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福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

作曲家 小林亜星氏の作品にハマる (2)

2021年11月27日 08時04分56秒 | 音楽談義
 作曲家小林亜星氏は請われて1974年俳優デビューした。氏の独特の体型から向田邦子氏の作品の中で太ったお父さんのイメージにふさわしいと周辺から強く説得され恐る恐る応じたという。
 結果的に、俳優としても成功し、「寺内貫太郎一家」はシリーズ化されることになった。

 今回、この小文は私の録音に残っている以下の曲と今年7月16日ラジオ深夜便am1:00「母を語る 作曲家小林亜星さんをしのんで」を聴き直しながら、氏の意見を参考に綴った。
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ピンポンパン体操、イエイエ、赤いキッス、夜が来る、北の宿から、あわてんぼうのサンタクロース、振り向かないで、この木なんの木、人間ていいな、魔法使いのサリー、野に咲く花のように、ひみつのアッコちゃん、ガッチャマンの歌、狼少年ケン、やんちゃりか、一二の三のご挨拶、キングコング、かぜよひかりよ、花の子ルンルン、りんごがひとつ、幸せくん、恋待草、アンジェにお任せ、ゆかい痛快怪物君、夢を勝ち取ろう、ターンAターン、未知というなの船に乗り、金魚うり、北の宿から、

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 普通、音楽家の人気や功績の物差しはレコードの売上枚数や受賞数が評価されるが、亜星氏はその枠に当てはめては評価出来ない様である。
 誰もが親しみやすく、口ずさめる名曲をこれだけつくった人は他に思いつかない。

 子供の合唱を用いた作品も素晴らしい。言葉がピチピチ跳ねる、生きている。

 彼の作品を機会があったらもっと広範に味わってみたい。


作曲家 小林亜星氏の作品にハマる (1)

2021年11月26日 04時56分25秒 | 音楽談義
 私は音楽全般が好きである。いわゆるクラッシック音楽もいい。特に弦楽器の音色が好きで、ヴァイオリンやチェロも下手ながら弾くこともある。が、日本の歌も劣らず好き。長唄、民謡を含めて何でもござれであるが、とりわけ歌謡曲が好きである、その中では子供たちが歌う元気な歌、悲しげな人生を歌う演歌もいい。

 作曲家の小林亜星氏が85歳で今年春亡くなった。氏に関しては作詞の阿久悠久氏とのコンビで、1976年の日本レコード大賞を受賞した「北の宿から」の作曲家であることは知っていたが、氏についての知識はそれほどなかった。

 先日まとめて氏の作品を聞く機会があった。NHK−FM「歌謡スクランブル」で氏の作品が特集された。
 20曲ほど聴いただけなのでコメントするのもおこがましいが、放送で流された氏の曲を聴いてみると、この曲もあのCMソングも氏がつくっていたのかと驚くことばかり。氏の曲は何も知識のない私の心と耳に、がっしりと残っていた。
 たまたま録音していたのでこのひと月の間に何度も何度も聞き返し、氏の作品を一部であるが味わうことができた。

 今回はこの番組と今年7月16日ラジオ深夜便「母を語る 作曲家小林亜星さんをしのんで」を聴き直した。

 1932年生まれの氏が生涯に残した曲は6-8千曲とも言われる。祖父が医師であった事から最初は医学部に進学したが音楽の道を諦められず経済学部に転部、卒業後は一時商社に就職するも一月も経たずに退社、服部正氏に弟子入りし作曲を学んだ。

  CM音楽に関しては、依頼されるとだいたい2曲つくって依頼主に選んでもらっていたというから、実際の作曲数がどのくらいに及ぶか、わからない。依頼を受けると頭の中で構想を練り、取りかかると2時間もかからずに作品が生まれた、という。
 亜星氏の持論は「音楽は楽しめるものでなくてはいけない」ということ。そのためには「メロディーが生きていなくてはいけない」。だから、曲づくりの最初の段階では無伴奏で、歌いながら「幸せな気分」を味わいながら作ったという。

 確かに、氏の曲は「インパクトがあり覚えやすい」、「明るくて短くて、一度いたら耳から離れない」という印象である。
 自らが全盛期と振り返る2070年ごろはCM依頼がどんどん舞い込み、1日3曲くらつくっていた。
 その中でも「この木なんの木」はCMはつくられてから半世紀ほど経った今も現役で流され、世代を超えて強い人気がある。

