goo blog サービス終了のお知らせ 

福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

音楽談議2022(1) 10年ぶりにCDを購入した

2022年04月10日 07時42分36秒 | 音楽談義
 今回、約10年ぶりに音楽CDを購入した。前回購入は2013年の「いきものがかりのバラー丼」であった。
 今回購入したのは、廣津留すみれ氏が演奏するメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲とチェリビダケ指揮のブルックナー交響曲第8番の東京公演版である。

 CDは1982年に発売された。しかし2000年代以降はインターネットによる音楽配信などが増加し、2010年以降は配信データのハイレゾ化による高音質化があって、音楽ソース媒体としてのCDの売上は減少してきている。
 CDの年間販売数は、1998年の3.2億万枚をピークに漸減し続け、2018年には1.37億万枚と、20年間で半分以下まで減少している。インターネットを通じた音楽配信は2009年に900億円に成長してきたが、こちらも予想に反して普及はそれほど伸びていない。

 CD販売減少の背景には、音楽を聴く機会が減っていることがあるらしい。若い人たちは趣味や遊びも多彩になって、音楽を聴く機会が減ったのであろう。
 私の場合はここ20年は聞くことから読むことに興味の主体が移った。
 
 さらに、CDを買わなくとも音楽を入手する手段がふえてきたことがあると思われる。
 ■低価格なレンタルの普及
 ■音楽データとしてパソコンに入れられる
 ■無料で聴ける配信型の音楽ソースの普及
 ■ダウンロード販売の増加
 ■などなど・・・

 私もかつてはCD販売増加に貢献してきた。私はレコード派であり、CDは補助的立場であったがそれでも優に500枚以上は購入していた。しかし、2010年以降は興味が薄れ、CD販売減少に貢献してきた。
 この22年間で購入したのは「いきものがかり」の1枚、それと今回購入した3枚だけである。しかもその間、ほぼ全CDをパソコンでMP3化し本体は廃棄した。レコードも全て廃棄した。

 レコードは再度注目され販売量も増えつつあると言うが私は興味がない。CDはレコード以上に悲しい運命を辿りそうである。デジタル音源だから容易にデータ化することが出来るが、この先進性がCD販売減少の背景の一つになっていると思う。

 音源としてのCDの価値は決して減じていない。通常のCDより音質が良いSACDと言う規格品もある。
 
 私もはアップルの音楽配信サービス会員になっているが、そのシステムがよくわからず聴きたい曲を探し出せない。だからほんの少ししか利用していない。
 それで今回購入に至ったもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽談義2021(9) 本 中川右介著 「巨匠たちのラストコンサート」 文春新書 2008年(2)

2021年12月10日 01時45分54秒 | 音楽談義
 引退してもおかしくない高齢の指揮者をそこまで活躍させるのは何なのだろうか。過去の名声、人気があり集客力があるという運営上の理由? 楽団員の共演の喜び? 聴衆の求め? 指揮者にとっては高価な報酬? などなど・・・?
 本書を読むと個々の事情が見えてくる。

 以下に本書の内容を抄述した。
————————————————————————————-
 ■トスカニーニ 
 死去は90歳。
「ラストコンサート」はニューヨークカーネギーホール。記憶力の減退でマイスタージンガーの途中で指揮をやめ片手で両眼を覆いステージを去る(87歳)。

 ■バーンスタイン
 死去は72歳。病死 肋膜腫瘍と肺の感染症の併発
「ラストコンサート」は1990年8月19日、呼吸困難に陥りながらボストン交響楽団とタングルウッドの演奏会に臨み、ベートーヴェン交響曲No7第三楽章で指揮棒が止まった。そのまま引退公表。3ヶ月後に死去。

 ■グールド 
 死去は50歳。1982年9月27日、脳卒中によりトロント総合病院に緊急入院。10月4日、父親の判断により延命措置の停止が決断され、同日死亡。
「ラストコンサート」は32歳、何も問題がなかった。コンサートを否定し次々とキャンセル、シナリオに書かれていたかのような人生を送った。

