夏は、稼ぎが3分の1に減ってしまう、経済的には厳しい季節だが、その分自分の時間が増える。
自分の時間が増えるのだから、普段できないことをテキパキとしようじゃないか!と、夏前にはいつも意気込むのだけど、
暑さと湿気にてんで弱いわたしは、頭の中が細かい穴が空いたスポンジみたいになって、ぼーっと時間を過ごしてしまいがちになる。
そしてなぜか、落ち込みやすくなる。
ふむ…。
土曜日はお隣さんちのカップルが、ベビー・シャワーをするというので、贈り物を手に参加した。
夫にとっては、ベビー・シャワー・デヴューである。
ベビー・シャワーとはなんぞや?という方に、ちょっと簡単に説明すると、
臨月に入る直前の女性の、親しい友人や家族が集まって、おしゃべりしたり食べたりしながら、
出産を控えて何かと神経質になっている彼女の気分を盛り上げたり、プレゼントを渡したりするパーティ。
以前は女性だけの集まりだったのだけども、最近では男性も混じることが多くなったのだとか。
お隣さんカップルはどちらも女性で、だからそこには子連れのゲイカップルが何組か居た。
そんなパーティのプレゼントのお披露目の時のこと。
お祝いカードを読んでいた彼女が、
「ちょっとこれ、聞いて」と言って、声に出して読み始めた。
「なんてラッキーな赤ちゃんなんでしょう、こんな素敵なおかあさんが二人もいて!」
そして送り主にこう尋ねた。
「これ、あなたが書いたの?」
「ううん、カードに予め印刷されてたのよ!」
「やった〜!」
そこに居たみんなの顔がほころんだ。
わたしはその瞬間、彼女たちが普段は決して見せない、自分たちが闘っているものの存在を見たような気がした。
ゲイだのストレートだの、皮膚の色が何色だの、その人がその人として持って生まれたものを、誰にも非難などできないし、してはならない。
あと4週間、暑いけど頑張れサラ!
そして翌日の日曜は、ずっとずっとずっと前から、遊びに来てと言い続けてくれていた友人夫婦に会いに、プリンストンまで出かけて行った。
スコットとバニースはどちらも、夫の大学時代からの友人で、仕事で大成功を収めた、だから分かりやすく言うと、1%とは言わないまでも、プチ1%の世界の人たち。
二人ともにとても気さくで親切で、だけども大学時代の思い出話に花が咲き始めると、わたしは適当に聞き流しながら全く違うことを頭の中で考える。
12年のベルギー暮らしを経て、故郷のプリンストンに戻ってきた彼らは、購入した家を数年かけて改築した。
元からあったプールもお化粧直しし、その横に、ゲストハウスを建てた。
設計はすべて、センスも腕も良い建築士のバニースがした。
家からプールを眺める。
ゲストハウスからプールを眺める。
グラウンドホッグ、ウサギ、アライグマ、七面鳥、オパッサム、キツネなどの野生動物に荒らされない、究極の家庭菜園。
「シカはどうしてるの?」と聞くと、フェンスを立ててからは入って来なくなったのだそうだ…。
やっぱりフェンスしかないか…。
ゲストハウスのリビング。
片隅に居たすてきな方々。
気持ちいいったらありゃしないけど、ちょっと泳いだだけでフーフー言ってる超〜運動不足なわたし…。
次男くんがちょうど、EVO(ビデオゲームの世界大会)に出場していて、なんと今回初めて、ベスト8に入った。
会社員になってからはうんと練習量が減って、だからあまり期待しないでおこうと思っていたのに…。
彼は、彼がまだ高校生だった頃から、このEVOに出場し始めた。
そのことをあまり良く思っていなかったわたしは、その大会の様子を観ようともしなかったのだが、
何回目かにようやく、夫がネットで調べて見つけた試合の様子を、パソコンの小さな画面で観てみたら、
次男くんの後ろに座っている、彼を熱心に応援する大勢の人たちの、それはそれは楽しそうに盛り上がっている様子を見て、
こんなにたくさんの人に応援してもらっている彼の、喜びと緊張がごちゃまぜになった気持ちに、初めて触れたような気がした。
わたしがずっと、ただの遊びだと思っていたそれは、遊びではなく練習だったのだ。
そしてその練習の積み重ねが、画面の向こうにいる彼を支えている。
小学生の頃から、彼のゲーム遊び(と我々は思っていた)をなんとか減らそうと邪魔ばかりしてたことが、悔やまれてならなかった。
だからその気持ちを、ブログで告白した。
そしたらどういうわけか、次男くんのファンの人に見つかって、その記事はあっという間に拡散されてしまった。
わたしの小さな世界での告白など、たまに読みに来てくれる数十人の人たち以外の目に触れることはないと思っていたから、
かなりプライベートなことや、彼の生い立ちについても書いてしまったので、本人はもちろん、兄の長男くんからも注意をされた。
次男くんは今、あるゲームでは全米チャンピオンなのだが、それでも日本人のゲーマーの強さには勝てないらしい。
というわけで、敗者復活戦に臨む次男くんの試合時間を、必死に探している夫です。
青空と乾いた風が心地よい、絶好のプール日和。
試合を、友人夫婦も交えて4人で観た。
残念ながら、またまた対戦相手は日本人。(ベスト8のうち6人が日本人だから当たり前?)
