☆私は、産経新聞を購読しており、その一面のコラム<産経抄>をいつも楽しみに読んでいる。
まあ、名物記者の石井英夫氏が<産経抄>担当をやめてから、あまり熱心なファンではなくなったが。
◇
私は、書こうか書くまいか迷っていたのだが、映画『チェンジリング』を観て、その傑作映画の感想で、こう書いてみた。
《・・・悲惨な話であるが、私は、誤解を恐れずに言えば、この作品を横田めぐみちゃんの御両親に見てもらいたい。
この作品の最後で示されるものは、作品全てを引っくり返すような「生きる希望」だと思うのだ。・・・》
いや、実話の映画化とは言え、今現在、娘を連れ去られて苦悩している横田夫妻に、この作品を見てみろ、などと言うのは言語道断なのかも知れないと思いつつも、
当事者でないのでそう考えてしまっているのか、あるいは、同様の状況に陥った映画の主人公クリスティンとの艱難の共有は、一時的にも「癒し」の効果があるのではないか、と思えたのだ。
それが正しいのかは分からない。
私も、悩みつつ、上記の如く書いてみていた。
・・・すると、3/2の<産経抄>で、こんな風に記されていた。
《週末に、クリント・イーストウッド監督の「チェンジリング」を見てきた。小欄で取り上げてほしい、との読者からのはがきに背中を押された。1920年代末のロサンゼルスが舞台だ。電話の交換の仕事をしている主人公クリスティンが帰宅すると、9歳の一人息子が消えていた。
▼数カ月後、息子が発見されたとの知らせを受けるが、目の前に現れた子供は別人だった。失態を認めたくない警察は、捜査の続行を訴える彼女の口を封じるために、強制的に精神病院に送り込む。息子を取り戻す母親の戦いは、ここから始まる。
▼くだんの読者は、北朝鮮工作員による拉致事件と重ね合わせて、「誘拐という犯罪が、どれほど卑劣で、被害者および家族の生活を破壊するかが描かれています」と、書いていた。そして、拉致事件の解決を妨害してきた一部の政治家たちに、映画の感想を聞いてみたい、とも。同感だ。
▼映画のほとんどのエピソードは実話だという。公式サイトで、事件を伝える当時のロサンゼルス・タイムズの記事を読むことができる。今は苦境にある米国の新聞も、映画のなかでは元気いっぱいだ。
▼大勢の記者やカメラマンが、クリスティンや警察の本部長を取り囲み、メモを取りフラッシュをたいていた。しかし、彼女を支え、事件の謎に迫ったのは新聞ではなかった。日本の新聞も、拉致事件については大きな顔をしていられない。
▼昭和55年1月に、小紙の阿部雅美記者(現産経デジタル社長)が、拉致事件を初めて報じた記事は、他紙から完全に無視された。事件が大きく取り上げられるようになったのは、それから20年以上もたってからだ。きのう書いたばかりだが、映画を見ていても、「新聞力」が気にかかる。(2009/03/02)》
・・・うん、やはり、この作品を見て、横田めぐみちゃんの悲劇を連想する人は少なくないのだな。
◇
・・・と、悦に浸っていたら、他ならぬ映画主演のアンジェリーナ・ジョリーが、すでに、拉致被害者にエールを送っていた・・・。
<アンジェリーナ・ジョリー、「北朝鮮の拉致被害者家族に会いたい」(2009/01/31)>
《・・・来日してから同作のテーマに絡め、心を痛めたことがある。「日本に来て、北朝鮮による拉致被害者の存在を知った」という。アンジーは01年から国連難民高等弁務官事務所の親善大使を務め、自ら3人の子を養子に引き取るなど、主に親のいない子供を支援する慈善活動家としても知られる。それだけに国家による誘拐行為には何とかしたいと思った様子。実際に「被害者家族の方にもお会いして、もっと知りたい」と強い関心を示していた。・・・》
<産経抄>では、新聞が力を持っていた時代について書いていた。
そして、ここでは、大スターが、力強い言葉を語ってくれている。
しかし、問題が国際政治に発展している今、北鮮に対して力を発揮できるのは、麻生首相だけなんだよね・・・。
頼んますよ。
やることを・・・、やるべきことをやったら、国民はついて来る。
(2009/03/03)