 当然のことだろうが氏は歌もうまい。豊かな低音で聞かせる。「夜が来る」「りんごがひとつ」「金魚うり」などで聞くことができる。


アルメニアの指揮者ロリス・チェクナヴォリアン その息子がヴァイオリニストとして登場

2020年02月27日 07時51分18秒 | 音楽談義
 ロリス・チェクナヴォリアン(1937年 - )は、イラン生まれのアルメニア人指揮者・作曲家である。
 今はほとんどメディアの中に登場することはないから知名度は低いだろうが、私は約30年ほど前に発売されたボロディンの交響曲やハチャトゥリアンの管弦楽曲のレコードを通じて感銘を受け、将来に大きな関心を抱いていた。私の記憶にはその頃の強烈な印象が今までも残っており、名前を忘れたことはない。アルメニア地方の音楽を聴くたびに名前を思い出していた。

 私はクラシック音楽を中心に音楽番組を週に数本分自動録画しており、機会を得て視聴している。そのライブラリーは300回以上の演奏会、収録された曲は数1000曲に及ぶ。自炊された書籍と同様、私の貴重な電子的財産の一つである。
 数週間前に、読売日本交響楽団の録画リストの中に、Vn独奏者の一人にエマニュエル・チェクナヴォリアンの名前を見つけた。チェクナヴォリアンと言う名前は忘れもしない懐かしい名前である。調べてみれば彼はその息子であった。

 父親のロリス・チェクナヴォリアンはイラン生まれのアルメニア人。テヘラン音楽院、ウイーンのアカデミーで学び、名指導者ハンス・スワロフスキーに師事している。同期にズービンメータがいる。イランやアルメニアの歌劇場などで活躍、アルメニア・フィルを指揮し、国民の意欲を鼓舞した数々の熱演、活動で知られる。
 1979年に来日し、読売日本交響楽団を指揮した。1990年代には、アルメニア・フィルとともにハチャトゥリアンらの作品を立て続けに録音し、大きな評判を呼んだ。
 ロリスはオペラや交響曲、協奏曲など、民族的なスタイルを取り入れた作品をたくさん書いている作曲家でもある。

 今回、来日したエマニュエル・チェクナヴォリアンは指揮者ロリスの2世。ウィーン生まれ、24歳、すでにロンドン交響楽団、サンクトペテルブルク・フィル、マーラー室内管弦楽団などとの共演歴をもつ、今注目の若手ヴァイオリニストの一人である。

 早速、録画を視聴してみた。演奏はY.テミルカーノフ指揮、読売日本交響楽団。曲はシベリウス作曲ヴァイオリン協奏曲。端正な容姿である。
 私には演奏の詳細を評価する力はないが、彼の音楽が情熱的で自由だというイメージを持った。ごく自然にテンポが揺れ、深い感情のドラマをみごとに表現する。緩徐楽章では、上品なウィットと現代的なセンスを聴かせる。非凡な音楽家だ、との印象を持った。
 
 これからに期待できる逸材の一人だろうと思った。

国立キエフバレー秋田公演 「くるみ割り人形」 秋田市文化会館

2019年12月24日 09時55分23秒 | 音楽談義
 12月24日の夕方から25日の夕方までの1日がクリスマス。
 本日はタイミングよくウクライナの国立キエフ・バレエ秋田公演が催された。しかも、クリスマスの定番演目「くるみ割り人形」であった。音楽雑誌によるとウクライナ国立歌劇場管弦楽団も来日しているが、秋田では特別録音音源を使用した。会場が狭くオーケストラピットを作れなかったためなのか、入場者数から見て採算が取れないと判断されたためだろうか。

(配布パンフレットより一部を引用した)

 キエフ・バレエは創立150年を迎えた名門歌劇場のバレエ団として名高く、世界でもトップクラスの伝統と実力を誇る。予定されていたダンサーのオレシア・シャイターノワは怪我で来日できず、ダブルキャストのアンナ・ムロムツェワが主役を演じ、華やかに舞台を彩った。
 一年の締めくくりに、久々華麗な本格バレエを堪能した。

 今回のキエフ・バレエ秋田公演の観覧に関しては私は數ケ月前から知っていたのであるが、録音音源で踊るというので敬遠していた。しかし、11月に英国ロイヤルバレー団のプリンシパルを長く務めたバレリーナ吉田都氏に関するドキュメントをTVで見た家内が強く観覧を希望した。そのために付き添いとして同伴したものである。
 実は、私はバレー公演でもオペラでもお目当はオーケストラの演奏・音色である。そのため随伴音楽には詳しいがバレーやオペラの物語に関してはあらすじの解説や対訳を見たこともなくほとんど知識がない。そんなこともあってちょっと距離を置いていたのであるが、ひょんな事から観覧することになった。それが良い結果をもたらした。

