想いのままに…

日々の生活の中で感じたことを、想いのままに綴りたいと思います。

カミナリとアジ

2024-08-07 21:05:07 | 日記
ここ数日、大気の状態が不安定な日が続いています。
全国的にも、そんな感じになっているようです。

このあたりは、今日も夕方頃になって遠雷が聞こえてきました。
雨の降り方はあまり多くはなかったのですが、カミナリの音は何度も聞こえます。
まもなく夕食の準備…という時、またカミナリが鳴りました。

私たちにとって、カミナリには思い出話となっていることがあります。
それは…、10年近く前のことだったと思います。
その日の夕食は、20cmほどの丸アジを2匹焼きました。
さあ、いただきましょう。と食べ始めてまもなく、
『ドッカ~ン』と、我が家の近くにカミナリが落ちた音がしました。
…と同時に、停電です。

真っ暗になった中、しばらく待っていたのですが通電に至らず…、
「いつになったら点くのかしら?」と待つこと…数分。
やがてカミナリは遠のきましたが、停電したままです。

「せっかくだから食べようか。」と主人は言いますが、
真っ暗い中では食べるのは難しいものです。
しかもアジですから、骨を取りながら…は、これまた至難の業。

止む無く、懐中電灯を食卓に持って来て食べたのでした。
薄暗い灯りの中で食べたことは、その後に何度も思い出話となっています。

そして今日も、「あの日はたいへんだったわね。」と話していました。
「でも、今日はアジではないから大丈夫よね。」と私。
「えっ? 今日はアジだよ。」という主人。

あ~、そうでした。
今日の夕食用としてアジを買い、冷凍にしていたのでした。
でも、あの日のような丸アジではありません。
今日のアジは、小アジの開きです。

フライパンに油を少し入れてアジの両面を焼き、
アーモンドプードルを軽くまぶして再度フライパンに戻します。
まわりに溶き卵を流し入れ、とろけるチーズをのせて卵を巻き付けます。
オムレツの中がアジとチーズという感じです。

今日はカミナリが落ちることもなく、無事、夕食を済ませることができました。
因みに、このあたりの雨は1時間に40mm以上降ったようですし、
この近くの地域では土砂災害警戒情報が出ていました。
被害がなければいいのですが…。

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平和を考える日

2024-08-06 21:01:01 | 日記
今日は『原爆の日』。

広島県の東部出身の私は、その日、まだ生まれてはいませんでした。
でも、私の周りには、多くの被爆者がおられました。
知人や恩師、そして、私の父の弟も…。

原爆投下当時、広島で暮らしていた23歳だった弟を探すため、
父は広島の町を何日も歩き回ったと聞いたことがありました。
どこをどう探したらよいのかわからないほど町は変わり果てていて、
結局、伯父を探し当てることができないまま、
数日で広島の町を後にしたそうです。

終戦後20年近く経ったある夏の日の夜、突然我が家を訪ねて来た男性。
「あ~、兄さん、ちょっと来てみたよ。」
「正哉か? どこでどうしていたんだ?」
父の反応に、私は『この人が伯父さんだわ。』と初めて知りました。

伯父の顔や体中には無数のやけどの痕があるのがわかりました。
腕時計をしていた手首にも、引き攣れた大きなケロイドがありました。
20年近い年月が流れていましたが、その傷は生々しく、痛々しく見えて、
原爆の威力、怖さを感じたことを覚えています。

その当時は、叔父は自分の姿を見るのも怖かったそうです。
いったん抜け落ちた髪の毛は、真っ白な白髪で生えてきたことも聞きました。
原爆が落ちた時、爆風で(?)大きな屋根が落ちてきたけれど、
隙間があったお陰で助かったということでした。

「たいへんだったね。」と周りのいろいろな人に何度も言われたけれど、
「そんな時代だったんだから、仕方がないですよ。」と言って生きてきたそうです。
誰を責めるでもなく、何を責めるでもなく…。

でも、被爆の後遺症を気にして結婚はせず、
40代という若さで亡くなるまでの生涯を独身で過ごした人でした。
もう一人の伯父が、「戦争さえなければ…、原爆さえなければ…。」と
後になって、亡くなった弟を想って言っていたことが思い返されます。

どんな理由があるにせよ、戦争をしてはいけないと思っています。
戦争は、人の心を変えてしまいます。
「そんな時だから、仕方がない…。」ということがない世の中になってほしい…。
今日の日に、改めてそう願っています。


 コスモスの花言葉は、『平和』です。
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暑さのピークは?

2024-08-05 21:20:41 | 日記
このあたりの今日の最高気温は、32度まで上がりました。
ここ数日は、予報よりも高くなる日が多く、
このあたりにしては厳しい暑さ…ということになっています。

しかも…(?)、
天気予報で、「この暑さもあと4~5日すれば落ち着きます。」と言っていても
2~3日後には、また「この暑さもあと4~5日すれば落ち着きます。」となって、
まるで目の前のゴールが、あと少しのところで先に延びていくような気持ちになっていました。
天気予報は、いくらプロの人でも自然相手ですから、確実にとはいかないのでしょうね。

ところが今日は、午後3時頃からわずかながら雨がぱらつきました。
降り方からしますと、近隣のどこかで降った雨が流れてきた…
そんな降り方でしたが、そのお陰で気温が幾分下がってきたようでした。

