福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

死生観2015(3) 60年の人生を通じて納得 遠野の老人達の死生観

2015年03月09日 18時15分50秒 | コラム、エッセイ
 我が家ではお盆の時期に墓参りを兼ねて家族が集まり、小旅行をしている。2010年の夏は遠野市を訪問した。柳田國男の作品の中に紹介されている古の文化に接したいと思ったからである。
 遠野市は岩手の内陸部にあり、四方を山に囲まれている。柳田國男の遠野物語、河童や座敷童子が登場する「遠野民話」でよく知られている。

 遠野は他の地域の観光地と違い、観光客の目を引きつける様な派手な売り物はない。想像力をフルに働かせる素地があれば遠野の旅の意義は大きく異なってくる。カッパは売りの一つであるが、「カッパなんて居るわけ無いじゃないか」、などと考えては遠野探訪は成り立たない。時代考察を含めた想像力で補って味わうものだ。岩手の厳しい生活環境、悲惨な食糧事情、続く冷害などを念頭に入れながら味わうことに意味がある。

 遠野の東部の集落の近く、四方を沢に囲まれた丘陵はデンデラ野と呼ばれている。
 このデンデラ野はいわゆる遠野のうばすて山であった。遠野地方では60歳を超えた老人は、家を離れこの地へ向かい共同生活をしながら自然死を遂げるのがしきたりであった。食糧事情が悪く、生きるのが如何に厳しかったのかを物語っている。

 デンデラ野に入った老人たちは身を寄せ合って共同で生き続け、体力があるものは日中は里に下りて農作業を手伝い、わずかな報酬を得て日暮れとともにデンデラ野に帰る。そんな日々を送りながら自然死を待ったのだという。村の掟によって分け隔て無く行われたであろう棄老の習慣は、共に長く暮らしてきた家族にはプレッシャーであったであろう。しかし、甘いことは言っていられなかった。「働かざるものは食うべからず」、私は遠野の老人達は60年の人生を通じて死生観を確立していた、と納得した。見送る家族たちも同様であったろう。

 デンデラ野は町の中心部からそれほど離れておらず、里が見渡せるところにある。帰ろうと思えば帰れる距離にある。老いた親たちは自らの立場を理解し、自発的にデンデラ野に移り住み、その地から孫や子の幸せを祈ったものと思われる。
 若い家族が生き残るために姥老するのは日本に限らず各国各所で行なわれた風習である。それは生産活動に関わらない人間を不要と考えざるを得ない、生きていくだけで精一杯であった時代の、やむを得ない方策であり、老人たちはそれを受け入れてきた。

 姥老というと、信州の姨捨伝説を題材にした深沢七郎の楢山節考が有名である。今回それも読んでみた。
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