想いのままに…

日々の生活の中で感じたことを、想いのままに綴りたいと思います。

平和を考える日

2024-08-06 21:01:01 | 日記
今日は『原爆の日』。

広島県の東部出身の私は、その日、まだ生まれてはいませんでした。
でも、私の周りには、多くの被爆者がおられました。
知人や恩師、そして、私の父の弟も…。

原爆投下当時、広島で暮らしていた23歳だった弟を探すため、
父は広島の町を何日も歩き回ったと聞いたことがありました。
どこをどう探したらよいのかわからないほど町は変わり果てていて、
結局、伯父を探し当てることができないまま、
数日で広島の町を後にしたそうです。

終戦後20年近く経ったある夏の日の夜、突然我が家を訪ねて来た男性。
「あ~、兄さん、ちょっと来てみたよ。」
「正哉か? どこでどうしていたんだ?」
父の反応に、私は『この人が伯父さんだわ。』と初めて知りました。

伯父の顔や体中には無数のやけどの痕があるのがわかりました。
腕時計をしていた手首にも、引き攣れた大きなケロイドがありました。
20年近い年月が流れていましたが、その傷は生々しく、痛々しく見えて、
原爆の威力、怖さを感じたことを覚えています。

その当時は、叔父は自分の姿を見るのも怖かったそうです。
いったん抜け落ちた髪の毛は、真っ白な白髪で生えてきたことも聞きました。
原爆が落ちた時、爆風で(?)大きな屋根が落ちてきたけれど、
隙間があったお陰で助かったということでした。

「たいへんだったね。」と周りのいろいろな人に何度も言われたけれど、
「そんな時代だったんだから、仕方がないですよ。」と言って生きてきたそうです。
誰を責めるでもなく、何を責めるでもなく…。

でも、被爆の後遺症を気にして結婚はせず、
40代という若さで亡くなるまでの生涯を独身で過ごした人でした。
もう一人の伯父が、「戦争さえなければ…、原爆さえなければ…。」と
後になって、亡くなった弟を想って言っていたことが思い返されます。

どんな理由があるにせよ、戦争をしてはいけないと思っています。
戦争は、人の心を変えてしまいます。
「そんな時だから、仕方がない…。」ということがない世の中になってほしい…。
今日の日に、改めてそう願っています。


 コスモスの花言葉は、『平和』です。
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