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ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

何気なく差し込むコンセントの向こう側にひそむ、犠牲と差別と原発

2011年09月19日 | 日本とわたし
13時間遅れで生きてるわたしにとって、今日の『さようなら原発5万人集会』の開始は夜中のことやった。
ライブで見たい。
ライブで、せめて映像と声だけでも受け取りたい。
けど、今寝不足したらまた、しんどなるかもしれん……。
などと、くよくよ考えているうちに、集会開始30分前になって、やっぱたまらんようになって、いつもの岩上さんが配信してくれる、Ustreamのビデオをつけた。

司会の女性がマイクを持って、「集合し終わったグループからのぼりを降ろしてください」と、何回も何回も言うてはる。
そうせんと、後ろの人達が見えんからと。
集合してはる人達の方にカメラは向かず、ずっと舞台を見上げてる。
舞台の上では、集会開始前のコンサートが行われてる。
いったい、どれだけの人達が集まってはんねやろ?
今回はぎょうさん集まらはったんやろか?
5万人なんていう、どえらい人数の目標は、達成するんやろか……。

集会がはじまり、呼びかけ人の鎌田慧さん、大江健三郎さん、落合恵子さんらの挨拶が続く。
彼らの呼びかけや声明に、拍手したり呼応する人々の声が聞こえる。
いっぱいいはるみたいや!
そう思た時、同時に読んでたツィッターに、こんな写真を載っけてくれた人がいた。
すごいすごい!って叫びながら。


これを見た途端、涙がわっとあふれた。
嬉しいて嬉しいて嬉しいて、なんちゅうこっちゃって言いながら、パソコンのモニターに手のひらをひっつけながら泣いた。

それからすぐ後に、この写真。ああ、あそこに座りたい!あそこでみんなと一緒に叫びたい!


もうこれは、5万人どころやないな。そう実感した。


青山通りもこの通り。


やっとここまできた。
時間かかったけど、時間がこんだけかかることやったんかもしれん。
めちゃくちゃやきもきしたけど、この集会に集まらはった人達から勇気をもろた。
まだまだすてたもんちゃうやろって、肩をポンポン叩かれたような気がした。

呼びかけ人さんらの言葉を、必死で速記してみたけど、いろんなとこ間違うてるかもしれん。
でも、残しとく。

核と人類は共存できない。
このさようならは、普通のさようならではなりません。
もう絶対会わない、会いたくない、というさようなら。アディユーです。
このデモは意識革命
また今日から半年後に、一千万署名の集約集会を開催します。一千万署名の達成を祝う集会です。
狂気無しでは偉大な事業は成し遂げられない。それはウソ。
狂気は荒廃と犠牲を伴う。
偉大な事業は、人間的な人間によって精密に地道になされるもの。
原発の電気エネルギー無しでは、偉大な事業は成し遂げられない。これもウソ。
原子力によるエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います』

『イタリアのあれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリーになるのはわかる。
などと、どこかの幹事長は言いました。
けれども、それは事実ではありません。
イタリアでの停止はチェルノブイリ事故がきっかけでした。
だから、25年前に、既に停止されていたのです。
それから25年間、再開するかどうか長い時間をかけて考えていたところ、福島の事故が起こり、国民の9割が反対し、国が脱原発を決断したのです。

原発の事故が簡単な問題であるはずがない。
福島からの放射能物質で汚染された広大な面積を、どのように解決するか。
子供達の健康をどう管理するか。
イタリアでは、もう決して、原発によって、人の命が脅かされることはない。
わたしらは、これからも、原発によって、人の命が脅かされ続ける。
そういうことを続けようとする、経団連や政党の実力者に、思い知らせる必要がある。
それがデモであり、市民の努め』

 

『ひとつだけ注意しなければならない。
新しい原発安全神話、改訂版、新版、
技術が進めば、発展すれば、安全な原発は可能である、という安全神話の改訂版、新たな装いをこらして現れつつある。
そういう企み、計画が進んでいる。
地下原発などがその例。
核武装という政治的意図、合意無き政治政策、
原発ではなく、命のエネルギーが輝く国、その第一歩を、皆さんとともに歩き続けたい。
ありがとう』

『あなたに会えて本当に良かったけれど、会えたきっかけを考えると腹立たしくて仕方がない。
ビートルズの歌の『イマジン』のように、想像してみてください。
子供は、生まれる場所を選べない。
日本に生まれる子供達、この国のそれぞれの子供達、福島の子供達、
今度はどこで、次は誰が犠牲になるのか、というストレスを抱いて、これからも生きていくのはイヤだ!と叫ぼう。
放射性廃棄物の処理能力も持たない人間が、
命への、それぞれの人生を生きていこうという人達に対する国家の犯罪。

想像してください。
まだ字も書けないような小さな子達が、夜中に起きて、「ほうしゃのうこないで」と泣き叫ぶようなことをさせない。
世界から原発と核が消える、その時のことを
けが人ゼロ、熱中症ゼロ、逮捕者ゼロで歩き続けましょう』

『昭和の時代には15年に及ぶ戦争があり、初めて原発の実験場として原爆を二発も落とされた。
核が暴走を始めてしまったら、人類には手だては無い。
そんなものを地球に存在させてはいけない。

テレビ、新聞などのマスコミは、金の汚染にまみれて
レベルの低い、責任感の持てない、なんとも酷い者達による支配されてきたこの世界。
自覚し考える。個と個のつながりが世の中を変える。
世直し、国づくりのための第一歩。

政府と東電の秘密主義は、原発に限らない、この国の悪しき習慣を表している。
老若男女混合の、人間の砦を築いていきましょう。
ここで絶対にあきらめるわけにはいかない』


『このような、計り知れない影響を与える事故が日本で起こったことに、我々も強い衝撃を受けている。
何十年来反原発で闘ってきたドイツの市民からの、連帯の言葉を
福島の事故は世界を変えた。
原子力発電が、どんな国においても、どんなシステムにおいても、この世界に計り知れない影響を与えるものだということをはっきりとさせた。
この事故は同時に、政府も企業も、為す術が無いということもはっきりさせた。
チェルのから25年、我々ヨーローッパ、ドイツの人間も知っている。
事故について、その被害をできる限り小さく見せよう、とすることを。そしてそれは今も続いている。
しかしこの事故は、ドイツやイタリアなどのヨーロッパの国々にも、大きな変化をもたらした。
ドイツでは、福島事故の後、今日のような大きなデモが行われ、その結果、今現在のような状態を勝ち取った』

『脱原発は、もはやできるできないの問題ではない。政治的に実現するかしない、かの問題。
送電線等の改革で実現可能なこと。
今私達は民主主義のもとで脱原発を声高く訴えていく時。
今、半年前にこの国で起こったことは、二度と、世界のどこでも起こってはいけないことです』


『命を守りたい、生きていたい、という日本人の心がここに集まっている。
生きてたい。
他の人達にも生きていて欲しい。
とにかく今生き延びるためには、原発を一斉停止するしかない。
命がかかってるのだから、
テレビ新聞で、本当のことはほとんど流れない。
去勢されて骨抜きにされている。
目の前の命よりお金の方が大事。
今の日本の政府は、人々の命を簡単に無視できる政府。
政治家達が世の中を変えれる。それはもう叶わぬもの。
デモも署名も、政治家達にとってはなにも痛くない。
倉庫に投げ込まれるだけ。
れぞれの選挙区の事務所に行って、代議士に圧力をかける。
今、大人がすべきなのは、子供達の命を守るために、行動を起こすこと』


