タイの元々の新教育年度のスタートは5月なのだが、アセアンで新教育年度のスタートを統一するとやらで、大学だけ数年前から8月スタートへ変更。息子がバンコクの大学へ行くのは7月末だなと思っていたのだが、7月16日から大学で高校卒業までの理数科目を復習する課外授業があるそうで、息子が行きたいと言うので急遽申し込み。土日は寮の事務所が休みで、金曜に入寮しなければならなくなり、木曜の夜のバスでバンコクへ行くことになった。
息子が産まれた時は、私が31歳でまだまだ遊びたい盛り。産まれたばかりの息子を眼の前にしても父親としての実感が湧かず、妻を取られてしまった様な気分までする始末。そんな私でも育てている内に可愛いと思い始め、息子が風邪で発熱して苦しんでいたのを見て、私が守ってやらなければならないと強く思ったのを覚えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/a6/ae51c8fa7b8be6e96e1a03a5c02d491e.jpg)
深夜作業や突然の呼び出しも有ったりの不規則な仕事で、あまり遊んでやった記憶もないが、明るい子供に育ってくれて小学校の低学年の頃は「大人になったら吉本興業だな」と思うほど面白かった。下の写真は学校のボーイスカウトの制服を利用したトイストーリーのウッディのコスプレ。タイの農村なので集落の人達はウッディを知らないが、映画のセリフを言いながら走り回る息子を見て大笑い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/9e/80e5946b73b6d0431d8c3761a14ab0ea.jpg)
タイへ来た当初は、タイの教育事情を知らないので集落の小学校へ入れたが、小2をダブりながらもタイ語を習得し、そこから小学校卒業までに2回転校してグレードアップ。小5の終わりから進学塾へ通い始めたが、親が事情を知らなかった中学受験では数学がさっぱりで、理数科は当然合格できず、普通科へ入った。その頃から思春期も始まり、そんなに面白い子ではなくなったが、朝の校内放送のDJやボーイスカウトに生徒会で活躍した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/ae/fbec2420d22ed54b4c77121260cd033a.jpg)
高校受験でも理数科をまた外してしまい、エスカレーター式に普通科の理数コースへ入ったが、通知表の評価はさっぱりで成績順のクラス分けでは低位クラスへ。クラスメートの多くは縁故・寄付入学であり、授業中の態度も悪くて環境が悪いので「太いコネ」を使って上位へクラス替え。
M.4(高1)から大学受験を目指して每日勉強したが、なかなか将来の目標が定まらずに中弛みしたし、教科書ベース進んでしまって勉強のやり方が悪く、M.5から塾へ押し込んだがスタートの遅れにずっと足を引かれた。
やはり早めに将来の目標を定め、それを足掛かりにやる気を維持しながら効率良く進めなければならなかったのだろう。
息子の学力を見れば日本の平均的な学生くらいだと思うが、タイは学力が高い学生の層が薄いのかネットの合格判定サイトではどの大学でも人気学部でなければ(w)入れそうで、実際に4回目の選考の合格者のスコアを見ても願書を出していれば入ってただろう。息子も「糞!チュラの理学部にしていれば、BNK48の娘も理学部へ入ったのに!」と悔しがっていたが、まあその程度の話w。平均点より少し上を取って、人気学部とかの欲を言わなければ、それなりの大学へ入れてしまう。息子が卒業した高校では成績がトップグループの生徒の進学先はコンケン大の医学部と薬学部が多いそうだ。バンコクへ行かせると就職もバンコク方面で帰って来ないので、コンケン大が人気らしいが、全国的にそういう傾向かな?
