我が国で最初に登場する、意識して色を付けてた焼き物が奈良三彩です。この事は無彩色の焼き物
しか無かった我が国では、革命的で画期的な事柄です。
3) 奈良三彩と緑釉の技法。
① 素地は唐三彩や渤海三彩と違い、小砂を含むザックリした土で、一見蛙目(がいろめ)風の
土です。土は、大阪府の北東部、生駒山系の北端の肩野(交野、かたの)付近から採取した
ものと思われます。酸化焼成で卵殻色に、還元焼成で灰白色に成ります。
尚、「造仏所作物帳」に交野から土を運んだ記載があります。
② 轆轤水挽き技法による成形です。
前々回、須恵器の終焉に関連し、木製の挽き物が登場した事を述べましたが、挽き物とは、
材料の木材を人力で高速で回転し、鉄製のカンナで形作る方法です。即ち高速で回転させる
丈夫な軸受けが出来ていた事になります。更に滑らかに回転させる為の、動物の脂(あぶら)
が使われていたと思われます。同様に焼き物の制作にも、高速で回転する轆轤が存在し、
遠心力を利用する、現代と同じ轆轤作業が行われる様に成ります。
) 轆轤の回転方向は右(時計回り)回転です。器面調整も右回りです。
) 轆轤は手回しで行っています。
我が国では古代、中世を通じて手回し轆轤が使用され、近世に成ってから、朝鮮から蹴り
轆轤の技法が伝わり、主に九州及び日本海沿岸で使われる様に成ります。
尚、蹴轆轤(けろくろ)は左回転(反時計回転)が一般的です。
) 作行は薄造りで、極めて丁寧に作られています。習熟した職人による作品と思われます。
轆轤目もほとんど無く、仕上げには布を使っていた様で布目の跡があります。
③ 釉に付いて。釉の技法も唐三彩と伴に、中国から伝わった物と思われます。
釉は低火度の鉛釉(なまりゆ)で、800~850℃程度で焼成された物です。
尚、鉛釉の溶融温度は約750℃と言われ、温度が高い程、鮮明で綺麗に発色します。
現在、鉛を使った釉は有毒な為、一部楽焼の場合を除き、禁止されています。
奈良三彩の釉に付いては研究が進み、以下の様にして作られたと言われています。
) 基礎釉の製作。
a) 黒鉛(金属鉛)を加熱融解し、酸化させて酸化鉛(鉛丹、えんたん)を作ります。
塩は鉛を磨り潰し細かい粉状にするのに添加します。又、猪の脂は鉛の酸化を促進する
添加物として使用されていました。
b) 酸化鉛に20~30%の珪石(白石)を加えて、珪酸鉛を作り、基礎釉にします。
珪酸鉛は現在の鉛ガラスに近い組成と成ります。 この基礎釉は透明です。
) 色釉を作る。
a) 奈良三彩の白は、素地の白さを利用した物と、白化粧土を施した物があります。
いずれも、透明釉を塗る事によって、白く発色させます。
又、基礎釉に珪石(SiO2成分)を加えていくと、機械的強度が増し、光沢のある乳白色
の釉になります。これを白釉として使う場合もあります。
b) 緑釉は上記基礎釉に、緑青(酸化銅)を加えます。
c) 黄色、褐色釉は、鉄分を含む赤土を加えます。
d) 緑釉では、奈良時代の物は、濃緑色ですが、平安時代には、淡緑色に変化して行きます
これは、奈良時代には酸化銅の含有量が多く、酸化鉛が少ない為です。
平安時代に成ると、逆に酸化銅が減り、酸化鉛の含有量が増えた結果である事が、化学
分析の結果判明します。
) 施釉方法。
以下次回に続きます。