私は虐め問題に警察が介入する事に大筋は賛成だ、被害が此処まで来てしまうと明らかに刑事罪になってくる、脅迫・恐喝・障害・そして滋賀の場合報道を信じれば自殺幇助か殺人である。
一方で教育現場から「安易に警察を介入させることは教育の放棄だ」と言う危惧も聞こえる、確かに教育現場の対応は重要であるがこの問題の本質はやはり家庭、親にあるのではないだろうか、何故「いじめる」と言う行為を起こすのか、教師と子供達が言い訳に使う「遊びの一種、悪ふざけ」と言う事も確かに存在する、しかし結論から言えば相手が嫌がる事をするのは仕掛ける方が「遊び」だと思っても嫌と感じる側とは被害者と加害者になっている、しかも集団でそれを行うと言うのは遊びとは言えない、遊びは対等に一定のルールに従ってする事は大切でそこから「社会生活のルールの大切さ」を学んで行くはずである、今の虐めの構造が「社会生活のルール」として認識されたら彼らが大人になった時の日本は実に殺伐とするだろう、
相手の嫌がる事はそれだけで「悪」であると言うことを理屈以前の認識として神経のように教え込むのは幼い時から手塩にかけている親しか出来ない事だ、遊具やおもちゃの奪い合いや独占欲は幼児期には当然起こる、この時に相手と平等に使うと言う様な事の多くは保育園等でも身につけられるだろうが同時に家庭内で子供の我儘をいけないと教えなければならな。
しかしそれ以前に大事なのは他人の笑い顔を自分の幸せと感じ、相手の泣き顔や苦しむ顔を自分の悲しみ、苦しみと感じる様な子供に育てる事が本当に大事だ、
「他人の不幸は蜜の味」などと言うのは己の不遇を他人の不遇で埋め合わせようとする疲れた大人の末路的感覚だ、人を虐めて苦しむ様を見て楽しいと思う様な子供を無くす様に切に願う
昭和世代は兄弟が多く、我が儘が通る環境にはなかった、生活も貧しくおやつや小遣いも余り貰えず遊びも金の掛からない物が殆どだ、ドラエモンの原っぱの世界である、遊ぶ年齢も小学校位までは年齢もバラバラである、その中でルールは守られてきた、強いものが弱いものを守るのは当然っで我が儘や卑怯な行いは厳しく罰せられた、それでも決して仲間はずれという事はなくあくまで「仲間のルール」暗黙の決まりを守りさえすれば孤立することはなかった、
いつ頃からか、餓鬼大将が悪代官、それもネロ皇帝のようになってしまったのは?それも陰湿で徒党を組んでそのいじめに参加しないと次のターゲットにすると言う、親が気づかない訳はないと思うのだが、特に恐喝になってゆけば必ず持ち物や小遣いの使い方、帰宅時間などで気をつけるとまで言うまでもなくわかるはずである、先ず親の教育から始めなければならないかと言うのも情けないがその親を育てたのも我々の世代かと思うと我が身も情けない、
一方で教育現場から「安易に警察を介入させることは教育の放棄だ」と言う危惧も聞こえる、確かに教育現場の対応は重要であるがこの問題の本質はやはり家庭、親にあるのではないだろうか、何故「いじめる」と言う行為を起こすのか、教師と子供達が言い訳に使う「遊びの一種、悪ふざけ」と言う事も確かに存在する、しかし結論から言えば相手が嫌がる事をするのは仕掛ける方が「遊び」だと思っても嫌と感じる側とは被害者と加害者になっている、しかも集団でそれを行うと言うのは遊びとは言えない、遊びは対等に一定のルールに従ってする事は大切でそこから「社会生活のルールの大切さ」を学んで行くはずである、今の虐めの構造が「社会生活のルール」として認識されたら彼らが大人になった時の日本は実に殺伐とするだろう、
相手の嫌がる事はそれだけで「悪」であると言うことを理屈以前の認識として神経のように教え込むのは幼い時から手塩にかけている親しか出来ない事だ、遊具やおもちゃの奪い合いや独占欲は幼児期には当然起こる、この時に相手と平等に使うと言う様な事の多くは保育園等でも身につけられるだろうが同時に家庭内で子供の我儘をいけないと教えなければならな。
しかしそれ以前に大事なのは他人の笑い顔を自分の幸せと感じ、相手の泣き顔や苦しむ顔を自分の悲しみ、苦しみと感じる様な子供に育てる事が本当に大事だ、
「他人の不幸は蜜の味」などと言うのは己の不遇を他人の不遇で埋め合わせようとする疲れた大人の末路的感覚だ、人を虐めて苦しむ様を見て楽しいと思う様な子供を無くす様に切に願う
昭和世代は兄弟が多く、我が儘が通る環境にはなかった、生活も貧しくおやつや小遣いも余り貰えず遊びも金の掛からない物が殆どだ、ドラエモンの原っぱの世界である、遊ぶ年齢も小学校位までは年齢もバラバラである、その中でルールは守られてきた、強いものが弱いものを守るのは当然っで我が儘や卑怯な行いは厳しく罰せられた、それでも決して仲間はずれという事はなくあくまで「仲間のルール」暗黙の決まりを守りさえすれば孤立することはなかった、
いつ頃からか、餓鬼大将が悪代官、それもネロ皇帝のようになってしまったのは?それも陰湿で徒党を組んでそのいじめに参加しないと次のターゲットにすると言う、親が気づかない訳はないと思うのだが、特に恐喝になってゆけば必ず持ち物や小遣いの使い方、帰宅時間などで気をつけるとまで言うまでもなくわかるはずである、先ず親の教育から始めなければならないかと言うのも情けないがその親を育てたのも我々の世代かと思うと我が身も情けない、
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