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福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

師走2019 (4)もう師走、 宗教音楽雑感

2019年12月17日 04時54分20秒 | 音楽談義
 自分にとっての宗教音楽についてつらつら考えて見た。
 宗教音楽といえば、具体的には、賛美歌や聖歌、ミサ曲、モテット、カンタータ、コラール、オラトリオ、レクイエムなどが挙げらる。それらはミサ典礼文や聖書に基づいたテキストによって構成されている。 歌詞を追えばみんな似た様な内容である。だから、私は歌詞を意識しない。曲の雰囲気だけを楽しむ。

 宗教音楽は、ある宗教の儀式の際に用いられる典礼音楽と,直接には典礼に用いられないが宗教的内容をもつ音楽とを総称していう。多様な芸術のなかで、特に音楽は宗教との結びつきが強く,かつ深い。

 音楽がその発生期において宗教的儀式と一体となっていたことは明らかであり,音楽の発展の初期の段階において宗教が果した役割は非常に大きい。グレゴリオ聖歌にその足跡を感じつことができる。

 古今の大宗教のうち、原則として礼拝における音楽の使用を排するのはイスラム教だけである。その教義上、音楽を官能的快楽をもたらすものとして容認していない。にもかかわらず、コーランの読誦や、礼拝の時を告げる呼びかけなどには、当事者の意識とはかかわりなく、明らかな音楽的展開を聞き取れる。

 日本でも,仏教の僧侶による読経の際の重唱には音楽的響きがある。これを声明 (しょうみょう) というらしいが、能楽の要素となっているなど,宗教音楽と世俗音楽の結びつきは随所にみられる。

 キリスト教では、教義を反映して音楽を重要視し、積極的に芸術的な宗教音楽を育成してきた。儀式に伴って発達したグレゴリオ聖歌・ミサ曲・賛美歌などがあり、それとは別に、宗教的題材による演奏会用音楽はレクイエムやオラトリオなどとして発展した。今日の世界の音楽のなかでキリスト教音楽の占める比重はきわめて大きい。

 キリスト教の代表的な宗教曲としては、グレゴリオ聖歌、バッハの「ミサ曲 ロ短調」、「マタイ受難曲」、あるいは、ヘンデルの「メサイア」、あるいはモーツァルトの「レクイエム」などが挙げられる。

師走2019 (3)もう師走、宗教音楽、とりわけレクイエムを聴く日々

2019年12月16日 04時10分53秒 | 音楽談義
 私は師走があまり好きでない。何かと慌ただしいからである。私は淡々と、かつ静かに過ごしたい。
 私には、濃密でない時間がもっとあってもいい。静かで豊かな時間の中に身を置くことが最高の贅沢である。ただ、その希望は実現していない。

 音楽の面で年末の話題、といえば「クリスマス関連」音楽、「NHK紅白歌合戦」と「第九」である。音楽雑誌を見ても「第九、第九」と演奏会広告記事がうるさい。
 「クリスマス関連」音楽は季節感がありすぎて、嫌だし、「紅白」はかつては年越し行事としていつも楽しんでいたが、ここ10数年は一切見ていない。画面、演出が派手派手で、過剰、人海戦術、私は楽しめなくなってしまった。私が変わって時流に乗れなくなった為だろう。

 「第九」は作品としてはすごく好きな曲である。年間を通して聴く機会は少なくない。

 ただ、年末は「第九」を聴く気がしない。大晦日の日以外は聴く気がしない。
 「第九」は馬力がありすぎるから、師走の他の日に聴くのは嫌だ。越年近くになり、迎える新年への期待感が高揚してきてからなら、聴ける。尤も、NHK交響楽団は12月21日から26日の間に5回も演奏している。ご苦労様なことである。私だけが勝手に年越しなら、と思っているだけ。今年の指揮はシモーネ・ヤング。放送が楽しみである。

 私は師走になると突然宗教音楽が聴きたくなる。静かに内省的に過ごすためである。

 昭和53年母ハナが死去した。十分ケアできず私に遺恨を残した。この時期、鎮魂と反省、自分の心を落ち着かせるために宗教音楽のレコードを買い集め集中的に聴いた。異様な心理にあったのだろう、約40枚ものレコード、60曲程も購入していた。

 いまはこれらを自分のために聴いている。レクイエム、ミサ曲など、作曲家自身が迫り来る死を意識して作曲した曲である。時代や文化、世界が異なっていても人間はそれほど変わっていないことが理解できる。