『福島に暮らすわたしたちこそが、原発いらない、という声をあげよう。
3.11からの大変な毎日を、あらゆることに対して頑張ってきた、ひとりひとりの方々を尊敬します。
温かい手を差し延べてくださった方々に、心から感謝します。
こんな世界にさせてしまったことを、心からお詫びします。
安全キャンペーンと不安の狭間で、人と人との絆が壊れていく。
食べる、食べない。逃げる、逃げない。洗濯物を干す、干さない。声に上げる、上げない。
福島県民は核の実験材料にされる。
核のゴミは残される。
私達は棄てられたのだ。
疲れとやりきれない哀しみに襲われる。
バカにするな。命を奪うな。
子供達を守ろうと、大人達は立ち上がっている。

わたし達は、静かに怒りの炎を燃やす東北の鬼
政府交渉、除染、測定、思いつく限りのあらゆることに取り組んでいる。
どうかつながってください。
福島を忘れないでください。
自らの種族の未来を奪う生物が他にいるか?
ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた豊かな暮らしを紡いでいきたい。
誰かが決めたことに従うのではなく、ひとりひとりが、本当に自分の目を見開き考え、行動する。
誰でも変わる勇気を持っている。
何気なく差し込むコンセントの向こう側を考える。犠牲と差別と原発。
原発推進の壁が垂直に高いのなら、私達は横へ広く広く、手を繋ぎ合っていこう』



*おまけ
毎日新聞が空から取材して載っけてくれはった写真から、ちょっと拝借させてもらいました。
もっといっぱい撮ってくれてあるので、見たい人はここ→『さようなら原発5万人集会』をクリックして見てください。

今日またこれ見て泣いた。


こんなぎょうさんの人がいはる。みんなで原発反対!命を守れ!子供を守れ!生きたい生きたい!言うてはる。 




おばちゃん達の、力強い手、手、手!この写真が一番胸に響いた。


東京の街を、新しい日本への思いがうねり歩く。


参加してくれたみんな、ほんまにありがとう!
参加できんかったけど、思いを届けてくれたみんな、ほんまにありがとう!
すばらしかった!ほんまにすばらしかった!
一生忘れへん。

さようなら原発1000万人アクション!

2011年09月18日 | 日本とわたし
さようなら原発1000万人アクション!
脱原発・持続可能で平和な社会をめざして



9.19「さよなら原発5万人集会」へ集まれ!

<「さようなら原発」1000万人署名市民の会>

集まれ5万人!9.19は「さようなら原発集会」へ

みなさん、こんにちは。
本日9月19日、「さようなら原発5万人集会」が開催されます。ぜひ明治公園に集まってください。
詳細は以下の通りです。

◆概要
◎名称  さようなら原発 5万人集会
◎日時  9月19日(月・敬老の日) 13:00~ライブ 13:30~集会 14:15~パレード
◎会場  明治公園(東京都新宿区霞ヶ丘町6)JR「千駄ヶ谷」下車5分
地下鉄大江戸線「国立競技場」(E25)下車2分
地下鉄銀座線「外苑前」下車15分
◎参加費 無料


◆内容
◎オープニングライブ  寿 (全国から~脱原発ポスター紹介)
◎発言   落合恵子さん 大江健三郎さん 内橋克人さん 鎌田慧さん 澤地久枝さん 山本太郎さん 武藤類子さん(ハイロアクション福島原発40年実行委員会)
ドイツからのゲスト フーベルト・ヴァイガーさん(FoEドイツ代表/逐次通訳)
◎送り出しライブ  ランキン・タクシー、ナラカズヲ、制服向上委員会
※手話通訳あり。


◆パレードコース ※アルファベットの順番を変更しました。

A. 明治公園→青山通りを渋谷方向→宮益坂を右折→宮下公園→勤労福祉会館前→代々木公園/NHK側で解散

B. 明治公園→千駄ヶ谷小学校前→竹下通り入口→原宿駅→五輪橋→代々木公園/第1体育館側で解散

C. 明治公園→外苑西通りを北→新宿通りを西→新宿駅南口→代々木第3児童遊園地(代々木2-13-3)で解散


◆その他
◎当日はたくさんの人が来ます。
そこで会場中を大きく、①A.個人参加者・市民団体、②B.労働組合・民主団体、③C.政党・各種団体等に区分けします。
当日配布するプログラムに、それぞれの場所を記載します。
◎パレードは、3コースに分かれて行います。パレードも、上記の区分でコースを振り分けます。
◎手製のプラカード、楽器の演奏、仮装など大歓迎です。工夫を凝らして、街行く人たちにアピールしましょう。
◎初めてパレード(デモ)や集会に参加される方は「はじめてデモに参加されるみなさまへ」をご覧ください。
◎会場は公園設置のトイレのみです。仮設トイレは実務的に無理があり、ご用意していません。短時間の集会です。駅などで済ませて会場入りされることをお勧めします。


◆主催  「さようなら原発」1000万人署名市民の会

連絡先 〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台3-2-11 総評会館1F
原水爆禁止日本国民会議
tel.03-5289-8224 fax.03-5289-8223




当日ギリギリの紹介になってすみません!

最近のデモで、列から少しはみ出したからといって逮捕されたり、途中でコンビニに寄って戻った所を逮捕されたりした人が続出しました。
警察官がいつも、列を誘導したり、規制したりしている様子をビデオなどで観るたびに、わたしは首をひねってしまいます。

わたしがマンハッタンで参加したデモは、こじんまりとしたものだったので、比較にはならないかもしれませんが、
あの時、警備に当たった警官は少数で、その中のひとりは、三輪車の車に乗って、寄らず離れず、とても控え目に、我々の列の後をついてきてくれました。
その車の、窓から中が見える所には、折り鶴がさり気なく置かれてあり、反原発を訴える我々の応援をしてくれているのが、静かに伝わってきました。
結局、雨脚がとても激しくなり、たまらなくなって地下鉄に乗ろうとコースを変更した辺りから姿が見えなくなり、
そのまま、GE本社の巨大ビルの正門前に到着した時にはもう、警官は誰ひとりいませんでした。



びしょびしょに濡れた、背中に大きく原発マークに×マークを描いた折り鶴を、正門前にずらりと並べていると、
ビルの中から大慌てで、警備の人間達がゾロゾロと出てきて、警察を呼ぶぞ!立ち去れ!片付けろ!と文句を言ってきたけれど、
誰ひとり聞く者はおらず、思いっきり無視して、ただただニコニコ笑いながら、原発はんたぁ~い!GEは経営を改めろ~!と声を張り上げました。
その間、警官はひとりも来ず。
我々は、思いの丈を声にして、折り鶴をお土産に置き残したまま解散。


思いが届いたという実感は持てなかったけれど、応援してくれる人がいる、ということを体で感じた日になりました。

日本の警察官さん、あなた方はどうして、あんなふうに、目の敵を相手にしているような警備をするんですか?
あなた方が守っているのはなんですか?
あなた方が守らなければならないのはなんですか?
今日はその答を見せてくれるんでしょうか?


追伸!
こんなツィッターの報告がありました。


バスの中で隣に座られたご夫人が、デモのチラシを広げ、地図の部分を確認しておられたそうです。
初めてのデモ参加だそうです。すばらしい!

燃えよ~ト音記号!

2011年09月18日 | 音楽とわたし
燃えぇ~!


ACMA(Amateur Classical Musician's Association)のトレードマーク、燃えるト音記号!


またまたカーネギーホールの掲示板に登場しまっす!