 開演は17:30とちょっと苦しい時間帯であった。いつもなら業務の最中である。
 観客の入りは一階席はほぼ満席、二階席は6-7 割くらいの入りか。私供の席は二階の最後部中央であった。だから人混みを意識せずにゆっくり鑑賞できた。
 観た感想を示せば、使われた録音音源は殊の外音質が良かった。特に低弦楽器の音は、あたかも弓から松脂の粉が飛ぶようなリアルな、ゴツゴツした音色で満足した。しばらくは録音音源であることを意識したが、もう気にならなくなった。
 主役の男女の踊り手の技術、脇役の踊りを含め、総じて見事であった。

 私が驚いたのは会場の聴衆の反応である。見るべき場面場面、高度のテクニックを披露した場面などに的確に拍手を送っていた。演目の「くるみ割り人形」の舞台を知り尽くしているのでは??と思われた。秋田でもバレー教室の活動は盛んで講演会も行われているが、その生徒や家族などの関係者ではないかと考えられた。

 今回の公園で最も良かったこと、は私を悩ます不快な「ブラボー男」の声がなかったことである。秋田の演奏会では十中八九遭遇する不快感を味わわないで済んだことは別な意味で最高に良かった。最近の演奏会雑観 ブラボー プレトーク 団員への労い そのほか

 私はクリスマスなどそれほど関心はないが、キエフ・バレエ秋田公演は十分に楽しめた。良きイヴであった。

師走2019 (5) 私が愛聴する宗教音楽

2019年12月18日 00時42分18秒 | 音楽談義
 なんで年末になると宗教音楽が聴きたくなるのだろうか?
 私は1年間の感謝を込めて、しみじみと人生を思う季節だからではないか、と思う。
1年間の感謝を意識するのは、私は大したことをやっていないが、秋深くになって畑や園芸の作業を終えたことが一番だろう。
 座学などは季節感が乏しい。

 カトリック教会では11月1日を「収穫を祝う日」、「聖人のための大祝日」としている。これが定められたのは9世紀頃というが、農と信仰の間の古くからの習慣だったのだろう。 
 竹下節子氏は、パリ在住の文化史家、評論家で、カトリックやエゾテリスムの歴史を専攻している方であるが、氏によると全ての収穫を終えて翌年の準備か始まる11月1日が当時は年の始まりとされていた、とのこと。この時期に前の年の全ての死者が戻つてきて転生し、世界がすつかり全て新しく生まれ変わるとされ、7日7晩にわたって祝われた。前夜には死者の世界の扉が開けられて死と生の交わる時でもあり、全ての火が消され、1日に新しい火ととも新しい世界を始めた、とされる(竹下節子著 ヨーロッパの死者の書 ちくま新書 1995年)。
 ここには仏教的な輪廻転生の思想に近いものかあって面白い。

 私が愛聴する宗教音楽は、思いつくまま上げれば以下かな? 年末にかけて聴きたい曲も含むが、さわりだけになるかも。
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 チマローザ 「レクイエム」 まるで天上の音楽。弦楽器が美しく歌う。 
 ケルビーニ 「レクイエム」 銅鑼の音が怒りの表現?
 フォーレ 「レクイエム」 声による天上の音楽?
 オケゲム 「レクイエム」 これは現存最古のレクイエムとされる。

 グレゴリオ聖歌、
 バッハ「ミサ曲 ロ短調」、「マタイ受難曲」 とても全曲は無理。抜粋で聴く。
 ヘンデル 「メサイア」  これも抜粋で聴く
 モーツァルト 「レクイエム」、「ミサ曲各種」、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」
 ブルックナー 「テ・デウム」
ベートーヴェン 「ミサ・ソレムニス」、
 ヴェルディ 「レクイエム」
 ブラームス 「ドイツレクイエム」
 ロッシーニ 「悲しみの生母」
 ベルリオーズ 「レクイエム」
 シューマン 「レクイエム」
 シューベルト ミサ曲ほか
 ヴィヴァルディ モテット「おお、天にても地にても清きもの」
 デュリフレ 「レクイエム」
 ブリテン 「戦争レクイエム」
 武満 徹  「弦楽のためのレクイエム」
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