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梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

フランス語は世界で一番美しい

2015-01-14 16:40:10 | 雑記

フランスの風刺新聞社がテロリストに襲撃されて16人が死亡したと言う、イスラム過激派テロは容認できるものでは無い、「神は一人(?)だけだ、それ以外の者を崇めるのは神の意向に背く」と言うのが根拠だろうと思う、少し違うかもしれないがテロの時に流されるコメントを見る限りそう見える、
しかしイスラム教徒以外は別の信仰があり、各々の神に従って居る、たの一神教であるキリスト教にも父なる神がいるが元々はユダヤ教だから言い方が違うだけで同じ神なのではないかと思うが此れも違うかもしれない、我々多神教は一神教徒からすると論外らしいが多神教徒からすると絶対神教徒の考え方には違和感が有る、
農耕民族と狩猟民族の違いかもしれない、しかしフランスやドイツ、英米も本来農耕民族だったからそんな事ではないかもしれないな、ユダヤ教自体「国を持たない」民族だが旧約聖書が書かれた頃は既にエジプトに国を奪われていたのでその辺りが原因かもしれないが人類が国家を形成し爆発的に生物的種を増加させる時期に置いて法律から医療までカバーする為政者にとって都合のよいのが宗教だったと考えると「一神教」の方が都合が良いのではないかと思う、
日本の神教も基本的には集団を纏めるのに都合のよい宗教と言う物を策定したのだろう、「魏志倭人伝」に伝える「卑弥呼」も「鬼道をなし」と書かれている様で法律や医療、裁判等を行うのに都合が良かったのではないか、古代社会生活で生活の糧になる物は自然が相手であり、弥生時代になり農耕を行う様になると集団で営む事が重要になって来る、同時に天候は非常に重大なファクターだが此れは正しく人の力の及ぶところでは無い、となれば神は自然であり集団のリーダーは神との代弁者と言う事になるのは自然である、いくらシャーマンで有っても天候不順の責任まで取る訳にはいくまい、其処に神の怒りとし、それを鎮める為の祈りがあり、謙虚な生活が生まれて来る。
しかし仏教は宗教と言うより哲学として発生した感がある、飽くまで生きる苦しみと対峙し受け入れる方法を精神の拠り所とした様な処がある、古代仏教は他を救う前に自らが解脱し死生の輪廻から解脱すると言う方向にあった、つまり他者を具体的に救うのではなく精神的な苦しみから逃れる方法を説いている、したがって此処には神は居ない
道教は施政学、社会学的な面が強く信仰と言うより教義の様な物だろう、
一神教徒ちと多神教どちらが優れて居るかと言う物ではないと思うが多神教徒からすれば一人神が増えるだけの話でそれ程問題になる訳ではない、何処を受け持つかと言うだけの事なのだが一神教徒からするととんでもない事なんだろうな、
キリスト教徒イスラム教はユダヤ教を基としその伝達者が違うと言うだけなのだと思うがお互いに排他的で相いれないように見える、我々からみると「各々違う神を信じれば良い」のだがそうは行かない様だ、そう言う角度から見るとキリスト教徒の考え方もイスラム教徒とそれ程偏狭さにおいては変わらない気がする、十字軍の遠征や植民地政策を見ても「イエスは絶対」だと言う論理で社会を廻している様に見える、
「WASP」と言う言葉が有る、これこそ彼等白人の本質を表している、「ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント」であり支配者は此れでなければ正しくないと言う考え方はプロテスタント以外からすると「傲慢な思い上り」の勘違い人種である
フランスの風刺新聞も「文化が違えば基本も違う」と言う事を本当に理解したうえでの風刺だっただろうか?東洋の黄色い猿にはちょっとそうは見えない処がある、フランス人が一番すぐれていてフランス語は世界で一番美しい言語だ、と言っていると聞いたのは本当なんだろうか?