勢いで50枚も引き受けたけど、全部売れるでしょ~か?!ハロウィーンパーティなどと重なる日程だけに、微妙なところです。



練習もいよいよ本格的になってきて、そしたらやっぱり指の痛みもどんどん悪化してきました。
思い切って、10月29日の本番まで限定で、痛み止めの注射とかを打った方がいいだろうか……などと軽く旦那に言うと、
「そんな、自分でちゃんと治療の努力もしてないし、ボクにきちんと治療させてくれへんまま、いきなりそんな注射を打つなんてことを考えるやなんて!」と、かなりご立腹。
ごもっともです、はい。
けど、わたしなりに、いろいろと、例えばお灸をかなり頻繁にやってみる、テーピングをやってみる、気功治療を受けてみる、連日にせず、一日おきに練習をしてみる、指使いを変えてみる、などなど、
この2ヶ月間、試しては落ち込み、また試してはぬか喜びし、様子を見い見い練習してきたわけで……。
けれども、左手の小指(ピアノの指番号でいうと5)で弾くべき部分が目に入るたび、痛みを心配することがどんなにストレスか……。
それに実際、かなり痛い(脳天に響く感じ)し、それを我慢して弾き続けると、指の腹が鍵盤に当たっただけでクラクラするほど痛かったりするので、
できたらそういう痛みと、痛みを恐れるストレスから開放されて練習できたらなあ……と思うわけで……。

来月1日と15日に、プロの方々の指導の元、全体リハーサルをやって、29日の本番に備えます。
とにかく、第一回目の合同リハの前に仕上げにゃ~!おぉ~!っとっとっと……。


さて今日は、朝からEikoちゃんと一緒に、というか、Eikoちゃんの車に乗っけてってもらって、
彼女の友人の引っ越しに伴う荷物整理のお手伝いをしに、G.W.Bridgeを渡ってすぐの所にあるアパートまで行ってきました。


George Washington Bridgeは好きな方の橋なので、すんません、ついつい、なんべんも写してしまいます。


アパートのご近所の家は個性たっぷり。庭も広くてすてきです。




Eikoちゃんいわく、この石のスレートの屋根は珍しく、張り替えにはお金がかかるけれど、持ちがいいそうな。


お手伝いといっても、彼女にとって不要になった家具などをいただきに行った、というだけで、こちらにとっても非常にありがたいことなのでした。
その家具に混じって、古いピアノがあったので、わたしの生徒でボロボロのピアノをずっと我慢して弾いている子にどうだろうと思い、試奏させていただくことに。
外側は、飼い猫ちゃん達が思い思いに爪研ぎをしていたようで、ちょいと可哀相なことになっていましたが、肝心のキーや内側の弦やダンパーなどは全く大丈夫。
とても安い値段で分けていただくことになりました。
よかったね~エミリー!!

脳ミソが屁をこいた?!

2011年09月17日 | ひとりごと
「今日のまうみみたいなんを、『Brain Fart(脳ミソが屁をこいた)』、ちゅうねん」と旦那に言われた。

今日は、新年度初めてのACMAの月例コンサートがあり、その前に、カーネギーコンサート用のプログラムに載せる出演者の写真撮影があった。
その案内は、二ヶ月前から数回、電子メールで送られてきてて、わたしも一度ならず何回か読んでた、はずやった。

共演者のサラと、その写真撮影の前に、合わせの練習をしようと決めてて、昨日、サラから、「タートル・ベイミュージックスクール(月例コンサートのホールがある音楽学校)の教室を借りたから、そこに12時半に来て」という連絡が入った。
その時彼女が、「そこだと2時まで合わせをしても写真撮影には間に合うでしょ」と言い、わたしは「うん、そうやね」と答えた。
その時点で、わたしの頭の中では、写真撮影は3時からで、場所は音楽学校のどこかの部屋、という予定が作られてた。

そして今日になり、プログラム用の写真なんやからと、いつもよりはちょっとていねいに化粧して(多分それでも普通の方々の3分の1ぐらい)、少しでも現実以上のブタに写らへんような服装を選んで着た。

朝からひとり、生徒を教えてる間にサラから電話がかかってきてて、かけてみると、「まうみぃ~ごめん!めちゃ病気……」と、ガラガラ声の彼女。
「ええよええよ、気にせんといて。実はわたしもつい昨日までめちゃ病気やって、あんまり練習できてへんから」と慰めた。

ふむ……っちゅうことは、慌てて12時半に行かんでええし、撮影は3時からやから、ちょっとゆっくりできるな。
しかも、今日は早めに行かなあかんと思てたから、旦那ともバラバラに行くつもりやったけど、それやったら一緒に車で行けるやん!
ラッキ~!
仕事から戻った旦那に事情を話すと、「それでもとりあえず早めに出て、マンハッタンで軽くお昼を食べたい」と言うので、わたしもそれに従うた。

今日は雲がおもしろい。助手席はヒマやからのんきに撮影開始。


エンパイア・ステートビルディングと雲。ピンクのでっかいお尻も気になるところ。


何時間でも7ドルっちゅうクーポンで激安の駐車場に車を停め、お気に入りの、これまた激安激ウマの中華麺専門店に入った。
席に座り、メニューを広げた時、ふと急に、わたしの頭の中にうっすらとした疑問の雲が立ちこめた。

ほんまに3時やったっけ……。

ACMAの月例コンサートはいつも、午後4時始まり。
プレジデントのアルベルトは、わたしみたいなギリギリ人間と違て、いっつも30分前には会場にいて、いろいろと準備せなかなんタイプの人。
そんな人が、写真撮影を3時始まりにして、演奏者を集めて、あれこれポーズとか構図とかをプロのカメラマンと話し合いながら撮影するか?
いくら建物が同じやとしても……。

店の外に出て電話してみた。
「ハ~イ、まうみ、元気?」
「アルベルト、写真の撮影ってどこやったっけ?」
「ああ、46ストリートと2番街の角っこだよ」
「ええと、3時やったよね」
「え?もう集まってるけど……」

そこまで話してるのに、わたしはそこでまた電話を切り、レストラン(アルベルトが言うた場所から2ストリート下りた角っこ)に戻り、注文したローストダックヌードル5百円也をきちっと最後まで食らい、
「なんぼなんでももうそろそろ行ったら?」と旦那に言われ、彼を残して店を出た。

急いで、アルベルトから聞いた場所辺りに行ってみたけど見つからず、48ストリートの角っこに立ってもういっぺん電話をしてみた。
「アルベルト、どこ?」
「46、いや、47ストリートだった。2番街に面した角。けど、もう撮影は終わったよ。まうみはどこにいるの?」
「えっ……」

『写真撮影は2時から3時まで。場所は2番街に面した47ストリートにある公園内のベンチ。
時間厳守。
いかなる事情があろうとも、この撮影に来れない者は、プログラム上の写真に載りません』
家に戻ってから確認したメールには、くっきりはっきり、めちゃくちゃ明確に書かれてあった……。

目と鼻の先でラーメン食うてたんかわたしは……どんだけアホなん……。

ということで、今回のプログラムの紙面上には、わたしの写真は載らないのであった……これぞまことの自業自得。
けど、ほんま、なんでここまでアンポンタンなまま当日までいたんやろ……やっぱ脳ミソが屁をこいたんかな……

かあちゃん、長いこと生きてたら、こんなこともありまんねん。もう忘れなはれ。丸うなってさっさと寝なはれ。え?お腹の肉が邪魔やって?まあ、それもとりあえず忘れときなはれ……。

"On lache rien"(オン・ラシャ・リアン) あきらめないぞ!

2011年09月17日 | 日本とわたし
HK & Les Saltimbanks "On lâche rien" (Japanese subtitles)


"On lâche rien" あきらめないぞ!

オレが住んでるスラムから
アンタが住んでる田舎の村まで
オレたちの現実は同じなんだ
そこらじゅうで反乱が起こりそうだ
この世界でオレたちのいる場所は無い
オレたちの顔じゃイイ仕事は見つけられない
オレたちは豪邸の生まれじゃない
親父でさえクレジットカードなんて持っていない
ホームレス、失業者、労働者、
農民、移民、不法滞在者、
奴らはオレたちを分断した
奴らはうまくやっていた
オレたちが連帯しないから
奴らは甘い汁を吸えたんだ
でも、オレたちは目覚める時がくる
そして、また奴らの首を落とすんだ

だからあきらめない!
あきらめない!あきらめない!あきらめない!あきらめない!あきらめない!あきらめない!
あきらめないぞ!