まあ、名物記者の石井英夫氏が<産経抄>担当をやめてから、あまり熱心なファンではなくなったが。
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私は、書こうか書くまいか迷っていたのだが、映画『チェンジリング』を観て、その傑作映画の感想で、こう書いてみた。
《・・・悲惨な話であるが、私は、誤解を恐れずに言えば、この作品を横田めぐみちゃんの御両親に見てもらいたい。
この作品の最後で示されるものは、作品全てを引っくり返すような「生きる希望」だと思うのだ。・・・》
いや、実話の映画化とは言え、今現在、娘を連れ去られて苦悩している横田夫妻に、この作品を見てみろ、などと言うのは言語道断なのかも知れないと思いつつも、
当事者でないのでそう考えてしまっているのか、あるいは、同様の状況に陥った映画の主人公クリスティンとの艱難の共有は、一時的にも「癒し」の効果があるのではないか、と思えたのだ。
それが正しいのかは分からない。
私も、悩みつつ、上記の如く書いてみていた。
・・・すると、3/2の<産経抄>で、こんな風に記されていた。
《週末に、クリント・イーストウッド監督の「チェンジリング」を見てきた。小欄で取り上げてほしい、との読者からのはがきに背中を押された。1920年代末のロサンゼルスが舞台だ。電話の交換の仕事をしている主人公クリスティンが帰宅すると、9歳の一人息子が消えていた。
▼数カ月後、息子が発見されたとの知らせを受けるが、目の前に現れた子供は別人だった。失態を認めたくない警察は、捜査の続行を訴える彼女の口を封じるために、強制的に精神病院に送り込む。息子を取り戻す母親の戦いは、ここから始まる。
▼くだんの読者は、北朝鮮工作員による拉致事件と重ね合わせて、「誘拐という犯罪が、どれほど卑劣で、被害者および家族の生活を破壊するかが描かれています」と、書いていた。そして、拉致事件の解決を妨害してきた一部の政治家たちに、映画の感想を聞いてみたい、とも。同感だ。
▼映画のほとんどのエピソードは実話だという。公式サイトで、事件を伝える当時のロサンゼルス・タイムズの記事を読むことができる。今は苦境にある米国の新聞も、映画のなかでは元気いっぱいだ。
▼大勢の記者やカメラマンが、クリスティンや警察の本部長を取り囲み、メモを取りフラッシュをたいていた。しかし、彼女を支え、事件の謎に迫ったのは新聞ではなかった。日本の新聞も、拉致事件については大きな顔をしていられない。
▼昭和55年1月に、小紙の阿部雅美記者(現産経デジタル社長)が、拉致事件を初めて報じた記事は、他紙から完全に無視された。事件が大きく取り上げられるようになったのは、それから20年以上もたってからだ。きのう書いたばかりだが、映画を見ていても、「新聞力」が気にかかる。(2009/03/02)》
・・・うん、やはり、この作品を見て、横田めぐみちゃんの悲劇を連想する人は少なくないのだな。
◇
・・・と、悦に浸っていたら、他ならぬ映画主演のアンジェリーナ・ジョリーが、すでに、拉致被害者にエールを送っていた・・・。
<アンジェリーナ・ジョリー、「北朝鮮の拉致被害者家族に会いたい」(2009/01/31)>
《・・・来日してから同作のテーマに絡め、心を痛めたことがある。「日本に来て、北朝鮮による拉致被害者の存在を知った」という。アンジーは01年から国連難民高等弁務官事務所の親善大使を務め、自ら3人の子を養子に引き取るなど、主に親のいない子供を支援する慈善活動家としても知られる。それだけに国家による誘拐行為には何とかしたいと思った様子。実際に「被害者家族の方にもお会いして、もっと知りたい」と強い関心を示していた。・・・》
<産経抄>では、新聞が力を持っていた時代について書いていた。
そして、ここでは、大スターが、力強い言葉を語ってくれている。
しかし、問題が国際政治に発展している今、北鮮に対して力を発揮できるのは、麻生首相だけなんだよね・・・。
頼んますよ。
やることを・・・、やるべきことをやったら、国民はついて来る。
(2009/03/03)