城」と呼ばれた美しさをそのままに復元されたものです。
https://kakegawajo.com/movie/kakegawajo_60s.m4v
今ではこのお城が掛川のシンボルだが自分にとってはやはりあの誰も居ない、観音像の立っている砂利敷の場所がシンボルだった
故郷を離れた人間にはノスタルジーだがずっと住んでいる人にとってはリアルなんだからしかたないのだが甘酸っぱい思いは記憶の中しかないのは残念でもある

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