奴らは平等だと言っていた
オレたちはバカみたいに信じていた
『民主主義』?冗談じゃない!
ホントかウソか見ればわかるよ
投票用紙に価値はなく
株式市場の方が大事なのさ
ハッキリ言ってしまおう!
オレたち、ハメられちまったんだよ!
人権なんて価値はなく
エアバスのセールスの方が大事なのさ
一言で言ってしまえば
もっと稼ぐためには魂まで売れってことさ
この国は堕ちた売春国家
世界の独裁者を客に取る
奴らのきれいごとは、もう信じない
政治家たちはウソつきだ

だからあきらめない!
あきらめない!あきらめない!あきらめない!あきらめない!あきらめない!あきらめない!
あきらめないぞ!

まったくバカげているぜ
平和の話?友愛の話?
ホームレスがのたれ死にし
移民たちが追われている時にする話か?
奴らは労働者にパン屑を放り投げた
労働者をなだめるために
この社会で大切な “財界のお偉方” に
労働者がたてつかないようにさ
どれだけ奴らは守られているんだ
金持ちや権力者……
優遇されるのさ
社長が大統領と繋がりがあればね
同志のみんな、有権者のみなさん、
忠実な消費者のみなさま、
さぁ、その時がやってきた!!
出直すときが来た!!
闘いあるかぎり希望がある
命あるかぎり蜂起する
闘っているかぎり倒れることはない
起き上がるかぎり引くことはない
勝利への執念がボクたちの血に流れている
いま、なぜ闘うのかわかるだろう?
理想はただの夢じゃない
さぁ、もう一つの世界をつくるんだ!

だからあきらめない!
あきらめない!あきらめない!あきらめない!あきらめない!あきらめない!あきらめない!
あきらめないぞ!

だからあきらめない!
あきらめない!あきらめない!あきらめない!あきらめない!あきらめない!あきらめない!
あきらめないぞ!




↑この歌は今日、dattsunさんが教えてくれた歌です。
国の、細かな事情は違っても、この歌が訴える思いは、今の日本のオレたちワタシたちの思いと重なるところがいっぱいあります。

『オレたちが連帯しないから
奴らは甘い汁を吸えたんだ
でも、オレたちは目覚める時がくる
そして、また奴らの首を落とすんだ

『民主主義』?冗談じゃない!
ホントかウソか見ればわかるよ
投票用紙に価値はなく
株式市場の方が大事なのさ
ハッキリ言ってしまおう!
オレたち、ハメられちまったんだよ!
奴らのきれいごとは、もう信じない
政治家たちはウソつきだ』


連帯する時が来たんだと思います。
目覚めて、闘う時が来たんだと思います。
それはとても突然だったけれど、その時が目の前に現れるのは、たいていの場合突然です。
もう充分驚いたでしょう?
もう充分気がついたでしょう?
だから目覚めましょうよ!
闘いましょうよ!
初めてのことだから、恐いしやり方もわからない。
けれども、始めないと始まらないし、なにも変わらない。

失敗するかもしれない。
思うようにうまくいかないかもしれない。
けれども、やめたらそこで終わりだからね。
だからあきらめない!
あきらめないったらあきらめない!
みんなで叫ぼう!
あきらめないぞ!

福島県郡山市に暮らしていた高校生の思い『福島原発事故と私。そして、日本のこれから』

2011年09月16日 | 日本とわたし
komatsuburiさんのいう方のブログ『根っこはどこだ』に掲載されていた、ある女子高校生の思いを読んでください。


『福島原発事故と私。そして、日本のこれから……』自由の森学園H3 M.U


『原発の事を話したり考えたりすると、ただ「原発事故」というだけでも、話題が大きすぎる。
また、人によって、原発事故・原発への感情や現状の認識の差が大きかったり、理解するのに専門的な知識が必要だったりして、話しをしづらいし、考えにくいと思う。
なので、私は、「福島原発事故」が私の生活に及ぼした影響から、これから原発はどうするべきかを考えていこうと思う。

今回の、福島第一原発でおこった事故で、私の中でなにかが変化した。

もやもやした気持ちが頭の中にずっと存在し、先が見えない不安感、どこにもぶつけようがない怒りとやりきれなさが、ずっと付きまとっている。
こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだった。

私の家は、福島県郡山市(福島原発から50km程)にあった。
数年前に建てたばかりの新しい家だった。
私の部屋からは、安達太良山が綺麗にみえ、庭には、母が営んでいた子どもたちに安全な木のおもちゃのおもちゃ屋もあり、親子連れがたくさん訪れていた。
だけど、そのような環境は、3.11を境に手放すことになった。
地震で家が崩れたわけでも、津波で流されたわけでもなく、今までと同じように存在しているのにも関わらず住めなくなった悔しさや怒りは、言葉では表現できない。

郡山市は、マスコミにもあまり報道されることがないので、「そんなに危ないの?」といわれることが多い。
だけれど、実際は、避難地域に指定されている場所と変わらないぐらい、高い放射線量なのだ。
私の家も、ガイガーカウンターで計った際に、驚くような数値が出た。
そんな場所で、子どもたちに、安全なおもちゃを売ることはできるのだろうか。
自分たちの、健康で安全な生活は営めるのだろうか。
答えは、ひとつだった。
自分たちの家族の安全を守るためには、今までの家には住めない。
そして、母のおもちゃ屋は、こどもが安全な環境でないのに、安全なおもちゃは販売できない。
「ここで暮らしては駄目だ。」ということを、まわりの人々に伝えるためにも、店を閉じ、避難することを決めたのである。

家族が、埼玉県に避難すると決まると同時に、私は、寮を退寮した。
私にとって寮は、2年間、自分の学校生活の大きな柱のような存在だったし、寮生活でたくさんの事を学び、
「嫌い、面倒くさい。」と言いながらも、自分の居場所だった大切な場所だった。
自分の家と大切な場所が、私の中から奪い取られた気分だった。

また、奪われたのは、物だけではないと思う。
今回の原発事故で、人と人との間に、大きな溝が沢山できた。
安全だと信じ込み、高線量の福島県に住み続ける人、危険だと判断しその土地から離れた人、そして、まだ住んでいる人に、「そこは安全じゃないよ。危ないよ」と教える人。
今まで存在していた人間関係が、まるで嘘だったかのように消えてしまった。
私は、「あなたの住んでいる場所は、高線量で危ないよ。」というメールの内容を、福島の友人にしてから、一切連絡が途絶えてしまった。
これは、私だけの話では無く、私の家族や、同じように避難してきた友人も言っていた。

原発は、人の心までも奪う。
私自身、原発についての授業や話になると、むきになってしまって、噛み付くような見幕で、相手に自分の思っている事を話してしまうことが、何度もあった。
勿論、はじめから噛み付いてやろうとか、嫌な気分にさせてやるなんて思ってもいないのに、自分自身をどうしようもできない自分がいた。
それに、原発事故収束の先が見えない真っ暗な未来を思うと、原発について考えるのに疲れてしまって、話したり考えたりしたくなくなってしまった。
だけど、本当にそうなのかと考えたら、やはりきちんと考え学んでいかなければいけないことだし、
自分の思いや考えを言葉にして、声をあげなければいけないと思った。
なによりも、自分自身の大切なものをこれ以上失いたくないし、同じように、大切なものを失う人が増えてほしくないからである。

だれが悪いのか、誰に責任があるのかと考えたら、もちろん電力会社や、原発推進を国策として進めてきた政府、莫大な広告費で癒着してきたマスコミ、目先のお金で受け入れた町と町民があげられる。
だけど、なによりも「安全神話」を信じ込み、疑う人々を見てみぬふりし、原発推進を国策としてあげている政治や、政治家を選び支持して来た日本の多くの有権者たちにも、大きな責任があると思う。

反対ということだけ唱えていても、推進している人を納得させたりすることはできないから、
推進している人たちの話に耳を傾けてみたが、推進している理由に、根拠がひとつも感じられなかった。

