私は選挙権を得てからは今に至るまでほとんど全ての選挙に投票をしてきた。忘却して欠いたこともあるがせいぜい数回である。
投票をしないことは政治に参加しないこと。政治に参加しないことは糸の切れた凧の様に、全て人任せにして生きるということ。そんなことは自分としてはとても耐え難い。
私は子供の時から選挙には関心があった、というか関心を持たざるを得ない環境で育った。私の本家はかつては貴族院議員、衆議院議員を出していた。代替わりした後は県会議員、町長を務め、自民党岩手県連の重要なポストを占めていた。だから選挙のたびに一族で分担して手伝ったものである。小中学生であった私にも使い走り等の雑用が回ってきて選挙運動の雰囲気を味わった。母の葬儀の際の弔電では第一番目に「内閣総理大臣鈴木善幸」より、が読み上げられ驚いた。それにしても選挙のたび毎に一族郎党が巻き込まれる大変さを味わったが、間接的に選挙の重要性についても学ぶことができた。
直近の参院選は2019年で、その時の投票率は48.8%で、年代別にみれば若年者の投票率は低い。
図に近々の国政選挙の秋田県の投票率を示した。

確かに、国の代表者を直接選ぶ大統領制と異なり、日本の議会制民主主義の政治形態は自分の一票がどのように政治に反映されているのか分かり難い仕組みであるが、それでも投票の意義は確実にある。政党による差、所属派閥による差、当選回数による差などなどで自分が投票した議員の活躍の姿はほとんど見えないのも寂しい限りである。これは実感である。
高齢者の投票率はなぜ高くなるのか??つらつら考えると守りの傾向が見られる・・・・・
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●時間的に余裕がある。
●加齢と共に社会の中における自分との関係性、重要性を自覚。
●社会の恩恵を感じ、感謝の念が出る。
●高齢者特有の人生の時間的余裕の乏しさ、やり直しができない不自由さと、漫然とした不安。
●経済的困窮への不安。
若年齢層の投票率はなぜ低いのか??つらつら考えると
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●時間的に余裕が乏しい。
●自分と社会の中における関係性、重要性を自覚できていない。
●現在の若者達の生活環境の厳しさは、我が国の政治経済の流れの中で、主権在民の中で形成されてきたことに関する自覚が乏しい。
●生き方が受身的である。
今回のロシアの暴挙は、我が国に間接的に、長期的にもっともっと重大な影響がもたらされると考える。我々高齢者は間も無く消える。若年齢層の方々は手をこまねいていてはダメだ。もっと厳しい時代が来るが、自分たちで舵をとってほしい。