陶壁の作品で知られる異色の陶芸家、會田雄亮氏は、各地の公共施設や企業の建物の内壁や外壁、
庭園などに多くの作品(環境造形品)を設置しています。
近年では、色土を組み合わせて模様を作る練込技法による、食器類も製作しています。
1) 會田雄亮(あいだ ゆうすけ) : 1931年(昭和6) ~
① 経歴
) 1931年、東京都に生まれる。
1956年、千葉大学都市計画学科を卒業し、宮之原謙氏に師事し陶芸を志ます。
宮之原謙氏に技術的な事は勿論、陶芸の厳しさや芸術を創造する事の基本的な心得も学びます。
1961年 渡米後、ボストン美術館附属美術学校講師になります。その間 ベニントン・ポーター
(株)のチーフデザイナーとして勤務し、生活用品のデザインを研究します。
) 帰国後の1965年、日本デザイナークラフトマン協会(現 日本クラフトデザイン協会)理事
及び日本ニュークラフト展(現日本クラフト展)の審査員になり、同年 茨城県立県民文化
センターに陶壁を製作設置します。これ以降、各地に陶壁を作り続けます。
1967年 杉並区立杉並会館 ロビーに、1968年 殖産相互銀行本店 「陶による造形」の陶壁を
製作しています。その後も大阪伊那製陶ビル(1970)、 京王プラザホテル(1971、縦3x横8.4m)
名古屋観光ホテルに「 陶による造形、陶壁、石庭」(1972)、海運ビル (1973)、
新宿三井ビルディング (1974)、オークラホテル新潟 (1975)、 茅ヶ崎の家 (1975)
大生相互銀行本店 (1978)、海事センタービル (1978)、 興亜火災海上保険本社 (1979)
豊中ポケットパーク(1980)、 大阪工業大学図書館 (1980)、 日本銀行大阪支店 食堂(1980)
など多くの公共的建築物などに、毎年複数の陶壁を作り続けています。
② 會田雄亮氏の陶芸
) 現代の建築物は鉄とコンクリートとガラスにより構成された、機能的な空間です。
そこには冷たく人間的な情緒を感じさせる要素は希薄です。特に壁は単調な大きな平面を
有する為、人を拒絶するかの様に感じられます。この壁に陶土による造詣物(焼物)を
取り付け、建物との融合を図り、見る人に安らぎを与えるのが陶壁です。
) 陶壁は原理的に「ユニット」の繰り返しによって、構成されています。
それは単に、焼成する為に「ユニット」化した物ではなく、「ユニット」は創作に深い美を
持ち、緻密に計算された設計を元に、個(ユニット)と個を組み合わせた集合体によって
表現されます。表現する物は、具体的な物から抽象的、幻想的あるいはドラマチックな構図
まで、多種多様で知的空間を演出しています。
) モニメントの製作
室内や外壁に設置する陶壁の他に、その作品が自立し屋外に置かれる作品(モニメント)も
手掛けています。これらは平面構成ではなく立体構成に成っています。作品も巨大で、
新宿三井ビル広場の「モニメント」(1975)は高7x横10mもあります。
神戸ポートアイランド市民広場 の「モニメント」(1981)は高19x横56mの大きさです。
) 都市の現代建築に伴う庭園にも興味を示し、京王プラザホテルのラウンジ庭園の
「陶と水の庭園」や 新宿三井ビルの「広場の庭」、 第一勧業銀行本店の「陶と水の流れ」
などの庭園(長31x幅2.5m)も、石を嫌い陶器使って作っています。
都市の喧騒の中に、水の流れと音を取り入れ、庭の静寂さを演出しています。
・ いずれの場合も、大量の粘土を焼く事になります。しかも破損などの失敗は許されません。
焼上の調子も一様でなければ成りません。この様な事を考えると、途方も無い作業と努力が
必要で、強靭な精神性を有していなければ成功しません。
) 練上の器: 2~3色の異なる色土を、轆轤挽きやタタラ(板)造、型起しなどで成形
する方法を練上と呼びます。色土のユニットをいかに選ぶか、どの様に組み合わせるかが
重要に成ってきます。練上は絵付けでは表現が困難な場合が多く、土の色を生かす為、
透明系の釉を使う事に成ります。
作品としては、「練上コーヒーセット」(1978)、「練上馬上杯」(1979)、「練上放射大皿」
(1980)、「練上富士山文組皿」(1981)、「練上放射状四方鉢」(1982)、「練上矢羽文鉢」(1982)
「練上十二角鉢」(1982)などがあります。