最近、本来なら、人や自然、命あるものを思いながら進めていくべき政治や世の中が、企業の儲けや一部の人たちだけの都合のいいように進められていると感じる。
これは、とってもおかしなことだ。
安全を手に入れるにはお金がかかる。
だけれど、原発のおかげで、お金をたくさん得ている人たちがいるのも事実だ。
この社会の仕組みは、私たちの安全を「危険」に売っているのだ。

まだ、福島原発は収束していない。
次から次へと放射性物質が検出される日々。
これは、事故が起きたときこうなると、分かりきっていたはずだ。
いつ倒壊するか分からない4号機。
たくさんの使用済み核燃料。
そして、恐ろしいのは、福島原発は、プルサーマル発電。
目を離してはいけないのだ。
逸らしてはいけないのだ。
これでも、まだ必要なのだろうか。
電気は足りているのに、収束の光も見えないまま、ほかの原発を再稼動させるのだろうか。
絶対に止めなければならない。
この地球の未来を少し考えたら分かるはずだ。
これは、福島だけの問題ではない。
東京や埼玉だって水や食べ物は汚染されたものが、流通しているし、ホットスポットがたくさんある。
のんきに考えていてはいけないと思う。


世界が「脱原発」への道を進んでいるのに、どうして日本は変わらないのだろうか。
変わらないのではなく、変えられないのかもしれない。
日本の原発教育を受けてきた人がほとんどだから、危機感や現実感が存在しないのではないかと思った。
ある意味、日本の教育は、成功なのだろう。

だけれど、変えるべき問題だから、もっと声をあげて訴えなければならないのだと思う。
私自身も、微力ながらも、自分の考えを大切にし「原発はいらない。」と声を上げていきたい。

今回は、あまり触れられなかったけれど、これからの事を考えると、新エネルギーのことや、今とまっている原発の再稼動問題などいろんなことがあげられる。
それらをこれから考えていく必要があると思う』


彼女と彼女の家族は、あまりにも多くの物を失うた。
今までとなんも変わらへん、美しい景色に囲まれた、数年前に建てたばかりの家も、
子供達のためにと開いた『安全な木のおもちゃのお店』も、学校生活も、友達も、
そして多分、大黒柱の人の仕事も。

そんな大変な、新しいチャレンジ生活が続いている中で、彼女はこれだけのことを考え、それをまとめあげた。
大人の我々にできんかったら恥ずかしいんちゃう?
わたしらも、自分の考えを大切にして、「原発いらん!」と声上げていかなあかんのとちゃうの?


東電のなんちゃって賠償請求書類登場!

2011年09月16日 | 日本とわたし
東電賠償請求書類は「いやがらせ」? 専門用語だらけマニュアル156ページ

という、J-CASTニュース 9月13日(火)19時12分配信を読んだ。
↓以下がニュース本文。
 
『東京電力が原発事故の本補償の手続きを開始し、個人向けの補償金請求の書類一式を、仮払いを受けた約6万世帯に発送した。

しかし、請求のための申請書類は約60ページの冊子で、内容も複雑。
「賠償する側という意識はあるのか」「いやがらせのような分量の多さ」といった批判が上がっている。


■3か月ごとに書類作成が必要

東電が2011年9月12日に発送した封筒を覗くと、同意書、補償金請求書、各種証明書類といった書類が入っている。
中でも目立つのは「補償金ご請求のご案内」と書かれた156ページの分厚いマニュアルだ。
そのうち約100ページは、「一時立入費用」「生命・身体的損害」「就労不能損害」など、請求対象となる損害ごとの記入方法の解説だ。

仮払い補償金の申請書類は、非常に簡素なものだったが、今回は領収書、証明書の添付のほか、細かく算式を記入する必要がある。
たとえば「就労不能損害」の場合には、自身の雇用形態を4つタイプから判定したうえで、それに沿った証明書類を用意し、補償金の金額を算定しなくてはならない。
ページを行ったり来たりで、骨の折れる作業だ。

申請書は請求者1人につき1冊。
しかも今回は3月11日~8月末が対象で、それ以降は3か月ごとに同じ書類を作成する必要があり、申請者の負担は大きい。

漏れなくすべてを記入するのも難しそうだ。
東電では対策として、補償相談センターに約200人の担当者を設置し、手続きがわからない人のためには現地で説明会を実施するという。

東電は、申請から支払いまでは最低でも1か月かかるとしている。
記入漏れがあった場合は、記入し直しとなり、さらに時間がかかる。
また、東電からの賠償額通知に同意できない場合には、原子力損害賠償紛争解決センターに和解仲介を申し立てることにもなる。


■「めんどくさい」「心が折れそうになった」

ツイッター上では早速、東電から書類の届いた被害者の声が上がっている。
福島から埼玉に避難しているある女性ユーザーは、「東電から補償金の請求書類が届いた。一人一冊って…。説明書も分厚くて…。嫌がらせ?めんどくさい」と不満を顕わにする。

福島県大熊町から避難しているという女性は、「東電補償金の資料がきた。大量過ぎて頭がこんがらがる。読むのが面倒いくらいだ」と混乱気味。
書類を見て「ちょっと心が折れそうになった…」というユーザーもいた。

福島県川内村から避難しているという女性は、分厚い説明書や書類の多さに驚きを隠せない。
「保険の手続き書類に似ている」とし、「これを読んで記入するなんて、村の高齢者のほとんどは無理だろう。代行業者とか、代行詐欺が出るのではないか」と心配する。

続けて、「支援、補償関係の手続きは、本当に面倒くさい。福島県の健康調査、3月11日から25日までの記録を提出したが、ダンナとふたりでメモを見ながら書いていっても、思い違いがあったりする。こういうこともあるかとメモつけていたわが家ですら、ダメダメ」と書類作成の苦労を語っている。

ジャーナリストの須田慎一郎氏は、9月13日放送のテレビ朝日系「ワイドスクランブル!」で、
「被害者にしわ寄せを持っていくなんておかしいんですよ」
「東電の社員が1軒1軒まわって聞き取り調査をするなりして書類を書くべきであって、(被害者に)負担を求めるというのはどう考えたっておかしい」と批判している』



質問あんねん。
今までにも、賠償請求を被害者の方からせなあかんような事が起こってきたやん。
公害や輸血、薬害、それからアスベストとか。
そういうことに運悪く巻き込まれてしもた人達も、いっつもこんな分厚い電話帳みたいな書類が送られてきて、
それをうんうん唸りながら、一枚一枚書き込んではったん?
賠償せなあかん企業は、いっつもこういう非情で傲慢で嫌がらせみたいなことしてきたん?
「書けるもんなら書いてみやがれ!請求できるもんなら請求してみやがれ!」みたいな……。
充分辛い思いさせられて、家も生活も根こそぎ奪い取られて、この先の健康かてどうなるかわからん不安まみれの毎日を過ごさなあかん人らに、なんでこんなことが平気でできるん?
そらあんた、なんちゅうたって東電やさかいに。
そらな、わたしも東電丸ごと憎いんとちゃう。
中には心痛めてる人もいるかもしれん。
なんとか助けになりたい思て、行動してはる人もいるかもしれん。
けど、上がここまで腐ってたらあかんのとちゃう?
まるでダダ漏れの放射能にすっかりやられてしもた棄人の集まりや。
こんなん残しといたらあかんわやっぱり。
もし今からでも、「うちから出した賠償請求の書類は、書き込みがあまりにも難しいから、配送されたお宅一軒一軒回って、事情をていねいに聞き取って、書き込みの手伝いをしなさい」って、社員全員に命令できる役員がおるんやったら、考え変えてもええけどな。
そこにはおらんやろ、こんなとんでもない状況を作ってしもた会社の役員として、責任を感じられる普通の人間なんか。
政府がグズグズしとんねから、市民の手で潰すしかないやん。
マスコミもグルやし、よその国かて、あれこれ自国の損得考えてるからアテにならん。
自分の傷の膿は自分で絞り出すしかないねん。
痛いで。めっちゃ痛い。けど、そうせなすっきり治らへん。せめてそこだけでもきれいにしような。

ほんで、書類送られてきた被害者のみなさん、
さっきは勢いで、東電に書き込みの手伝いぐらい思いつかんのか!言うて文句言うたけど、
そんなもん読まんでええよ。
理解せんでもええ。
東電に全部送り返して。
「ちゃんと、誰にでもわかる、書き込みのしやすい書類に書き直してから送って来い!」って一言書き込んだ紙と一緒に。
ほんで、また送ってきたら読んでみて、性懲りも無くややっこしかったら、またまた送り返したったらええねん。
とことん、誰にでも書きやすい、親切で丁寧でわかりやすい文章で書いてくるまで送り返したり。
今の電話帳みたいな、誰にもわからんようなん相手に無駄な時間過ごさんでもええねん。過ごしたらあかんねん。
とことんやで、とことん!
これがデモや。とことんデモ! 

