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福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

こころと身体2022(41) いじめ(9) 時代の変化と少年の心の変化

2022年04月26日 05時13分05秒 | 未分類
 かつて、子供の立場で大人を批判した自分であったのに、親になっていつしか立場が逆転していた。子どもの反抗や指摘に、一方的に大人の立場を押しつけている自分に気づき愕然としたことが何度かある。

 時には声を荒げたこともあった。でも、それにもかかわらず、三人の子どもはつまずくこともなく育ってくれた。数知れぬ私の失敗にもかかわらず、である。

 さて、「少年期」は子どもが親の庇護から離れ「生き方を分ち合うような仲間を広く求めるようになる時期」であり、これはいわば自己中心的ながら「社会化の時期、または最初の社会的人格の成立の時期」、とも言える。

 つまり、それ以前は両親の像を通してのみ社会を見ていた子どもが、同年輩の遊び仲間を通じて直接的に社会と接触するようになる重要な時期となる。どのようにして社会的に適合するか、またどのようにして他人とうまくやっていくか、を学ぶ時期である。

 同じく「少年期」といっても、時代を通じて不変なものもあるし、時代の変化と関わりながら、たとえば戦前と戦後ではその様相が多きく変わってしまった。同じ戦後でも、さらに細かくみれば、各年代ごとに微妙な変化がある。

 かっては近所の子達はたいてい仲よしであった。お互いの家には開放的な縁側があり、その家の家族も含め勝手知ったるわれらが領分であった。ところが、今は、各家々は一つ一つが独立して一枚のドアで仕切られている。

 家へ帰れば、TVという受身一方の情報が流され、その間にもあれこれと制約を加えられて、少年たちが自主的に生きる空間と時間の「自由」を選択することなど、どだい困難な状況になっている。
 これは、核家族化や住宅事情の変化に伴う団地化などとも深く関わりあっており、私どもの少年期の環境を「自由・開放系」とするなら、現代のそれは「不自由・閉鎖系」と言わざるえない。

 こうしたなかで、家族内の不和とか経済的困難とかの何らかの不安をもたらす要因が生じれば、少年たちの心にダイレクトにその影響があらわれてくる。

 少年少女たちの大部分は、自身たちが招いた問題というよりは、周囲の環境に影響されたもので、いわば自我が弱い立場の子どもが一番最初に犠牲となる。

 少年たちにとって一番大切なのは、彼らの自由な空間と時間の保障である。年少者にとっては「遊び」の保障であり、年長者にとっては「自主性」の保障が大切である。そして、それらをやさしく見守る親や教師の心の「ゆとり」が必要である。

 子ども時代に祖母や母のやさしさを経験せず、少年時代に遊びを通じて少年らしさを発揮することのできず、大人になったとき、その分だけの、いやそれに数倍する代償を払わされることにもなり得る。
 少年期の時の経験は、あらゆる面でその後の人生に影響を与えるのだ、と思う。
 「いじめ」への対応も同様である。
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こころと身体2022(34) いじめ(3)  いじめとは?? いじめの定義

2022年04月19日 18時58分22秒 | 未分類
 「いじめ」が成立するためには、(1)加害者の嗜虐意欲、(2)加害者による現実の攻撃行動、(3)被害者の苦しみ、の三要素が必要である。

 「いじめ」は若い人たちに特有のものではない。老若男女あらゆる集団で「いじめ」は発生し、蔓延する。親が子どもを虐待するのも「いじめ」である。特にその人間関係、人間集団から逃れられない環境下においては頻発する。

 被害者の意識を基準にした定義が散見されるが、被害者が「苦痛」と感じさえすれば「いじめ」とすれば、何でも「いじめ」になりうる。暴力行為によって苦痛を与えるだけでは「いじめ」ではない。

 いったい何から何までが「いじめ」なのだろうか。

 「いじめ」における攻撃では、被害者が苦しむことがはじめから目的とされて、被害者の苦しみが具現化され、その手応えを加害者側が遊び感覚、楽しみとして享受する。この嗜虐的意欲が、「いじめ」のコアである。

 「いじめ」の多くは、特定の一人によるものではなく、周囲に賛同者がいるなど何らかの社会構造に埋め込まれた、複数の「みんな」の勢い、あるいは「自分たちなり」の特殊な秩序を背景にしているのが特徴的姿である。