 私は無宗教と思っているが、いわゆるクラッシックのジャンルの宗教音楽は親しみがある。宗教画も好き。特にラファエロの聖母像がいい。

バリトンの今井俊輔氏のコンサート 不快なブラボー男

2019年05月31日 18時17分52秒 | 音楽談義
 本日、秋田市のアトリオンホールでバリトンの今井俊輔氏のコンサートが開催された。主催は秋田ゾンタクラブ。
 今井俊輔氏は東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。2014年から東京二期会による本公演、ローマ歌劇場などのほか公演に主役として出演。また毎週月曜日「BS日本こころの歌」フォレスタのメンバーとして出演している。東京二期会会員、日本演奏家協会員。

 ピアノは濱野基行氏。
 そのほかに秋田在住の2名のソプラノ歌手、井島佐恵子氏、後藤純子氏が共演、アリアを披露し、後半ではオペラの二重唱を共演した。

 演奏曲目は、
■ 山田耕筰 からたちの花 バラの花にをを込めて この道 
■ 中田義尚 ネムの花 サルビア ほか
■ 瀧廉太郎荒城の月
■ そのほかオペラ、カンツオーネなど。

 主催した秋田ゾンタクラブは、1919年に米国で設立され、今年記念すべぎ100同年を迎えた。現在世界で63力国30.000人の会員が活躍している。日本ゾンタクラブは1961年に設立され1.000人の会員。

 このコンサート自体は見事な出来で十二分に楽しめた。

 私にとっては半年ぶりの、久々のコンサートであった。
 アトリオンホールに対する不満などそれほどないが敢えていうなら、
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■ やや過剰な残響、
■ ホールを出てから外に出るまでの混雑する。危険でないか?
■ 傾斜が少なく部隊がよく見えないこともある 椅子の配置をずらせばいい。
■ 客席のイスが小さい。臨席と近すぎる、足のやり場に困る。
■ 特定の人、クループの人からの「ブラボー」コール。不快。
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 上記の不満はそれほど大きくはないが、最後の項目だけは私にとって小さくない。
 今回はそのために中座して帰途についた。

 私は演奏前に拍手をしないが、演奏直後も拍手をしない。静かに演奏者をねぎらう。遅れて、時には何度かのコールでやっと拍手である。

 ここ数年、何人かが後部座席から即座に「ブラボー」コールを、何度も何度も発する様になった。しかも、とても良い声!!! 、すごくでかい声!!!である。 私はこの「ブラボー」が不快である。発せられた瞬間、余韻も冷めて気分は一気に地獄に堕ちる。演奏家を讃えて拍手をしたり叫ぶのは自由であるが、やるなら演奏家の近く、もっとも前の席でやればいいのだ。

 私は、「ブラボー」コールが嫌で最近は演奏が終了すると即座に席を立ち、会場を離れる。いつも一番である。そのために後ろの通路脇の席に座る。私のささやかな防御である。

 私も老けたものである。従来それほど大きく感じなかった事象を大げさに感じるようになった。だから、最近はコンサート自体を避けている。

音楽鑑賞2019(2):埋もれていた中に「椿姫」を見つけた

2019年02月10日 19時02分27秒 | 音楽談義
 音楽番組は自動録画だからちょっと油断していると未視聴のまま次々と貯まる。時間を見つけては書斎で仕事を進めながら視聴しているが到底追いつかない。
 そればかりか、どんな曲が録画されているかすらもわかり難い状態に陥った。

 「N響定期公演」だけでも1805回から最近の1900回までの録画が未整理状態である。
 昨日からの3連休を使ってインデックスづくりに着手した。新発見がたくさん出そうである。苦しくも楽しみな作業になる。

 昨日、早速気付いたのであるが、2005年ザルツブルグ音楽祭の「椿姫」が録られていた。この演奏はすこぶる評価が高く、10数年経った今でも名演と話題になる。雑誌「音楽の友」でも話題になり、私も求めていたが半ば諦めていた。それがあった。

 私はオペラのうちでもVerdiの作品、その中ではとりわけ「椿姫」が好きで、レコード、CD、レーザーディスクなど10種類ほどのソフトを所持し、適宜楽しんできた。レーザーディスクはゼッフィレッリの演出、T・シュトラータスの盤が印象深いが、再生装置が入手できなくなってから10年ほど経つ。