オカン

2011年09月16日 | 家族とわたし


独り立ちしてクィーンズに住んでる息子から、メールが突然送られてきた。
件名は『okan』

彼が大学生になって家から巣立つ時、寂しいやら嬉しいやら、なんやようわからん気持ちでいっぱいになり、
三日間かけて、空っぽになった部屋を取り憑かれたみたいに片付けたりした。

大学卒業して、今度は就職やって時に、日本で働きたい言い出した時は、どないかして気が変わらんもんかと、口には出さんかったけど呪いをかけた。
日本の夏、お金無かったから冬もんのスーツ着て、文字通り汗水流して就活に励み、どえりゃ~数の会社の中からやっとこさ内定をもらい、
入社前の心構えやら論文やらの宿題も済ませ、あと数十日で日本!っちゅう時に、
会社から送られてきた、入居予定の、新入社員専用の宿舎の相部屋見取り図を見た途端、
「あかん……、俺、ここでは住めん」と言い出し、申し訳ないけれども、内定を取り消してもろた。

おかんの呪いが効いたんか効かんかったんか、さっぱりわからんけど、大学時代みたいに、車で片道10時間走らなあかんとこでも、飛行機に15時間以上も乗らなあかんとこでもなく、車で1時間弱のとこで暮らしてる。

離れる時はあんねん寂しかったのに、離れてしもたらあっさりしたもんで、わたしからも向こうからもほとんど連絡せえへんまま時は過ぎ、
たま~に、誕生日やら○○の日やらがある時に、一行メールが来たり、チャットでちゃちゃっとしゃべるぐらい。
どんだけあっさりしとんねん?!な親子なんである。

で、そんな仲やのに、いきなりメールが送られてきて、しかも件名が『okan』ときた。
え、どないしたん、寂しなったん、思い出したん……うるうるとしながらメールを開けると……、

一言のあいさつもなく、上のビデオが送られてきてた。

うぉらぁ~!!
オモロ過ぎやぁ~!!
どんだけおんなじこと言うとんねぇ~ん!!
それをまた、あんたは覚えとんのかぁ~!!しょ~もないことだけ覚えててからにぃ~!!
で、いったいあんたはなに言いたいねぇ~ん!!

などと、心の中を乱しながら、ガハハガハハと笑たオカンなのであった……。


マジで、↓これはわたしの口癖やったかも……わたしってうるさいオカンやったんやろか……。
「音だけでも小さしてお願い」
「ちゃんとやったらあと混ぜといてご飯!黄色なんねんから!」

ふざけんな東電!

2011年09月15日 | 日本とわたし
徳岡宏一朗さんという弁護士さんのブログ、 

東京電力3年間値上げを画策 ふざけるな! 悪あがきする東電は破綻処理しかない
をぜひぜひ読んでみてください。

東電が普通の会社だったら、既に債務超過、自己破産です。
只、国営化よりも生かした方が投入する税金が減ると考えていましたが、今の東電を見ていると補償する気は無い。


わたし、この三日間、弱ってうんうん唸りながら、うんうん考えてたんです。
けど、なんで東電がまだあるん?と……。
それがどうしてもわからなくて、よけいにうんうん唸っていました。

東電社員の平均収入は800万近いらしい。
けれども今は、とりあえず5%減額されてるらしい。
ボーナスも、減額されているものの、いまだに支給されてるらしい。
梅蔵ちゃんの近所の社員なんかは、3月の末に、家族で海外旅行なんかに行ってた。
おまけに、彼の住む家は超豪邸で、事故後もふつ~に暮らしているらしい。
事故の収拾は全くつかんまま、もう半年が経って、毎日汚染水は地下と海に漏れ、事故でぶっ飛んだ隙間からは、放射能が空気中にダダ漏れ。
プルトニウムや他のなんたらかんたらの放射性物質は、計測が困難やら不可能やらで、いまだにはっきりとしたデータは無し。
事故後の東電の任務は、原発建屋の中の作業だけで、除染は住民各自でやっといてと平然と言い、
社員の多くは今まで通りの仕事を、今まで通りの調子でやっていて、今のこの危機的状況をどう思うのかと聞くと、うちは部署が違うからと、これまた堂々と宣う。
困ってる人はとことん困り、心を弱らせた挙げ句、生死の境を彷徨うてる人もいる。
放射能汚染のことで家族の思いにすれ違いが生じ、離散の危機に瀕している人もいる。
実際に、体に支障が出てきた人もいる。

ほんでなんやって?電気料金値上げ?
どっからそういう考えが浮かぶわけ?
福島原発1号機の『事故時運転操作手順書』を、黒々と塗り倒して読めんようにして提出できるキチガイの集まりやから?
自分らのやりたいことは絶対やりたいも~んなガキの集まりやから?
必要の無い計画停電なんかしくさって、それがもとで死んだ子もいるのに、それもうやむや。
ほんまは余りまくってる電気を、あらへん、足らへんと大騒ぎして、暑い夏にぎょうさんの人を熱中症で殺してもうやむや。
値上げは15%、それを3年間続けて、停止中の柏崎刈羽原発の再稼働が実現したら10%値下げしたるってか?
腐りきってる人間っちゅうのは、あんたらのようなことを言うねん。
もうほんま、会社やないで、東電なんか。
核が好き過ぎてすっかり狂てしもた人間の集団や。
やってること、やろうとしてることがムチャクチャや。
いつまでこんなん野放しにしとくん?
5年10年後に、世界中のあちこちから、日本めがけて訴訟の嵐が押し寄せてくるまでか?
ああ恥ずかしい。
いったい役人が何人いて、社員が何人いて、株主が何人いるんか知らんけど、
こんな事故起こして、ここまで被害を加えて、今だになんの解決策も見つけられへんばかりか、やれるはずの打つ手も実行せんと、
えらそうに、ど厚かましく、東電でございます、言うてるの見て、気が狂いそうにならへんのん?
東電潰さんと、他の阿呆電力会社も全然反省せえへん。
みんな似たり寄ったり、同じ核穴のムジナや。
事故起こったらこないなんねんって、きちっと見せなあかんと思わへん?
責めるとこがズレ過ぎや。どこ見とんねんみんな!
原発がどうのこうの言う前に、まずこの会社、潰したらなあかんのとちゃう?

関東のホットスポットに、暮らし続けると決めた女性の、心の叫びを聞いてください!

