相続に関してはあまり難解で自分で処理し、遺言を作ることを諦め、プロの手を借りることとし、某税理士事務所に依頼した。
さすがプロは手慣れたもので、私の資産の資料を分析し、遺言書の草案まで作成が終了した。また死後の諸手続きもこの事務所が代行または助言が受けられるとのこと。もし、税務署の調査が入った際には対応していただけるとのこと。その費用は決して少ないものではなかった。ここまで来れば一段落、残っているのは公正証書遺言の形にして公証役場に保管する作業と手続きだけである。
人は、死んだらどうなるのだろうか??・・・といっても、他人のことはどうでもいいのだが、私が死んだら、すべて無になる、無になりたい、無にならねばならぬ、と考えている。
そうはいっても残念なことに、モノとして遺骨だけは残ることになる。遺骨に霊とかの何か特別なことが宿るわけではなく、私の考えではゴミと同等である。そんなものが残るから後々まで問題になる。私は墓は維持している。私にとってはゴミの収納所でしかないが、多くの方々はそうは考えないようである。
今でも戦地の遺骨などが話題になる。国は遺骨回収事業を継続し収集数はあわせて約34万柱にも登る、という。私はこの事業には賛成ではないが、関係されたご遺族の心情を思いやると軽々なことは言うべきでない、とは思う。
仏教以外の他の宗教のこと、諸外国の事情はよく知らないが、我が国では骨を大事に扱う。遺体のうち長く残るのは骨であり、火葬で残るものは骨であり、それを安置する墓は故人の名残として、ご先祖の名残として大事に扱われる。骨は骨ではないようだ。
時代がら、墓の継承が困難になっていることも事実であるが、墓地を訪れると新しい墓地、墓も結構あり、決して少なくない。
骨ではなく故人のソフト的遺産は、故人の親族、知己の方々には濃厚に残るだろう。記憶や恩、憎しみなどを含めて。また、種々の遺品などを残した故人の場合はそれらも一定期間は残るだろう。私の場合も一部は残るが早く忘れて欲しいし、残すべき社会的業績もないから、私の影は間も無く消え去るだろう。
今回、遺言を作ったが、人生は楽しさ半分、生きるのも困難、死ぬのも困難、死後の処理も困難・・・とままならないものだね。いっそのこと生まれてこなかったら良かったのにとも考えることもある。
自分も墓を維持していますが、そのうち墓じまいします。
共同墓地なんかじゃなくて、粉にして小さじ1杯くらいでも、親の実家に少しまいてあげたいなぁ。
仏壇は今年か来年には処分したいです。
骨や仏壇や位牌に魂は宿らない、と、私も思います。