次回(瀬戸 浩氏)に続きます。
庭園などに多くの作品(環境造形品)を設置しています。
近年では、色土を組み合わせて模様を作る練込技法による、食器類も製作しています。
1) 會田雄亮(あいだ ゆうすけ) : 1931年(昭和6) ~
① 経歴
) 1931年、東京都に生まれる。
1956年、千葉大学都市計画学科を卒業し、宮之原謙氏に師事し陶芸を志ます。
宮之原謙氏に技術的な事は勿論、陶芸の厳しさや芸術を創造する事の基本的な心得も学びます。
1961年 渡米後、ボストン美術館附属美術学校講師になります。その間 ベニントン・ポーター
(株)のチーフデザイナーとして勤務し、生活用品のデザインを研究します。
) 帰国後の1965年、日本デザイナークラフトマン協会(現 日本クラフトデザイン協会)理事
及び日本ニュークラフト展(現日本クラフト展)の審査員になり、同年 茨城県立県民文化
センターに陶壁を製作設置します。これ以降、各地に陶壁を作り続けます。
1967年 杉並区立杉並会館 ロビーに、1968年 殖産相互銀行本店 「陶による造形」の陶壁を
製作しています。その後も大阪伊那製陶ビル(1970)、 京王プラザホテル(1971、縦3x横8.4m)
名古屋観光ホテルに「 陶による造形、陶壁、石庭」(1972)、海運ビル (1973)、
新宿三井ビルディング (1974)、オークラホテル新潟 (1975)、 茅ヶ崎の家 (1975)
大生相互銀行本店 (1978)、海事センタービル (1978)、 興亜火災海上保険本社 (1979)
豊中ポケットパーク(1980)、 大阪工業大学図書館 (1980)、 日本銀行大阪支店 食堂(1980)
など多くの公共的建築物などに、毎年複数の陶壁を作り続けています。
② 會田雄亮氏の陶芸
) 現代の建築物は鉄とコンクリートとガラスにより構成された、機能的な空間です。
そこには冷たく人間的な情緒を感じさせる要素は希薄です。特に壁は単調な大きな平面を
有する為、人を拒絶するかの様に感じられます。この壁に陶土による造詣物(焼物)を
取り付け、建物との融合を図り、見る人に安らぎを与えるのが陶壁です。
) 陶壁は原理的に「ユニット」の繰り返しによって、構成されています。
それは単に、焼成する為に「ユニット」化した物ではなく、「ユニット」は創作に深い美を
持ち、緻密に計算された設計を元に、個(ユニット)と個を組み合わせた集合体によって
表現されます。表現する物は、具体的な物から抽象的、幻想的あるいはドラマチックな構図
まで、多種多様で知的空間を演出しています。
) モニメントの製作
室内や外壁に設置する陶壁の他に、その作品が自立し屋外に置かれる作品(モニメント)も
手掛けています。これらは平面構成ではなく立体構成に成っています。作品も巨大で、
新宿三井ビル広場の「モニメント」(1975)は高7x横10mもあります。
神戸ポートアイランド市民広場 の「モニメント」(1981)は高19x横56mの大きさです。
) 都市の現代建築に伴う庭園にも興味を示し、京王プラザホテルのラウンジ庭園の
「陶と水の庭園」や 新宿三井ビルの「広場の庭」、 第一勧業銀行本店の「陶と水の流れ」
などの庭園(長31x幅2.5m)も、石を嫌い陶器使って作っています。
都市の喧騒の中に、水の流れと音を取り入れ、庭の静寂さを演出しています。
・ いずれの場合も、大量の粘土を焼く事になります。しかも破損などの失敗は許されません。
焼上の調子も一様でなければ成りません。この様な事を考えると、途方も無い作業と努力が
必要で、強靭な精神性を有していなければ成功しません。
) 練上の器: 2~3色の異なる色土を、轆轤挽きやタタラ(板)造、型起しなどで成形
する方法を練上と呼びます。色土のユニットをいかに選ぶか、どの様に組み合わせるかが
重要に成ってきます。練上は絵付けでは表現が困難な場合が多く、土の色を生かす為、
透明系の釉を使う事に成ります。
作品としては、「練上コーヒーセット」(1978)、「練上馬上杯」(1979)、「練上放射大皿」
(1980)、「練上富士山文組皿」(1981)、「練上放射状四方鉢」(1982)、「練上矢羽文鉢」(1982)
「練上十二角鉢」(1982)などがあります。
次回(瀬戸 浩氏)に続きます。