2011年09月15日 | 日本とわたし
梅蔵ちゃんという、千葉在住の女性がいる。
若いおかあさんやけど、とても聡明で、しっかりしていて、家事もきちんとこなし、特に食事については手抜きをせん人。
地域のオーケストラの団員で、三年前に、管理栄養士を目指して大学生になり、それからはてんてこ舞いの毎日。
そんな暮らしの様子が書かれた彼女のブログ『andante con moto』を読みながら、わたしはいっつも感心したり唸ったり、
こんな奥さんの旦那さん、こんなおかあさんの子供達は、どんなに幸せやろか……と羨ましゅうなったり(おいおい……)。
ところが、今回、原発事故が起こり、汚染が関東(千葉)地区にも蔓延しているというニュースを聞くたび、彼女のことを心配してた。
いったいどないしてるやろ。彼女のような人やからこそ、どうしていくつもりなのかを知りたい……。
けれども、彼女のブログには、原発のことや汚染のことは一切書かれることがないまま日が過ぎていき……。

たばこ原料乾燥葉から、放射性セシウム217Bq/kg検出?!

の記事に、突如、梅蔵ちゃんがコメントをしてくれたのだった。



まうみさんへ (梅蔵)

まうみさん……うちねえ、ホットスポットなんですよー、関東の……。
けっこうきついんですわ、精神的に……。

ほっんまに苦々しい。東電……。

保育園のママ友のうちに、旦那さん東電の人いますねん。
3月末に家族でグアム旅行行ってましてん……。
「うちは部署違うからね」って、3月末ですよ!!
20日くらいだったと思うんだけど……。
信じられます???
東大卒の、東電でもエリート君です、その旦那さん。
オール注文で1から10まで特注の、本物の暖炉のある新築の家に住んでます。
その家族、ダブルインカムだっていってもね、その後もローン、払えてるんだなあ、って……。
半年経って思いますねん。

ここいらあたりは、すごくおいしい野菜がたくさんとれる所だったんですよ。
今でも、とれてるし、流通はしてますけどね。私はもう買えないです。

昔は畑から直に買ってたくらいやった。

今は農家の新鮮な野菜を横目に、なるべく遠くの野菜買うてますねん。

ほんま、むかつきますわ。あの豪華な友人宅の煙突みるたびに。
税金投入するまえに、東電の給料、世の中の平均所得以下までさげたらええのんとちがいますか?
その差額で除染してよって思うねんけど。

除染して出来た大量の放射性の土砂は、原発の敷地にお返ししたらええ。元にあった場所に。

そら、双葉町とかの人は気の毒やけど。
だからって、日本中が広く汚染されたら、もう西の物も食べられへんくなってしまいますやん。

「瓦礫の最終処分場は福島県外で」なんて言ってた議員いたけど、あほか、おもいますねん。
協力て、そう言う事と違いますやん。

もう、言いたい事たくさんです。ほんまにもう……。



梅蔵ちゃんへ (まうみ)

 
梅蔵ちゃん……ほんまはわたし、ずっとずっと梅蔵ちゃんちの周辺は大丈夫なんやろかと、気になってかなんかってん。
けど、梅蔵ちゃんはまるっきりその件に関しては言葉にしてないし、
それはまあ、言葉にできひんほどに気になってることなんか、
言葉になんかする必要のないことなんか、
そのどっちなんやろ……とずっと思ててん。

ホットスポットやなんて……。

ようその男、いけしゃあしゃあと、部署ちゃうからねって……。
梅蔵ちゃんの横に立っとったらわたし、掴みかかってたかもしれんわ。
今話を読んでるだけでもむちゃムカつくわ。
どんだけ無責任やねん。
どんだけ阿呆やねん。
やっぱりそんな会社、もういらんわ。
そんな阿呆は、もういっぺんまともな社会に放り込んで、一から人生学ばせなあかんわ。
なにがダブルインカムやねん?
なにが暖炉やねん?
なにがカスタム仕様やねん?
そらね、別に今回の事故は、そいつのせいでもなんでもないよ。
けど、自分が所属してる会社の不始末やんか。
それも、半年もずっとろくな進展も無い、地球は汚されまくり、日本もボロボロ、
どんだけ深刻な事態を作ったと思とんねん!
ちょっとは生き方自粛せえっちゅうねん。
地域の、そこがホットスポットになんかなってるんやったら、
せめてその除染を先頭立ってせえっちゅうねん!

東電、なめとんのか!こら!
梅蔵ちゃん、あかんわコレ!もう絶対あかん!
どっかに投書しぃ。東京新聞に投書しぃ。
税金やら電気料金やら上げる前に、まず東電の中で金作れって。
今まで通りの給料やらボーナスやらが存在してるんやったら、もっての他や!
どの面さげて大人やっとんねん!
むかぁ~~~~~~~!!!!!!

梅蔵ちゃん、もっと言いたいこと無いか?



まうみさんへ (梅蔵)
 
まうみさん、私の叔父が東電なんですけどね……。

もう20年くらい前に、原発のこと話した事あるんです。
私は、原発は昔から反対だったから、叔父に「原発はいらないでしょう?そんなに電気いらないでしょう?だいたい、原発ってコストは安くはないんじゃないの?」って聴いたんですわ。

答えは、「これからの日本には、原発は絶対必要だから。他にないから」って。
まず、原発ありき、やってんですよ。疑問をもたない。
そういう企業経営の不始末です。

私、東電がスポンサーの、料理番組のコーディネートの仕事してましてん、昔。
多分、IHコンロが初めて料理番組で使われたの。
使ってみての感想。
「こんなもん普及したら大変な事になるやん……」て。
IHコンロのその当時のコンセプトは「きれいな空気でお湯をわかす」でした。
そのコピー聞くたびに「あほか?!原子力で作った電気のどこがきれいやねん!!!!」て叫んでた。

明るすぎる路地の街頭も、あったかい便座も、自動販売機も、自動ドアも、10段くらいしかないエスカレーターも、窓の開かないマンションの部屋の空調も、
全部電気やん!!いらんやん!って叫んでた。
みんな私を笑ったよ。

でもね、最悪のシミュレーションが現実になった今でも、1人が叫んでも、やっぱりなんにも変わらんよ、まうみさん。

声に出せば、変なひと扱いや。
みんな、前と同じように普通に暮らしてる。

家の裏の茂み、今でも0.9μsv/hあるらしいです。
そんな場所でも、みんな、3/15以前と同じ生活してはりますわ。

そんな中で、出来る事はやって、なるべく被爆を避けてきたけど、少し疲れてきましたよ……。
気軽に引っ越せたらいいのにね。



梅蔵ちゃんへ (まうみ)
 
あのね、梅蔵ちゃんが残してくれたコメントを、今朝起きてすぐに読んで、
けどそれから、生徒が来て、
終わったらまた今度は、遠く遠くからわざわざ来てくれてる、声の出し方をちょこっと教えてる友人が来て、
そうこうしてる間に、カナダから来てる友人夫婦がマンハッタンから戻ってきて、
みんなと一緒に夕飯食べに行って、
戻ってからまた、あ~だこ~だと話に花を咲かせてて、
ほんで今やっと、ひとりになれたんやけど、

ずっと梅蔵ちゃんのこと考えててん。

梅蔵ちゃんのおじさんのこと、
梅蔵ちゃんがずっとずっと昔っから、原発に反対してたこと、
梅蔵ちゃんが気づいた現実を、一所懸命に伝えようとしても、誰も聞く耳を持たんばかりか、変人扱いしたこと。

梅蔵ちゃんはきっともう、すっかり疲れてるんやろね。
ほんで、すっかり呆れてる。
物事の本質を知らん、わからん、わかろうとせん、
いったい自分がどんな世界に居るのかに、ものすごく鈍感な人達に。

その疲れは、わたしのそれとは桁違いに、長年の澱みたいに、ねっとりと心の壁の内側にへばりついてるのやろなあ。

現実問題として、その0.9μsv/hっていう数字、梅蔵ちゃんとしてはどう思てるの?
気軽にできる引っ越しなんて、どの人にも無いけど、
ましてや梅蔵ちゃんちみたいに、まだ小さな子供がふたりもいて、
しかも、それぞれに、自分の世界がちゃんと確立してるような家族は特に、
全然予定になかった引っ越しを、今すぐして欲しい言われても、なかなか決心つかへんよね。

ただ、その数字は、わたしのこの、3.11以降に慌てて学んだ乏しい知識で考えても、かなり恐いように思うのやけど……。
これがいったい、どういう理由で飛んできたのか、
この数字は、的確な除染次第で、なんとか下げてもらえるのか、
下げてもらえたとして、今もダダ漏れの汚染がまた悪さをせんのか、
それを調べてもらう伝手とか無いの?