夕立のようにザァ~ッと降れば、気温は一気に下がるのでしょうけれど、
そう簡単には行きません。

暑い時間は、さすがに2階のオフィスにはエアコンを入れていたのですが、
夕方からはエアコンのスイッチを切って、シーリングファンだけで過ごせました。

夕食を1階で済ませて、8時過ぎに2階に上がってきましたが、
その後、今の時間もシーリングファンだけで涼しく過ごせています。
何日ぶりのことでしょう。

今日は、日差しがありましたので気温は上がりましたが、
それでも長時間の日差しではなかったこともあって、
建物が温まらなかったのだと思います。
そのお陰で、夕方には気温が下がっただけでなく、
建物からの熱を室内で感じることもなく過ごせています。

思い返しますと、北海道で暮らしていた建物はコンクリートでしたから、
日差しで建物が温まっていたのでしょう。
夜になってもその熱が室内に出てくるため、夜にもエアコンを入れて寝ていました。

それを思いますと、建物の造りの違いもあって、
山梨ではエアコンを入れることなく、気持ちよく眠ることができます。

暑さのピークがいつなのかわかりませんが、8月も5日が過ぎました。
厳しい暑さはもう少し…と思って、夏を乗り切りたいと思っています。


 先日のお買い物で甲斐市に行く途中、韮崎あたりの田んぼ。
 稲が大きく育っていて、『まぶしいほどの緑』が広がっていました。
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おしゃべりのバランス

2024-08-04 21:06:58 | 日記
『今日もまた、たくさん喋ってしまったわ。今日も9割かしら?』

お散歩に出掛けての帰り道、我が家まで間もなく…というところに来ると
そう思うことがよくあるのです。

毎日のお散歩は、コミュニケーションを大切にしている我が家にとって
いろいろなことを話せる場所のひとつです。
話す機会は、お食事の時、ティータイムの時、お仕事の休憩の時などの他、
寝る前の時間などもあるのです。

それでもお散歩の時のそれは、また違った話題に花が咲くこともあります。
約1時間のお散歩では、ウォーキングやスロージョギングの他には
することがありませんので、話に集中できるのです。
極端に言えば、その1時間の間の話題は一つでもいいのです。
お互いの考えを聞き、語り、知ることは、大切なことであり、
楽しくもあります。

そんなに難しい話ばかりをしているのはなく、
「あの黄色い花は何かしら?」とか、
「今日は八ヶ岳に雲がかかっているわね。」とか、
「よく出会うワンコちゃんが、今日もお散歩ね。」なども話します。

1時間のうち、私が約9割話すということも珍しくはなく、
主人曰く、「あなたは見たことをすべて話題にしてるね。」と言います。
言われてみれば、全くその通りです。

「今日の八ヶ岳はきれいに見えるから写真を撮るわ。」とパチリ。
「あっ…、こっちからの方がきれいに見えるんだったわ。」とまたパチリ。
「先週草刈りをされたから、こっちからの方が見えやすくなったんだったわ。」

そんな具合に、主人に話しかけたり伝えるつもりというよりも、
私自身の独り言まで声に出してしまうのです。
私の独り言…かな?と思った時の主人は、相槌を打つくらいですが、
時として、私の独り言が話題となって話すこともあります。
そんなこんなで、私が1時間のうちの約9割話していることになります。

もちろん、主人が話題を出して話し始めることもありますので、
そんな時には、私は聞き役にもなります。

私はおしゃべりをよくしますし、主人はあまり多くをしゃべりません。
でもそれが、我が家では良いバランスと言えるのかもしれません。
…と思っているのは私だけかしら?


 先日のブログ、『可哀そうに…と思う花たち』の中に書いたヘクソカズラ。
 その花が咲いていました。花は、こんなにも可愛いのです。
 誤解を解きたい…という花言葉があります。
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咲きました。

2024-08-03 21:43:49 | 日記
先日来、このブログで紹介していたウバユリ。
花が咲きました。



『姥百合』と書くその花は、花が満開になる頃には葉が枯れる事が多いため、
歯(葉)のない「姥」にたとえて名づけられたそうです。

その名の由来通り、蕾のまま咲かずにじっと耐えて、今その時を迎えました。
ウバユリという名前ですから、よく見る百合の花を想像していますと、
『えっ??』と思うような花が咲くのです。
あの百合の花とは違って…、そして姥と付けられた名前の通り(?)、
パッと花開く…という咲き方ではありません。
茎の先に横向きに、2~4個くらいの花を咲かせます。
花は緑白色ですから、華やかさはありません。
そして、咲くとすぐに散り落ちてしまうのです。



こうして書き出していますと、姥百合って可哀そうな花だということを
改めて思うのです。
姥…なんて名前もさることながら、花にも華やかさはなく、
咲くまでに日数を要したにもかかわらず、あっという間に散り落ちるのです。
山地の森林に多く自生していますので、人に見てもらえることも少ない…。

ちょっとかわいそうな感じがしますが、でも、私は毎日見ていますよ。
20数年前に山梨に引っ越してきた時から、ず~っとです。
昨年までの10数年は北海道で見ていました。

秋になると大きな実を付けます。
その殻の中に薄くて平たい翼状の種がたくさん入っています。
それは風で飛ばされていくということですが、
ウバユリは宿根草だと思うのです。
種は、新たな場所に根付くということなのでしょうか。
そのへんはよくわかりません。

因みに…、
姥百合の春の時期の若芽は、おひたしや和え物として食べられるらしいのですが、
このあたりに生えているのを見ていますと、食用としてはちょっと…と
手が出にくいように思います。
また、冬の時期になると百合根のように和え物や煮物としても食べられるそうです。
これまた、このあたりの自生のウバユリですと、手が出にくい感じです。

野山に自生している植物には毒を持っているものもありますので、要注意。
私はそれらを食べることは考えていなくて、あくまでも観察して楽しんでいます。


 ウバユリってクローンなの?と思うほど、そのあたりで一斉に咲き始めています。
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