7月半ばからバンコクへ行くと判っても、未だ一週間有ると思っていたが、日が経つにつれて私の溜息が増えて、あっという間に出発当日に。夜行バスなので夕食を終えてからバスターミナルまで私が送ったが、いざバスの出発時間になると息子の目の周りが赤くなり、私の胸にも熱い物が込み上げてきた。出発したバスに車が追いつきバンチャン交差点で一緒になったが、そこで息子とお別れ。
一昔前ならそこから帰省するまでは息子の顔も見えないが、帰宅すると自宅で留守番していた妻とバスの息子がスマホでビデオ通話中。今はそれが普通だが、何とも便利な世の中になったもんだw。
寮の部屋に未だ一人だけというのもあって寂しいのか、日に3,4回は話しており、家へ居た時よりも親子の会話が多いのではないかと思うのだが、明かりの消えた息子の部屋を見る度に胸がキュッとなり、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/3a/369c2ff33516a09206aae6c3d7332939.png)
心へこんなに大きな穴がポッカリ空いた様に寂しい気持ちになる。
日本の母へその話をすると「私はその気持が凄く良く分るよ」と言われ、こちらもまた申し訳無さでいっぱいだ。orz
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息子が産まれた時は、私が31歳でまだまだ遊びたい盛り。産まれたばかりの息子を眼の前にしても父親としての実感が湧かず、妻を取られてしまった様な気分までする始末。そんな私でも育てている内に可愛いと思い始め、息子が風邪で発熱して苦しんでいたのを見て、私が守ってやらなければならないと強く思ったのを覚えている。
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深夜作業や突然の呼び出しも有ったりの不規則な仕事で、あまり遊んでやった記憶もないが、明るい子供に育ってくれて小学校の低学年の頃は「大人になったら吉本興業だな」と思うほど面白かった。下の写真は学校のボーイスカウトの制服を利用したトイストーリーのウッディのコスプレ。タイの農村なので集落の人達はウッディを知らないが、映画のセリフを言いながら走り回る息子を見て大笑い。
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タイへ来た当初は、タイの教育事情を知らないので集落の小学校へ入れたが、小2をダブりながらもタイ語を習得し、そこから小学校卒業までに2回転校してグレードアップ。小5の終わりから進学塾へ通い始めたが、親が事情を知らなかった中学受験では数学がさっぱりで、理数科は当然合格できず、普通科へ入った。その頃から思春期も始まり、そんなに面白い子ではなくなったが、朝の校内放送のDJやボーイスカウトに生徒会で活躍した。
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高校受験でも理数科をまた外してしまい、エスカレーター式に普通科の理数コースへ入ったが、通知表の評価はさっぱりで成績順のクラス分けでは低位クラスへ。クラスメートの多くは縁故・寄付入学であり、授業中の態度も悪くて環境が悪いので「太いコネ」を使って上位へクラス替え。
M.4(高1)から大学受験を目指して每日勉強したが、なかなか将来の目標が定まらずに中弛みしたし、教科書ベース進んでしまって勉強のやり方が悪く、M.5から塾へ押し込んだがスタートの遅れにずっと足を引かれた。
やはり早めに将来の目標を定め、それを足掛かりにやる気を維持しながら効率良く進めなければならなかったのだろう。
息子の学力を見れば日本の平均的な学生くらいだと思うが、タイは学力が高い学生の層が薄いのかネットの合格判定サイトではどの大学でも人気学部でなければ(w)入れそうで、実際に4回目の選考の合格者のスコアを見ても願書を出していれば入ってただろう。息子も「糞!チュラの理学部にしていれば、BNK48の娘も理学部へ入ったのに!」と悔しがっていたが、まあその程度の話w。平均点より少し上を取って、人気学部とかの欲を言わなければ、それなりの大学へ入れてしまう。息子が卒業した高校では成績がトップグループの生徒の進学先はコンケン大の医学部と薬学部が多いそうだ。バンコクへ行かせると就職もバンコク方面で帰って来ないので、コンケン大が人気らしいが、全国的にそういう傾向かな?
7月半ばからバンコクへ行くと判っても、未だ一週間有ると思っていたが、日が経つにつれて私の溜息が増えて、あっという間に出発当日に。夜行バスなので夕食を終えてからバスターミナルまで私が送ったが、いざバスの出発時間になると息子の目の周りが赤くなり、私の胸にも熱い物が込み上げてきた。出発したバスに車が追いつきバンチャン交差点で一緒になったが、そこで息子とお別れ。
一昔前ならそこから帰省するまでは息子の顔も見えないが、帰宅すると自宅で留守番していた妻とバスの息子がスマホでビデオ通話中。今はそれが普通だが、何とも便利な世の中になったもんだw。
寮の部屋に未だ一人だけというのもあって寂しいのか、日に3,4回は話しており、家へ居た時よりも親子の会話が多いのではないかと思うのだが、明かりの消えた息子の部屋を見る度に胸がキュッとなり、