 ■フルトヴェングラー
 死去は68歳、1954年11月30日肺炎により死去。
「ラストコンサート」は同年9月20日ベルリン。交響曲史の「始点」と「終点」を求めた音楽家。耳介精神性と言われるも「演出過剰」にしか聴こえなかった。ドイツ・オーストリアで最高の地位。絶賛も酷評もなかった自作交響曲にショックを受ける。晩年は聴覚障害に悩む。死に望んで「ありがとう。みなさん、もう充分です」、担当医は「生さる意思のない患者を助けることはできない」、と記録を残している。

 ■リパッティ(33)
 死去は1950年、33歳、病死 白血病。
「ラストコンサート」は1950年9月16日ブザンソン。主治医も反対したブザンソンのリサイタル。弾けなかったショパンワルツ第二番。夭逝した天才ピアニストとの評価。

 ■カラヤン
 死去は82歳、1989年心臓病にて死去。
「ラストコンサート」は同年4月23日ウイーン楽友協会ホール。ブルックナー交響曲No7。ソニー社長との商談中に死去。最後の言葉は「まだ、今ではないのに」。

 ■カラス
 死去は53歳、1977年心臓病にて死去とされている。
「ラストコンサート」は1974年11月11日札幌厚生年金会館ホールでのリサイタル。最初で最後の日本公演であった。恋多き女性でスキャンダルの女王でもあった。引退同然の隠蔽暮らしの中で死去。

 ■クライバー
 死去は74歳、2004年前立腺癌死とされている。
「ラストコンサート」は1999年2月26日イタリアカリアリのコムナーレ劇場。
終生ポストに就かず、1980年代後半から指揮の回数が2,3年に数回のペースに。スケジュール表が真っ白だったという。主にバイエルン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルなどを振ったが、クライバーがどこかで指揮するというだけで大きなニュースになり、多くのファンが彼の演奏会を待ち望んでいた。インタビュー嫌い、公演嫌い、レコーディング嫌いの理解できない指揮者であった。

 ■ロストロポーヴィチ
 死去は80歳、2007年4月27日、モスクワにて死去。80歳没。
「ラストコンサート」指揮者としては2006年12月日本フィル、チェロ奏者としては2005年6月ウイーンフィルと共演。しかしながら、著者はモスクワ市民権を奪われ出国する直前の1974年05月10日モスクワ音楽院大ホールでの演奏会をあげている。
 西側の諸国は氏を演奏家としてより「自由の戦士」として「反ソ」の象徴として扱った。

————————————————————————————-
 上記の演奏家が残した録音は質的にはレヴェルが高い。従って、普段音楽を鑑賞する際には上記の如くの情報は不要である。
 彼らは才能はに恵まれているが、同時に当たり前の人間である。喜怒哀楽も欲望もそれなりに強烈である。本書には知らない方がよかった、と思われる内容も含まれるだが、彼らの音楽にはいささかも傷が付くことはない。

 これらの音楽家の生き方に興味を持ったときには本書は貴重な資料の一つとなる。

 この項は、82歳で死去したカラヤンが同年ウイーン楽友協会ホールで録音したブルックナー交響曲No7を聴きながら記述した。あまりにも美しい完成度の高い録音で、私が同曲を聴きたくなった時に最初に選ぶ盤である。ただ、これほどの完成度の高い表現をひたすら求め続けたカラヤンの人生はなんだったのかとも思ってしまう。高度の録音を残せる時代になって音楽のありようはあまりにも先鋭化しすぎたように思う。私はスタジオ録音盤よりもライブ盤を好むが、完成度に多少傷があっても、観客の咳が入っていても、それらが一体となって醸し出す雰囲気が好きである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽談義2021(8) 本:中川右介著 「巨匠たちのラストコンサート」 文春新書 2008年(1)

2021年12月09日 19時04分43秒 | 音楽談義
 音楽家、とくにクラシック音楽の演奏家は現役時代が長く、70歳を過ぎても現役として活躍している方は数知れない。その中では指揮者は特に長く、N響桂冠指揮者のブロムシュテット氏は現在94歳で、いま来日中でN響定期を指揮している。指揮台に歩む姿も問題なさそう、2時間近く立ったまま指揮され、表情にも衰えを感じない。矍鑠とした姿で、驚くべき活力である。