 「椿姫」は、終始名旋律揃いで、映像がなくても十分に楽しめていた。CDではC・クライバー盤、ムーティ盤、マゼール盤を愛聴していた。

 でも、オペラは映像付きの盤が絶対に優位である。
 この奔放で悲劇のヒロインを演ずるには、歌が上手いと言うだけでは不足で、気品と美貌が備わっていなければダメ。しかも、主人公は最後は結核で死ぬから肥満体でもダメ。私は映像付きの盤は数種しか見ていないが、イメージがぴったりと合う歌い手の映像はそう多くはない。
 
 アンナ・ネトレプコが主演する「椿姫」は2005年ザルツブルグ音楽祭で上演され絶賛された舞台。
 ネトレプコのザルツブルグ・デヴュー、その演出の斬新さも注目された。

 キャストは以下の如く。
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 ■ウィーン国立歌劇場管弦楽団 ウィーン国立歌劇場合唱団
 ■指揮:カルロ・リッツィ ■演出:ウィリー・デッカー
 ■ヴィオレッタ: アンナ・ネトレプコ ■アルフレード: ロランド・ビリャソン
 ■ジェルモン: トマス・ハンプソン
■等々・・・・多くの名手が出演している。
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 舞台にはソファーと大きな時計が置かれるのみ。この時計が「刻」をあわわし、 ビオレッタの人生に残された限られた時・命をくっきりと浮かび上がらせる。この舞台上の演出も話題を呼んでいた。
 
 完成度が高い舞台の記録であった。合唱団、脇役まで含め素晴らしい出来、と思った。しかしながら、なんといってもネトレプコ、 登場は赤のワンピース、赤のハイヒール。 美声は芯のある強靭な声、しかも柔軟。時に臥位でうつ伏せに近い状況でも歌っても何も変らない。30代中頃というが、華やかな、見栄えのする美貌、年齢相応の、ほっそりとし過ぎない姿態、キビキビした動き。2幕以降の心象表現、死に向かう3幕の表現、見事だ、と思う。

 相手方のアルフレードを歌うロランド・ビリャソン。 真っ直ぐな、一途な青年を好演したが、若きカルロスゴーンを思わせる風貌がずっと引っかかった。
 トマス・ハンプソンが歌う「プロヴァンス」は聴かせた。

 この連休の前半はこの「椿姫」に救われたが、おかげでインデックス作りは思うようには進まなかった。

音楽鑑賞2019(1):すっかり変わった鑑賞法

2019年02月09日 18時52分18秒 | 音楽談義
 私は音楽が好きだ。

 昔はよく音楽会に行ったものだ。オーケストラ関連の秋田公演はほぼ全てを聴いた時期もある。カラヤン、アバド、クライバー、バーンスタイン、アイザックスターン、シノポリ等の演奏会、とりわけミラノ・スカラ座、ウイーン国立歌劇場等の東京引っ越しオペラ公演は業務を早めに切り上げ午後空路上京、22:30発の寝台特急あけぼのであたふたと帰るスケジュールで楽しんだ。
 今となれば懐かしい。

 最近はほとんど演奏会には行かなくなった。人が集まるところが嫌になったからで、かつ、狭い椅子で前席の方の頭を見ながら座っているのも嫌になった。昨年はベルリン交響楽団の能代公演一回だけだった。

 昨年春から終活を兼ねてCD廃棄の準備として全CDをMP-3化した。そのデータを聴くためにiPhoneとノイズキャンセリングヘッドフォンを更新した。iPhoneは256GBあり、MP-3データが全部収納できた。これからBlu-toothを介してワイヤレスで日常的に音楽を楽しんでいる。圧縮されたデータでありかつワイヤレスだからかなり音が劣化しているかも、と危惧していたが、実用的には十分満足できるレベルである。

 私のもう一つの財産は演奏会の録画データである。
 BS放送を直接ハードディスクに録画できるシステムを導入してから録音時間をほぼ気にすることなく録画できる。約10年ほど前から、NHKの「らららクラシック」、「N響定期公演を中心とする演奏会」、民放の「題名のない音楽会」、「読売日本交響楽団演奏会」は全て自動録画されてハードディスクに収まっている。そのほかにも放送スケジュールを見て追加的に録画しているのもあるからもう膨大なライブラリーになっている。

 自動録画だから次々と貯まる。時間を見つけては書斎で仕事をして視聴しているが到底追いつかない。どればかりかどんな曲が録画されているかすらもわからない状態に陥った。

 本日から3連休である。この時間を使って内容を掘り起こすことにした。
 作業を進めてみると貴重な演奏会が記録されていた。それらを一部聞きつつインデックス作りを始めた。
 
 大変な作業になるだろうが、新発見がたくさん出そうである。楽しみな作業になる。