梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

虐めと自殺

2013-03-01 16:47:13 | 雑記
虐めと言う言葉が毎日新聞やテレビを埋めている、虐めからの自殺とされた事例も段々増えて来ているようだ、
自殺したくなるほどの虐めと言う物は想像が出来ない、大体自分は自殺したいと思った事が無いのでどうしても理解の外となる、
無論“殺したい”などと言う事も思った事は無い、最近余りに生きる事の意味が軽くなってきた気がする、
こう言うと自殺まで考えたと言う方々からお叱りを受けるかも知れないが元々“生きる“と言う事はそんなに簡単な物ではない、苦しい事や悲しい事、寂しい事等は生きる事の半分以上を占めている事は今始まった事ではあるまい、
そんな思いをしながら何故行き続けなければならないのだと言う事の答えは様々な哲学書にも宗教書にもいくらでも書いてある、書いて有るがそれが正解だと言う事も無い、
逆説的に言えば「何故行き続けなければならないか」と言う疑問と自己に向けて出す問い掛けが活き続ける意味かも知れない、
苦しみや悲しみの中で時々現われる楽しみや嬉しさは暗いからこそ明るく見え、寒さが強いほど僅かな温かみも其れこそ(生き返るほど)暖かい、
生きると言う事は全て思い通りになるとか全て上手く行かないとか言う事はなく何時もその間を行ったり来たりしているか、中間辺りに居る、
哲学的な言い方をすれば人生は悩み苦悩する物であり宗教的に言えば命は自分の物ではなく与った物だ、僅か生まれて20年も経たない者の判断力がその何倍も行き続けている者達の判断力に勝っていると思う事は僭越だと思わなければならない
中学や高校生が経験した人生は未だ端緒についたばかり、此れから今以上に悪い人生しか巡って来ないと言う結論を出すのは早すぎるだろう、
子供の世界は実に単純に上下関係が出来る、しかしそれはその年齢とその地域だけの関係だ、虐め側も虐められる側もすこし離れれば何の効力も無い上下関係に過ぎない、
虐める側では「遊びの一種」と言う感覚かもしれないが虐められる側には充分に痛みになっている事を理解できない事が現在の病巣だろう、此れは子供の世界だけでなく職場での「パワハラ」とか「セクハラ」と言う現象を見ても根が深いと言うより広範囲に広がってしまったと言う事だろう、
自分たちの子供の頃は未だ皆貧しかったが子供の世界では家庭の貧富は持ち込まれる事は略無かった、逆に持ち込む子供が居るとその世界では軽蔑の対象になった、
ガキ大将と言う言い方があり番長と言う言い方もあったが彼らがリーダーとして君臨していたのはサル山のボスの様な有り方であり、必ずその対抗馬が居て爪弾きにされる子供は対抗するボスが必ず庇うと言う構造になっていた
そしてこの取り巻きと対抗するボスの取り巻き以外の人数の方が明らかに多く今記事に聞く「クラス全員で無視をする」と言う様な全体主義的な事は起きなかったのだが
タモリが「笑っていいとも」の始めの頃文学青年と言う様な若者を「暗いね~」と放送で笑いの種にした事が有るがあの頃から「文学、特に哲学」が性格が暗い人間の変った趣味とされ根暗と揶揄されるようになった、
しかし「若い時は生きる事は矛盾だらけで理不尽な事」だと言う苦悩が人間形成の根には必要な事をもう一度思い返してもらいたい、


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