 だから、ほぼ閉鎖的な学校は「いじめ」の温床になりうる。
 学校で「いじめ」が発生する根本的な要因は、雑多な人間が集められたクラス内において過度に人間関係の親密さを強要するシステムそのものにあるから、学校、特に中学は「いじめ」の温床になりやすい。
 特に中学は一般社会のルールや常識も知らず、にもかかわらず中学生としての自覚を要求されるな微妙な位置にいる。
 学校関係者、教育関係者はこのことをよく認識してほしい。

 私は3人の子どもがいる。今とは、時代も異なっているが、わが家で「いじめ」が深刻な話題になったことはなかった。しかし、個々に聞くと多少はあったようであるが、幸いにそれほど深刻ではなかったようだ。
 今は孫たちが若干心配である。「いじめ」問題は私にとっても看過出来ない問題である。
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こころと身体2022(28) ジェネレーションギャップ「世代間格差」について(1)

2022年04月06日 01時14分47秒 | 未分類
 「ジェネレーションギャップ(generation gap)=以下GGと略す」は「世代間に生ずる、知識・関心・考え方などの違い」という意味で、「世代間格差」あるいは「世代間断絶」と訳される。あくまでも「差異や、認識の違い」があることを指す言葉で、その善し悪しを示す言葉ではない。

 GGは、職場や家庭だけでなく日常生活のあらゆる場面で発生する。何気ない会話の中でも、異世代に通じない!という言葉や考え方は意外と多い。

 我が国には和暦がある。和暦には西暦にはない一定の年代区切りを示す優れた機能がある。今の日本人は、大部分が昭和世代と平成世代に属すが、その間でGGが起こりやすい、と考えれば理解しやすい。さらに、令和に突入した。令和世代はまだ子供しかいないが、近い将来には、3世代にわたる新GG時代が生じてくる。

 人は育ってきた時代の考え方を身につけながら成長し、活動し、やがて老いていく。この間、如何に「人間」について、「人生」について勉強しようと、頭では理解していながら、深層にある考え方はなかなか変わることがない。

 私はそういう意味では「人間」について、「人生」について勉強している方だと自認している。時代別の社会の考え方の変遷についてもわかっている方だと思うが、私は「昭和の古い人間」というカテゴリーから抜けきれない。私は考え方の深層に「昭和」を引きずって生きている。

 私は、世代間の格差がなくなることは絶対にあり得ないことだ、だからGGはあって当然のもの、と考えている。GGの解消は、極言すれば古い人間に引退してもらうか、消滅してもらうしかないが、そんなことは望みようがない。

 世代間に見られるGGは、世代間の対話の減少、世代間の交流減少が原因しているように思われる。若者は若者の社会で生き、高齢者も高齢者だけの社会で生きていて、その間のコミュニケーションが大きく欠けているような気がする。

 日本は少子高齢化、人口減のためにGGが拡大していくであろう。これは互いに不幸なことである。
 だから、GGを埋める手立てを考えなければならないと思う。
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こころと身体2022(27) 歩数計積算データを眺め、運動不足解消に生かす

2022年04月05日 05時54分17秒 | 未分類
 2013年4月に私はクロスバイクによる通勤を諦め、徒歩通勤を開始した。条件によってはバスも利用している。
 その時に購入したのが歩数計「新・平成の伊能忠敬」である。伊能忠敬が日本地図を作るために海岸沿いに歩いた足跡を、日本一周約18.000Kmをゲーム感覚で地図を作りながら進んでいくというもの。

 現在、日本二周目の途上にあって東京から北上、北海道は後1.000Kmを残すだけとなっている。
 
 歩数計、「新・平成の伊能忠敬」は2022年4月時点で以下のデータを示した。
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 ■使用開始後、3.287日目(8.9年)
 ■Σ歩数3.000万歩(平均9.128歩/日)
 ■歩行距離2.4000Km(平均7.3Km/日)
---------------------------------------------------------------------------

 2020年4月14日、沖縄を含む日本一周を達成した。
 その時のデータは、■2.565日(7.03年)目、■総歩数Σ2.411万歩 (平均9.399歩/日)、■歩行距離Σ19.292Km(平均7.52Km/日)であった。

 この歩数計は到達目標がとても遠い。時間もかかる。実際、購入した方々の何%ほどが達成するのか??と思う。購入者の1割にも満たないのではないか??
 私は当時この歩数計を気に入り5ヶ購入し、家内や子供たちに配った。しかし、1年経った頃聞いてみたら利用し続けていたのは私だけだった。