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受験は本当大変でしたが・・色々反省はあるでしょうが、良いところに受かって、良かったです。これからも頑張って、良い道が有るようでご本人も、張り切っているし~~♪
世の中便利になって、全く良いですね、特に交通と通信は近年格段の進歩ですよね。
昔とは比べられない、特に電話~~♪昔、「テレビ電話」って、SFの世界でしたから。ウルトラマンの地球防衛軍が、腕時計みたいな感じので、通信しているのは、それなりに衝撃でした(笑い)~~♪
アホな親は、中身がないので、機材が進んで、益々、世間から、親子の情愛から遠ざかっている人もいるようですが、その成れの果てが、しょうもない野党になっているのでしょうが~~♪
機材が進歩して、困ったちゃんが世の中を毒することも多くなりました。
人の気持なんて、自分がその立場になってみないと分らないものですね。
息子も母親からコンケンへ行けと言われたのに反発し、
絶対にバンコクの大学と行ったものの、
未だ数日しか経ってないのに家のご飯が食べたいと泣き言www。
もう帰りたいなんて言ってますから笑っちゃいますよ。
そして次の連休に帰らせようと言い始める妻www。
体だけは大きく育ちましたが、まだまだ甘えん坊なんでしょうね。
「テレビ電話」って子供の頃の私は博物館へ行く度に遊んでいたのですが、
二十数年前に行ったマルチメディア展で
日本IBMがパソコンの小さなウィンドウで動画を扱っているのを見て「へー」と驚いて、
それからインターネットの普及が始まってネットで動画が見れるようになり、
ブロードバンド接続が一般的になった頃に
私も仕事でネットのテレビ電話のサーバーを構築した覚えがw。
その頃から携帯でも3G・4Gとデータ通信の高速化が進み、スマホも高性能化。
三十年近く前に顧客データベースに使うコンピュータを構築したのですが、
学校の教室2部屋分の広さへ二重床を張り、空調を効かせて運用してました。
それより遥かに性能が良いコンピューターがポケットへ入るのですから驚きです。
それを使って車で移動しながらテレビ電話。
昔ならウルトラ警備隊かドラえもんしか持ってませんでしたね。
そういう時代の流れから取り残された人がテレビや新聞の偏向報道を丸呑みする情報弱者となり
耳触りの良いことばかり言って感情に訴える野党の支持者。
私は某新聞の議論欄で討論することもあるのですが、
国会前でデモする様な人達は、事実を突き付けられると、罵倒して削除して逃亡がお約束。
誰でも情報を発信できる世の中になりましたから、その情報が正しいのか吟味する力が必要ですね。
N◯Kや朝◯新聞、どこかの大学教授だとかに権威を感じて信じる人は、特に気を付けなければならないでしょう。
お兄ちゃんには頑張るようにお伝えください。
今までアドバイスや情報をありがとう!
遠くから応援してます。
私にも離れている両親がおりますし。
子供達はこの先どうなるか わかりませんが、勝手に想像し感情移入。
大きなハートの穴が あ〜〜って感じでした。
しかし本当に通信が便利になりましたね。
せっかく書いて頂いた渾身のコメントが届かなかったのが残念です。
恐らくサーバー書き込み中に通信エラーでタイムアウトなのでしょうね。(悲)
息子は昨日から始まった課外授業で化学が理解できなかったそうで落ち込んでましたが、
昨晩参考書を読んだり、先輩へ尋ねたりで理解できたそうで、元気になってました。
徐々に新しい環境に慣れるでしょう。
多くの人達の応援に応えて頑張ってくれるのを期待してます。
いつも応援ありがとうございます。
グリグラさん
息子がバンコクへ行ってからは息子のことばかり気になって、
朝ごはんは食べたかな、もう寮へ帰ったかな・・なんてのは軽い方で、
ベッドへ入れば息子が小さい時からの出来事をずっと思い出して寝れなくなったりwww。
もう我慢が出来なくて記事へ息子の写真までペタペタと貼ってしまいました。
1年ダブリで今年成人なのに子離れが出来ないのですよ。(恥)
私の両親もこんな気持で私を送り出してくれたのでしょうね。
81歳の母が日本で一人暮らししてますが、
每日スマホでメッセージを交換してまして、時にはビデオ通話。
既に髪は真っ白ですが、見る度にシワが増え小さくなっている様な。
こっちへ来いと言うのですが、やはり日本が良いみたいです。
新入生の面倒をみる行事か何かがあるといってました。
新学期は8月からで今週の日曜日にもう一度帰省してくる予定です。
うちは比較的バンコクに近いので自家用車で送迎しています。
娘が言うには家に近いブラパ大学にしても良かったかなとのことです。
息子の話では、新入生の歓迎会は25日でしたが、
学部によって違うのでしょうね。
息子は金曜に入寮し、日曜の夜までは退屈とぶつぶつ言い、
月曜から始まった課外の授業が難しかった様で凹みまくり。
帰りたいなんて言ってましたが、火曜の夜には理解出来たらしく元気になってました。
バンコクへの移動は車で連れて行って欲しそうでしたが、
往復1100キロは辛いですし、娘の学校も有るのでバスにしました。
平日なら飛行機もバスも料金に大した変わりは無いのですが、
週末や連休になると跳ね上がりますから、今後もバスでの移動になるでしょう。
息子は3回目の選考でコンケンも通ってましたので、
妻はコンケンへ行かせたかった様ですが、
息子の意思は堅かったです。
3年生までに35人が10人まで減ると脅かされ、
気合を入れ直して頑張ってます。