『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

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[二観目、映画『チェンジリング』]

2009-02-22 23:07:27 | 物語の感想
☆連れが観たいと言うし、私も、も一度観たかったので、一昨日に続いて『チェンジリング』を再観した。

     一回目の鑑賞のエントリーはこちら・・・[映画『チェンジリング』を観た](クリック!)

 ・・・やはり、引きつけられた。

 二度目にもかかわらず、二度目だからこその見どころもあり、二時間半、全く全く飽きる箇所がなかった。

 この作品は完成度が高く、私には語ることが少ない。

 それは親切な作りであるってコトだ。

 懇切丁寧な描写の積み重ねがあり、展開によどみがない。

 そして、引っ掛かりには、必ず「答え」が用意されている。

 親の「責任」と言う言葉が、序盤から提示されるが、途中で、クリスティンの「責任」と、警部の誤謬における「責任」が衝突する。

 実にエキサイティングだ。

 警部の言うところの「親の責任」も文法上は間違っていないが、そもそもの前提となる「事実」に誤認識があった。

 よく、文学上は「真実」がもてはやされるが、私は社会においては「事実」こそが最重要と考えている。

 「真実」には、多分に、歪曲の要素がつけ入る隙がある。

   ◇

 また、二つのキーとなるセリフがある。

 先ずは、自然な伏線として語られている。

   「ケンカはこちらから仕掛けるな。でも、ケリはつけろ!」

   「くたばりやがれ。このクソ野郎」

 この二つのセリフは、どちらも、後に、強固なクリスティンの「事実」に基づく闘争心を裏打ちする箇所で再び発せられる。

   ◇

 精神病院で出会う元売春婦の女が、自分が二度堕胎したことを語り、クリスティンに比して、自分が子供のために戦えない境遇に自らを進めたことを悔やむ場面がある。

 ここも物語を引き締める見事なシーンだと二観目で気づいた。

   ◇

 イーストウッドは、物語に鑑賞者が読み解くような謎をしつらえるタイプの作家ではない。

 故に、私たちは、イーストウッドの意図の見事さを今一度別の言葉で語ってみるしかないのだが、

 ネットサーフィンしていたら、この作品には、希望を意味する「7(ラッキーセブン)」の暗示が各所に隠されているとのテキストを読んだ。

 取調室が7号室だとか、作中で言及されるアカデミー賞が第7回だとか・・・、

 ちょっと面白いと思った。

   ◇

 私が、二度目で思ったのが、この作品に出てくる少年たちが全て「美形」であると言うことだ。

 それらが作り手の趣味だったら、やだなあ^^;

   ◇

 作り手の完全主義によって、物語にツッコミどころ(いい意味でのを含めて)がないと分かった以上は、私たちは、なにを語ればいいか?

 ・・・役者の演技である。

 そして、ここでも、子役を含め、各役者が万全の演技を見せてくれている。

 アンジェリーナ・ジョリーは、「うざい」ほどに、失った息子を求め続ける。

 これは、まさに、自分たちの捜査を信じていたジョーンズ警部にとっては、これほどに疎ましい存在はなかったろう。

 ジョーンズ警部は、観ている者にとっては「憎らしい」存在だが、果たして、私は、この人、かなり最後まで自分の捜査の正しさを疑っていなかったのだと思うのだ。

 そんな描写が多数ある。

 イーストウッドは、作中に謎を残していないと書いたが、そんなジョーンズ警部の心中や、

 後の、殺人者ゴードンが、「殺したのか?」「殺していないのか?」など、観る者によって幾つもの解釈が出来る箇所を残している。

 善意の牧師を演じるジョン・マルコヴィッチだが、見直して再認識するが、その語り口の落ち着き・説得力は見事で、それでいて畳み掛けるような口調に、やはり名優を感じさせられた。

 ヤバラ刑事や、各子役の演技もいい。

   ◇

 悲惨な話であるが、私は、誤解を恐れずに言えば、この作品を横田めぐみちゃんの御両親に見てもらいたい。

 この作品の最後で示されるものは、作品全てを引っくり返すような「生きる希望」だと思うのだ。

                      (2009/02/22)

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