 指揮者の場合、音楽表現の芸術面の総合的ディレクターである。自分では音を出さず、他力本願で音楽を表現する。だから老化しても「音楽の真髄の表現は可能である」、と考えているのだろうし、周りもそれを支持しているようだ。
 周囲から「まだやれるのに」と惜しまれながら引退する指揮者はあまりいない。むしろ指揮者の場合は、60歳頃までは若手と称され、それ以上の高齢になるとやっと「円熟しつつある」、「古潭の味わい」などと理解できない形容詞をつけて尊重される傾向にある。だから、指揮者の芸術上の「引退」と生物としての「死」は限りなく近くなる。中には指揮台の上で最期を迎える超幸せな方もいる。

 「引き際の美学」という言葉が、クラシック音楽の演奏家たちには、ほとんど当てはまらない。その中で比較的早めに引退を決意するのは自分の体を楽器とする声楽家である。どうしても声帯に加齢の影響が出やすく音域が狭くなり表現力が落ちる。器楽奏者もいずれその時期を迎える。
 多くの指揮者は自らの肉体の衰えを超えて、音楽と共に生きようとする。指揮者の衰えは演奏家がカバーしてくれるから演奏に大きな傷は出ない。ある文献には、ウイーンフィルで某名指揮者のもとでの演奏はほとんど指揮者をあてにしていなかった、指揮者が演奏に合わせて棒を振っていた、と団員の回想録にある。
 これは極端な例であるが、高齢の指揮者をそこまでさせるのは何なのだろうか。過去の名声?楽団や聴衆の求め?高価な報酬?・・・?

 私は高齢の指揮者が指揮する姿を見るのは嫌いではないが、音楽をあまり評価しない。加齢とともに自らに備わっているリズム感が狂い始めているのではないか? だから一般的に高齢指揮者の表現は若いときに比してテンポが遅くなる。人は20歳頃から高音域が聞こえ難くなる。楽器の音量バランスなど的確に指示しできるのか?などなど、

 彼らは自分の体調から時をおかず「最後のコンサート」を迎える準備はできているだろうし、聴衆はいつまできけるのだろうか、今回が最後の機会かもしれないと思いながら聴くのだろう。

 この本は、以下の10人の著名な音楽家をピックアップし「最後のコンサート」または晩年の様子を、物語として描いたものである。

 これらの方々に、演奏に関心のある方には貴重な資料となりうる。
 普段は知ることができない芸術家の生の姿が詰まった貴重な資料である。
————————————————————————————
 ●トスカニーニ ● バーンスタイン ●グールド  ●フルトヴェングラー
 ●リパッティ ●モーツァルト  ●カラヤン ●カラス ●クライバー  ●ロストロポーヴィチ
————————————————————————————
 私はここに取り上げられたすべての方々の演奏を味わってきた。バーンスタイン、カラヤン、クライバーは来日公演を聞くことができた。
 だから興味を持って読んだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽談義2021(7)NHK音楽番組 なぜ古い音源を使うのか(2)

2021年12月08日 03時24分02秒 | 音楽談義
 なぜ古い音源を使うのか(1)で記載した音源の多くは名盤と言われている歴史的価値はある。しかし、半世紀も前のモノラル盤あるいはSPからの復刻版で、現在の放送に載せるには音質的に聴くに堪えない。

 好事家がレコードやCDを購入して楽しむには良いだろう。
 こんな音源を名盤として公共の電波で紹介する音楽評論家の方々、あるいは放送の選曲を担当するスタッフは、「古き良き時代で進歩が止まっている化石の様な方」、「古きを好み、心が狭い名盤主義の方々」に違いない。あるいは、ラジヲ深夜便を聴く方々は高齢者が多いからそれに合わせた??とも考えてあげたいのだが、高齢者を馬鹿にしてはいけない。私を含め高齢者こそ現代の表現を聞くべきだ。
 
 今はすぐれた演奏、録音の音源が沢山あり選択に困らないはずである。
 評論家と言われる方々は常にすぐれた演奏や録音を広範な資料の中から発掘して紹介して欲しい。それが責務なはずである。何時までもリパッティ、ハイフェッツ、グールド、フルトベングラー、カラヤンではないはずである。
 私にとってこれらは名盤としての評価が高い録音だとしても「死んだ音楽」、「文献的価値」でしかない。