 まあ、そんなものだろうと思ったが、私が9年近くも使い続けてきた背景を考えてみた。
――――――――――――――――――――――――――-
 ■ 「継続は力なり・・」という意識、持論があった。
 ■ 最大の理由は死ななかった、あるいは大きく健康を害さなかった。
 ■ 紛失せず、決定的な故障なし。
 ■この8年間、毎日 2:00amに歩行数を確認しブログに記録し続けた。
 ■ 歩数からその日の運動量を推定、翌日の生活に役立てた・・・などなど。
――――――――――――――――――――――――――-

 連日の歩数は、日当直の日は病院の部屋にこもるから3.000歩程度、雨天などは通勤はバスを利用、座学中心で座りっぱなしなので6-7.000歩、雪が消えた3月以降は外仕事と歩行で10.000-15.000歩程度となっている。

 いつまで積算できるのか、楽しみである。
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こころと身体2022(26) 私は何者か?(4) 列車を乗り越したが、最高に運がよかった

2022年04月03日 18時38分46秒 | 未分類
 3月16日(水)深夜に起きた地震により東北新幹線は不通となった。秋田新幹線はその影響で運行本数を減らして秋田・盛岡で運行となった。私は週一回金曜日に大曲出張で往復秋田新幹線を利用しているが、運が悪いことに私が利用する便は往復とも間引かれてしまった。

 そのために3月18日(金)以降、奥羽本線の普通列車を利用している。出発時間は新幹線とほぼ同じ、乗車時間は10数分ほど長い60分ほどである。
 4月1日(金)朝、途中までiPadで読書していたが大曲駅近くで睡魔に襲われ眠ったらしい。車内放送で「次は後3年駅・・・」と言っており驚いた。乗り越しである。大曲を過ぎていた。とりあえず次の「後3年駅」で降り対策を考えることにした。

 しかし、奥羽分線は上り下りとも1-2時間に1本ほどしかないから列車で戻るには無理があるだろう、タクシーで大曲に戻るしかないが、田舎の駅でありタクシーも横手市から呼ぶことになるだろうから時間がかかる、と考えていた。
 結局、今日は診療応援にはならないかもと半ば諦めているうちに「後3年駅」に着き降車した。なんと!!! 向かい側のホームに向かって逆方向の普通列車が静かに近づいてくるではないか!!!
 ・・・と言うことで、大曲中通病院には予定時間から40分ほど遅れただけで到着し業務に大きな穴を開けないで済んだ。大曲に戻るチケット代金は無料であった。

 今回の乗り越しは、逆方向の列車が同じ時間に停車する駅で降りられたという偶然の機会に助けられた。まるで松本清張の作品「点と線」の如くだ、と思いながら嬉々として病院に向かった。

 これまで私の乗り越しは何度かある。何も睡魔に負けた。
―――――――――――――――――――――――――――――――
  1. 能代の病院の診療応援の際、睡魔に襲われ急行列車で乗り越し、二ツ井駅で降車した。この時は約2時間遅れて病院に着いた。外来診療には間に合わず、病棟回診だけで済ませた。
  2. 仙台の会議に向かった際、睡魔に襲われ新幹線で乗り越し、大宮駅で降車した。急いで戻ろうとしたが、下りの東北・秋田新幹線は満席での席が取れず仙台に戻ったのが4時間後。当然会議には間に合わず、そのまま秋田まで帰った。
  3. その他若干
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■宮城・福島県沖の地震について
 3月16日23時34分頃、宮城県や福島県で震度6強を観測する地震があった。同36分頃にも、震度6強が観測された。気象庁によると地震の震源は福島県沖、震源の深さは約60キロ、M=7.3と推定され、最大1mほどの津波注意報を発表した。 
 震度5強は岩手県、山形県で観測。
 震度5弱は青森、岩手、秋田、山形、福島、茨城、栃木、新潟県で観測。
 震度4は東京都内でも観測。

 東北新幹線では営業運行中の車両が白石蔵王駅近くで脱線、東北自動車道で路面に亀裂が入るなど大きな被害が発生。大規模停電や断水も相次いだ。
 新幹線は17両のうち16両が脱線しており、さらに線路や高架橋に1000箇所ほどの損傷が見られ、復旧は4月中旬の予定という。

 上記の事故で東北新幹線は不通となり、秋田新幹線は運行本数を減らし盛岡・秋田間の運行となった。

 東北新幹線事故は人身事故にならなかったのは幸運であった。さすが日本の技術!!、と思うが、やはり怖い。

 私は自分が何ともできない巨大システムに身を委ねるのを恐ろしいと思う不安症である。例えば、東京都庁、航空機、新幹線、地下鉄、青函トンネルなど。現実には利用しないで過ごせないから利用はするがその度に内心穏やかではない。

 困った性格である。
コメント (2)
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