あっさり負けてしまった。
でもスコットは、次男くんと会場の様子を写真に撮り、それをゲーム好きの息子(大学生)に送った。
そしたらすぐに、『Holy shit!!』という返事が返ってきた。
スコットはわたしたちに、「もう君たちは、彼にとってはスターになったよ」と言った。
手作りの夕食。
バニースはわたしたちの目の前で、ちゃっちゃと手際よく、前菜やらサラダやらを作っては並べていく。
スコットは、前もってマリネしておいた鶏肉を、外のバーベキューコンロで焼いてくれた。
バニースのおかあさん、エフィさんと、妹のアードリーも加わって、外のデッキでいただいた。
エフィさんは台湾人で、第二次世界大戦が終わるまでずっと、日本語での教育を受けさせられていた。
だから81歳になった今でも、流暢な日本語を話す。
「12歳になって、いきなりこれからは中国語でって言われてもねえ…ほんとに困ったの…大変だった」と笑うエフィさん。
エフィさんは今、4度目の癌の治療を受けている。
穏やかで優しい彼女の中に、病に飲み込まれない強さと、治療後の辛さに耐える力が、脈々と息づいている。
エフィさんには、聞きたいことがまだまだいっぱい残っている。
彼女の健康回復を、心の底から強く祈りながら、彼女をぎゅっと抱きしめた。
わたしの母と背格好も年も同じエフィさんは、わたしに母を抱きしめているような気持ちにさせてくれた。
自分の時間が増えるのだから、普段できないことをテキパキとしようじゃないか!と、夏前にはいつも意気込むのだけど、
暑さと湿気にてんで弱いわたしは、頭の中が細かい穴が空いたスポンジみたいになって、ぼーっと時間を過ごしてしまいがちになる。
そしてなぜか、落ち込みやすくなる。
ふむ…。
土曜日はお隣さんちのカップルが、ベビー・シャワーをするというので、贈り物を手に参加した。
夫にとっては、ベビー・シャワー・デヴューである。
ベビー・シャワーとはなんぞや?という方に、ちょっと簡単に説明すると、
臨月に入る直前の女性の、親しい友人や家族が集まって、おしゃべりしたり食べたりしながら、
出産を控えて何かと神経質になっている彼女の気分を盛り上げたり、プレゼントを渡したりするパーティ。
以前は女性だけの集まりだったのだけども、最近では男性も混じることが多くなったのだとか。
お隣さんカップルはどちらも女性で、だからそこには子連れのゲイカップルが何組か居た。
そんなパーティのプレゼントのお披露目の時のこと。
お祝いカードを読んでいた彼女が、
「ちょっとこれ、聞いて」と言って、声に出して読み始めた。
「なんてラッキーな赤ちゃんなんでしょう、こんな素敵なおかあさんが二人もいて!」
そして送り主にこう尋ねた。
「これ、あなたが書いたの?」
「ううん、カードに予め印刷されてたのよ!」
「やった〜!」
そこに居たみんなの顔がほころんだ。
わたしはその瞬間、彼女たちが普段は決して見せない、自分たちが闘っているものの存在を見たような気がした。
ゲイだのストレートだの、皮膚の色が何色だの、その人がその人として持って生まれたものを、誰にも非難などできないし、してはならない。
あと4週間、暑いけど頑張れサラ!
そして翌日の日曜は、ずっとずっとずっと前から、遊びに来てと言い続けてくれていた友人夫婦に会いに、プリンストンまで出かけて行った。
スコットとバニースはどちらも、夫の大学時代からの友人で、仕事で大成功を収めた、だから分かりやすく言うと、1%とは言わないまでも、プチ1%の世界の人たち。
二人ともにとても気さくで親切で、だけども大学時代の思い出話に花が咲き始めると、わたしは適当に聞き流しながら全く違うことを頭の中で考える。
12年のベルギー暮らしを経て、故郷のプリンストンに戻ってきた彼らは、購入した家を数年かけて改築した。
元からあったプールもお化粧直しし、その横に、ゲストハウスを建てた。
設計はすべて、センスも腕も良い建築士のバニースがした。
家からプールを眺める。
ゲストハウスからプールを眺める。
グラウンドホッグ、ウサギ、アライグマ、七面鳥、オパッサム、キツネなどの野生動物に荒らされない、究極の家庭菜園。
「シカはどうしてるの?」と聞くと、フェンスを立ててからは入って来なくなったのだそうだ…。
やっぱりフェンスしかないか…。
ゲストハウスのリビング。
片隅に居たすてきな方々。
気持ちいいったらありゃしないけど、ちょっと泳いだだけでフーフー言ってる超〜運動不足なわたし…。
次男くんがちょうど、EVO(ビデオゲームの世界大会)に出場していて、なんと今回初めて、ベスト8に入った。
会社員になってからはうんと練習量が減って、だからあまり期待しないでおこうと思っていたのに…。
彼は、彼がまだ高校生だった頃から、このEVOに出場し始めた。
そのことをあまり良く思っていなかったわたしは、その大会の様子を観ようともしなかったのだが、