 2021年12月6日、二日前のラジヲ深夜便の2:00-3:00に「クラシックへの誘い:モーツアルトのしらべ」という特集があった。モーツアルトの交響曲のうちから楽章を選んで放送するものであった。交響曲No1、No25、No29、No35、No40、No41が取り上げられた。

 ところが、演奏を聞くとLP初期の1960年頃に録音された古い音源が使われており、私はがっかりした。
 これらの盤の指揮者を挙げると、マリナー、ベーム、セル、クレンペラーなどなど、確かに名盤の誉が高かった。全て私が所持していた盤と同じであるが、私はゴミとして廃棄した。
 
 音楽を聴くなら演奏会に勝るのもはない。それらは呼吸し、拍動している、生きた演奏だからである。聴くものも生きている。
 そろそろ第九の季節である。1824年に初演されてから今までこの曲は進化し続けている。だから価値があるのだ、と思う。今年はどのように表現されるのだろうか。

 私は大勢の中で音楽を聴くのも苦痛になったので、今はNHK交響楽団の定期演奏会を中心に録画で楽しんでいる。全てライブ録画で全て3ヶ月以内に録画されている。演奏家は全て現役なのがいい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽談義2021(6)NHKラジオ音楽番組 なぜ古い音源を使うのか(1)

2021年12月07日 10時08分52秒 | 音楽談義
 私は音楽が好き。ジャンルはあまり問わないがいわゆるクラシックから歌謡曲、演歌など、ほぼなんでも聴く。
 しかし、音楽鑑賞などという、真面目くさった聴き方はしない。いや、例外的には、気が向いた時にはヘッドフォンで、楽譜を見ながらじっくり鑑賞することもある。これによって通常聞き取れていないかすかな楽器の音、微妙な表現までを聞くことができる。

 日常的には主にラジオで気楽に、ながら聞きをしている。最近はNHKのネットラジオで聴き逃しサービスというのがあって、最近1週間ほどの間にNHKで放送した番組の一部をインターネットを介して聞き返すことができるが、これがなかなかいい音で頻回に利用している。
 NHK-FMは音質が良好なので音楽番組が多い。一方、NHK-AMの第一放送はより生活に密着した番組が流される。私は近年は情報収集のためにNHK第一放送を音量をしぼって常に鳴らしている。

 NHK-AMでもクラシック音楽を流す番組がある。日曜am8:00他、ラジオ深夜便にも適宜番組が組まれている。
 前者では評論家が登場し解説等行う。最近代変わりして比較的新しい録音を取り上げてくれるが、前の担当者は酷かった。後者では頭の硬い選曲担当がディレクターがおられるのであろう、古い録音が用いられる。あるいはディレクターの個人的好みによる選択と思われるのもある。

 下記は2012年12月6日のラジヲ深夜便の2:00-3:00に「クラシックへの誘い:バイオリン名演奏家の調べ」として放送された曲と演奏家である。
—————————————————————————————————
■ディニーク:ホラ・スタッカート 「ヤッシャ・ハイフェッツ」
■クライスラー:ウイーン奇想曲 作品2 「フリッツ・クライスラー」 
■パガニーニ:協奏曲 第2番から 第3楽章 「ルジェーロ・リッチ」
■ベートーベン:ソナタ 第7番から 第1楽章 「アドルフ・ブッシュ」
■モーツァルト:ソナタ 第40番 第3楽章 「エリカ・モリーニ 」
■ファリャ:スペイン舞曲 第1番 「イダ・ヘンデル」
■エルガー:気まぐれ女 作品17 「ヨゼフ・ハシッド」
■チャイコフスキー:ヴァルス・スケルツォ  「ダヴィド・オイストラフ 」
■ヴィエニャフスキ:協奏曲 第2番 第2楽章 「ヤッシャ・ハイフェッツ」
—————————————————————————————————
 なぜ古い音源を使うのか??
 これらの音源の多くは半世紀も前のモノラル盤あるいはSPからの復刻版で、音質的に聴くに堪えない。歴史的価値はあるが骨董品である。
 音楽は生きている。音楽家も生きている。愛好家も生きている。
 それを忘れては困る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする