梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

住宅問題と待機児童問題一挙両得

2016-10-04 08:45:42 | 雑記
高島平団地がそろそろリニューアルの時期らしい、数年前から多摩ニュータウンの高齢化と荒廃が問題になりリニューアルが言われているが調べてみるとやはり都心までの距離がネックで予算がつけられないようだ、高島平はそれでも交通の便が良いので改築をすればそれなりに需要はありそうだがこの機会に新しい発想で作り替えたらどうかと思う、
今ワーキングプアと言われ若年貧困層の問題は少子化に拍車をかけて日本の将来に影を落としている事は周知の事実であり、このままでは労働人口はさらに減少し老齢化した現在の世代を支えるのに負担が大きくなる事は単純に数字上でわかる、
かと言って海外からの移住者で下支えをすれば今のヨーロッパやアメリカの様に国のアイデンティティを犯しかねない状況になることはすでに近代的社会問題になっている、
ワーキングプアと言う問題には収入と支出のバランスが取れないのが基本的問題だが個人生活においての基本的支出は「衣食住」である、生きるという事の重要度で言えば食居住となるだろうがやはり雨露を凌ぐと言う事も社会生活ではかなり重要な問題だ、
しかし経済活動の活発な東京や京阪の家賃はかなり負担である、東京での生活圏では新世帯が何とか暮らせる2DK平均45㎡程度で10万を超える、23区内だったら13万位か、それに光熱費を入れたら17~18万程度は掛かるだろう、世帯収入平均は350万位だが貧困世帯はこの半分程度でこの割合が全世帯の4割に届こうとしている、
一方で高齢世帯が単身で暮らす家が多くなり都内でも生活保護を受けながらひと間にお勝手程度の家に住み孤独死も頻発している、当然彼らにも親が居て子供がいるはずであるが核家族と言われはやされて世帯の継続と言う社会の根本が失われて久くその結果、多くの社会問題はここに帰結する、
恐らくこれだけ親子間の没交渉は世界でも珍しいのではないだろうか、其処には宗教の問題もあるのかもしれない、絶対一神教では神の教えが絶対で家族単位で神の子供であり僕である、日本も戦前はある意味国家神道と言う形ではあるが家と言う基本概念は残っていた、それは儒教の影響も濃く受け継いでいたとはいえこんな身勝手な生き方が出来る様な理念は無かったのだが
敗戦でアメリカ式自由主義の教育の結果自由とわがままの履き違えが浸透してしまったのではないか、生まれて神から祝福されて名前までもらう世界がその下で言う自由と平等は「神の許し」下で機能していたが、自然に感謝して世帯の子であった日本人とは整合しない。納めていたのが軍人では解る訳もなかったろうが価値観の逆転を青春期に受けた世代が日本社会に自己中心的自由主義を蔓延させてしまったのだろう、
その結果として子は親の面倒を見ることを「古く悪しき習慣」と考え家がない世帯がない若者と家があるが動くこともままならない親達を増殖させてしまったのではないか、
しかし現実問題として仕事を得られる地域でただ住むだけの場所すら得ることは難しくなっている、
「食う寝るところ住むところ」は落語の寿限無だがせめて住むだけの処を得るのに所得の半分以上使わなければならないのは根本的におかしい、衣食はつめるという事も可能だが家賃は他人任せである、高島平も多摩ニュータウンも住宅公団(今は都市再生機構か)と言う公的な組織が運営している、ならば新たに立て直すにしてもそのまま利用を続けるにしても隣り合った2所帯を玄関等は今のままで入り口付近で扉でつなぎ生活は必要以上に干渉する事無く行き来できる構造にする事で二世代を連結した居住空間にする事で生活にに関して抱えている問題を解決できるのではないか、
三世代になって親世帯が手狭でも祖父祖母側の空間には余裕が出来ているはずだからそこで孫の空間を確保できる、それは幼児期の面倒も見られるし、ある程度の年になっても目が届く、今までの日本社会に近い環境が保たれるのではないだろうか、三世代隣接居住に税制優遇措置などの手当てをすれば貧困世帯に対する福祉予算も少なく済み三世代が集まることで地域としての活性化も期待できる、更には待機児童の問題にも寄与できるはずである。
地方の衰退も大きな問題だが取りあえず今眼前にある問題をどうするかを優先しつつ次世代に向けても考慮するというのが現実的である。