何回目かにようやく、夫がネットで調べて見つけた試合の様子を、パソコンの小さな画面で観てみたら、
次男くんの後ろに座っている、彼を熱心に応援する大勢の人たちの、それはそれは楽しそうに盛り上がっている様子を見て、
こんなにたくさんの人に応援してもらっている彼の、喜びと緊張がごちゃまぜになった気持ちに、初めて触れたような気がした。
わたしがずっと、ただの遊びだと思っていたそれは、遊びではなく練習だったのだ。
そしてその練習の積み重ねが、画面の向こうにいる彼を支えている。
小学生の頃から、彼のゲーム遊び(と我々は思っていた)をなんとか減らそうと邪魔ばかりしてたことが、悔やまれてならなかった。
だからその気持ちを、ブログで告白した。
そしたらどういうわけか、次男くんのファンの人に見つかって、その記事はあっという間に拡散されてしまった。
わたしの小さな世界での告白など、たまに読みに来てくれる数十人の人たち以外の目に触れることはないと思っていたから、
かなりプライベートなことや、彼の生い立ちについても書いてしまったので、本人はもちろん、兄の長男くんからも注意をされた。
次男くんは今、あるゲームでは全米チャンピオンなのだが、それでも日本人のゲーマーの強さには勝てないらしい。
というわけで、敗者復活戦に臨む次男くんの試合時間を、必死に探している夫です。
青空と乾いた風が心地よい、絶好のプール日和。
試合を、友人夫婦も交えて4人で観た。
残念ながら、またまた対戦相手は日本人。(ベスト8のうち6人が日本人だから当たり前?)
あっさり負けてしまった。
でもスコットは、次男くんと会場の様子を写真に撮り、それをゲーム好きの息子(大学生)に送った。
そしたらすぐに、『Holy shit!!』という返事が返ってきた。
スコットはわたしたちに、「もう君たちは、彼にとってはスターになったよ」と言った。
手作りの夕食。
バニースはわたしたちの目の前で、ちゃっちゃと手際よく、前菜やらサラダやらを作っては並べていく。
スコットは、前もってマリネしておいた鶏肉を、外のバーベキューコンロで焼いてくれた。
バニースのおかあさん、エフィさんと、妹のアードリーも加わって、外のデッキでいただいた。
エフィさんは台湾人で、第二次世界大戦が終わるまでずっと、日本語での教育を受けさせられていた。
だから81歳になった今でも、流暢な日本語を話す。
「12歳になって、いきなりこれからは中国語でって言われてもねえ…ほんとに困ったの…大変だった」と笑うエフィさん。
エフィさんは今、4度目の癌の治療を受けている。
穏やかで優しい彼女の中に、病に飲み込まれない強さと、治療後の辛さに耐える力が、脈々と息づいている。
エフィさんには、聞きたいことがまだまだいっぱい残っている。
彼女の健康回復を、心の底から強く祈りながら、彼女をぎゅっと抱きしめた。
わたしの母と背格好も年も同じエフィさんは、わたしに母を抱きしめているような気持ちにさせてくれた。
でね。僕の母はとても厳しい人で僕がギターやらクラリネットやらピアノやらコーラスやら、とにかく音楽やってると部屋に来ては「あんた勉強はどうなってるのよ!」と叱られては現実の世界(彼女にとっての)へ引き戻そうとしていたんだ。
高校2年だか3年だか、担任の先生との三者面談で先生に「君は来る学校間違えたかもね。」って言われた。書道、美術、音楽は10点満点の9点で歴史(日本史、世界史共に)の8点をしのいでたから無理もないけど。
そして大学、卒業、就職。で、転職することになり音楽業界へ。(ご存じの通り。。)その時にね、母から驚きの一言!「ね!だから音楽やってて良かったでしょう!」(@_@;)
まあ、今はそれも笑い話。
母が亡くなるとき祖母が(息子と娘たち3人を先に見送る事になった凄い祖母!)、「この子(母のこと)は子供の頃、自分は習字も裁縫もしないでお姉ちゃんの甲上をもらった作品に自分の名前を付けて学校に出してたよ。」なんて暴露して、僕も兄も「なんだよ!お袋!自分は棚にあげてたの?」と亡骸の枕元で叫んでました。
それらが今は全て僕の財産。いま思うこと、「ありがとう、母さん。あなたの息子は何とかここまでやれてます。」ってこと。
眞海ちゃんも素敵なお母さんだね!!
もしじろうさんがわたしの息子だったら、めっちゃ嬉しかったかも…ギターやらクラリネットやらピアノやらコーラスやらって…音楽三昧やん♪
でも、おかあさん、可笑しいね、「ね!だから音楽やってて良かったでしょう!」って…。
わたしなんかもう、息子たちには「ごめんねごめんね」の連発で、なんともトホホな母であります。
それにしてもおかあさん、なかなかのやんちゃっぷり!きっと豪快で繊細で芯が通った女性だったんだなって思います。
じろうさんの中に、脈々と生き続けておられるんだなって。