陶芸の「ルーツ」である、縄文土器の話を、続けます。
6) 縄文土器の特徴
① 土器の形
) 後期から晩期までの土器
a) 後期の形と、文様
後期に入ると、文様、形に、大きな変化が現れます。器形は、薄手になり、
厚手の大きな土器は、次第に薄くなり、用途に応じた、土器が造られていきます。
即ち、深鉢、浅鉢、甕、壷、注口、台鉢等が、一般的に造られています。
又、釣手形土器、蓋付土器、双口土器など、非実用的と思われる、器も造られ、
変化に富んでいます。
文様は、「ヘラ」状の道具による、沈線文のほか、磨消(すりけし)縄文の手法が発達します。
特に、磨消文様は、後期の中頃に、盛んに作られ、全国に普及しました。
同じ技法の文様が、全国に広がり流行したのは、これが始めてです。
・ 注: 磨消文様とは、 土器の表面全体に、縄文を付けた上から、線描で文様の輪郭を描き 、
そこから、はみ出た縄文を、「ヘラ」等で磨り消して、輪郭内の文様を、
浮き出させる技法です。
b) 晩期の形と、文様
晩期では、亀ヶ岡式土器(青森県、亀ヶ岡遺跡) が、代表的な土器です。
東日本を中心にB・C10世紀~B・C3、4世紀に栄え、器形を磨いた土器で、
縄文土器、最後の華と、言うべきものです。
繊細精緻の造りで、豪快な中期の作品とは、対称的です。
薄手小型の精製土器と、大型で粗雑な作りの粗製土器があり、後者は、内面に、
炭化物が付着し、日常的な什器として、使用されたと、思われます。
亀ヶ岡式精製土器の特徴は、一見理解不能な多様で、複雑怪奇な文様が描かれ、
赤色塗料が、塗布されている点であり、器種も複雑に分化し、装飾も繁煩を極めています。
尚、西日本の地域の晩期は、縄文土器の衰退が続き、次の弥生式へと、移って行きます。
) 縄文文化(土器)の終末
縄文土器が終末期になると、段々と無文で、赤焼きの物が増え、器形も整い、穏やかになり、
弥生(土器)化していきます。
弥生文化は、大陸から伝来した稲作が、早いスピードで、全国に広がり、農耕生活となり、
生活が一変した結果、その用具(土器)にも大きな影響を、与えています。
7) 縄文土器の焼成(野焼き)
以下次回に続きます。
縄文土器の形 文様
6) 縄文土器の特徴
① 土器の形
) 後期から晩期までの土器
a) 後期の形と、文様
後期に入ると、文様、形に、大きな変化が現れます。器形は、薄手になり、
厚手の大きな土器は、次第に薄くなり、用途に応じた、土器が造られていきます。
即ち、深鉢、浅鉢、甕、壷、注口、台鉢等が、一般的に造られています。
又、釣手形土器、蓋付土器、双口土器など、非実用的と思われる、器も造られ、
変化に富んでいます。
文様は、「ヘラ」状の道具による、沈線文のほか、磨消(すりけし)縄文の手法が発達します。
特に、磨消文様は、後期の中頃に、盛んに作られ、全国に普及しました。
同じ技法の文様が、全国に広がり流行したのは、これが始めてです。
・ 注: 磨消文様とは、 土器の表面全体に、縄文を付けた上から、線描で文様の輪郭を描き 、
そこから、はみ出た縄文を、「ヘラ」等で磨り消して、輪郭内の文様を、
浮き出させる技法です。
b) 晩期の形と、文様
晩期では、亀ヶ岡式土器(青森県、亀ヶ岡遺跡) が、代表的な土器です。
東日本を中心にB・C10世紀~B・C3、4世紀に栄え、器形を磨いた土器で、
縄文土器、最後の華と、言うべきものです。
繊細精緻の造りで、豪快な中期の作品とは、対称的です。
薄手小型の精製土器と、大型で粗雑な作りの粗製土器があり、後者は、内面に、
炭化物が付着し、日常的な什器として、使用されたと、思われます。
亀ヶ岡式精製土器の特徴は、一見理解不能な多様で、複雑怪奇な文様が描かれ、
赤色塗料が、塗布されている点であり、器種も複雑に分化し、装飾も繁煩を極めています。
尚、西日本の地域の晩期は、縄文土器の衰退が続き、次の弥生式へと、移って行きます。
) 縄文文化(土器)の終末
縄文土器が終末期になると、段々と無文で、赤焼きの物が増え、器形も整い、穏やかになり、
弥生(土器)化していきます。
弥生文化は、大陸から伝来した稲作が、早いスピードで、全国に広がり、農耕生活となり、
生活が一変した結果、その用具(土器)にも大きな影響を、与えています。
7) 縄文土器の焼成(野焼き)
以下次回に続きます。
縄文土器の形 文様