梅蔵ちゃん、
わたし、思うねんけど、
梅蔵ちゃんが言うた、1人が叫んでもやっぱりなにも変わらんっていうの、
わたしはそれでも、そうかな?と思う。
すぐには変わらんでも、梅蔵ちゃんが叫んだその声は、きっと誰かの耳から心の隅っこにでも届いてて、
いつか、その人に、自分のことをちゃんと考えるチャンスが来た時、
梅蔵ちゃんの声が、フッとよみがえってきたりするかもしれん。
ほんで、その声を聞いたその人の、その時の気分や、環境や、タイミングなんかがいろいろと重なり合って、
その人は、そうや、変わらなあかん!と気づくかもわからん。

わたしは少なくとも、そのことを夢見ながら声を上げてるねん。
今すぐには無理でも、2年3年、5年10年と、月日が経ってからでもええねん。
できたら生きてる間に、大きな変化の波が、日本中うねるのを見届けたいと思てるのやけど。

今、普通の暮らしを続けてる人達の中には、こんな人もいるかも。
それは例えば、つい半年前まで、病気ひとつしたことがなかったのに、
いきなり医者に呼び出されたかと思たら、「はい、あなた、癌になるから」って宣言されて、
けど、そんなこと言われても、体のどっこも悪ないし、原因になるもんなんか想像もつかへん、みたいな……。

そやし、認めたくない、そんなはずない、大丈夫やと思いたい。
そういう、いわゆるパニック状態になってるんかも。

それはきっと、余計に命を縮めることになるかもしれんけど、
でも、そういうリアクションは理解できると思えてきた今日この頃です。

とにかく梅蔵ちゃん、このことについては、もっともっと気持ちを聞かせて。



まうみさんへ (梅蔵)

こんばんはー。

まうみんさん、私、3月15日(3号機までヤバくなった日です)くらいから覚悟モードに入ったんです。
この段階で、メルトダウン以上の事態だ、と確信していました。

まず、昆布とヨウ素(イソジン)を購入。
これは反対意見もあったけど、私はヨウ素剤の代わりに少しずつ口にしました。

我が家の周りがホットスポットになるかもしれないと言う事は、その段階で覚悟しました。
チェルノブイリのとき、被爆者が多く出たのは、ウクライナの方。
ドーナツ状に、半径200KMくらいと言う事は、予備知識として持ってました。
ちょうどうちは、原発から200KM。
風向きと天気予報を自分で解釈しながら、行動を決めてました。

3月22日。
雨が降りました。
風向きから、この辺りがホットスポットになることを予感しました。
そして、その雨に、絶対子供たちを触れさせてはいけない、と思いました。
換気扇をとめ、家から全く出ず。
その後は、舞い上がるホコリを避けるため、徹底して内部被爆対策をしました。
6月いっぱいは、子供にもマスクをさせてました。
ママともには「え??放射能対策??まじ??」と言われるので「花粉症だよ~~」って言ってました(そう言う雰囲気です。みんな普通に暮らしてます)。

金町浄水場から、高濃度のヨウ素が出たとき、我が家の浄水場は、まだ何の警告も出ていませんでしたが、
同じ江戸川水系だということは調べてあったので、この水は飲んではいけない、と、友人にもしらせました。
実際、数日後には、我が家の水道でも同じことになりました。

初期の被爆対策は、かなり出来たと思っています。
これは、おそらく非常に大切な事だったと思うんです。

その上で。

現状で転居をしないのは、第1には仕事や、大学の事があります。
第2に、今、私が住んでいるのは、夫の会社の宿舎の4階なんです。
そのメリットも考えての事です。

放射線量も、4階ベランダまでくると、0.1μsv/h以下まで下がります。

それに、夫の会社は、かなりきちんとしたところなので(JAXA)、0.9μsv/hの植え込みの除草も、速やかに行ってくれました。
そもそも、放射線量の数値も、会社が機械を貸し出してくれて、社宅の自治会で測ったものです。
地震当日も、筑波から宿舎までバスを手配してくれて、宿舎に住む住人は、帰宅難民にはならずに済みました。

会社の庇護の元に、固まって暮らすメリットもある、と考えています。

それと私は、今ホットスポットと呼ばれている場所だけが、放射線量が高い訳ではないと思っています。
計測されていないか、発表されていないだけ。
ホットスポットは、ドーナツ状になっている筈です。
だから、実は、ほんの少し遠くに越しただけではあまり意味が無いだろう、と思っています。
仕事と大学を続けられる所に引っ越しても、あまり変わらない……。

甲状腺がんに関しては、チェルノブイリほどの発症は起こらないだろう、というのが私の考えです。
日本は昆布を常食してきたので、特異的にヨウ素を摂取し続けてきた民族です。
甲状腺の中のヨウ素は、飽和している人が多いのではないか、と思うのです。
ですから、原発事故後の被爆での、ヨウ素131の体内への取り込みは、それほど多くないのではないかと思います。
(ヨウ素は、世界的には不足している地域が多いので、そこでは甲状腺にヨウ素が取り込まれやすいのです。チェルノブイリもそういう地域です)。

セシウム、ストロンチウムあたりが、今最も私が恐れている放射性物質です。
肺がん、骨癌、白血病。
引っ越す事で軽減できるのか?
でも、食べ物はどこに越しても、それなりに汚染されています。

そして、プルトニウムが最も怖いです。
プルトニウムの拡散は、チェルノブイリではなかったはず。
再処理燃料、という技術もなかった時代です。
だから、データが無い。
予想がつきません。
ただ、重たい元素なので、風に乗ってここまで来る事は無い、と考えています。
でも、魚は海を移動します。
内蔵ごと食べる魚は、怖い。

そんな事を考えながら、口にするものを厳選しつつ暮らしています。
こどもたちには、放射線量の高そうな所を教えています。
が、子供が好きそうなところが多いんですよ……実際には。難しい。 

生活と、科学のつたない知識と、食べ物の流通と。
いろいろな事を考え合わせて、今のところ、ここにとどまっています。

見通しは楽観的に、対策は悲観的に。

今はそうやって暮らしてます。

声を上げることも大事ですが、今は、自分の足下で出来ることをやるしかできないです。
何もしない楽観的な人に「それじゃだめだ!」と言う気はないけど、どうにかしなきゃ、と思っている人とは、緩やかな連携を持って対応して暮らしています。
お互いの家で子供を遊ばせて、外遊びを減らす、とか、そんなことくらいですけれど。

大学で、食べ物の放射線量を減らす調理を実験したいけど、機械が無いかな、むりかなあ。
卒論のテーマにできたらいいんですが。

まうみさん。私の行動、どう思われますか?



梅蔵ちゃんへ (まうみ)
 
とんでもなく忙しい梅蔵ちゃんに、いろいろと質問してごめんね。
こんなことをわたしに説明している時間も惜しいぐらいなのに……でも、ありがとう、梅蔵ちゃんのこれまでの軌跡がよくわかりました。

そして、何よりも、3.12があってやっと、ちゃんと考えようなんて思い始めたわたしなどと違い、
ずっとずっと前のから、うんと若い時から、疑問を持ち続けてきた梅蔵ちゃんだからこそ、
書いてくれたような対処が、適時にきちんとできたんやと、それがもう、言葉にすると変な表現やけど、嬉しかった、ほんまに。

梅蔵ちゃんが動けないのでなく、動かないことを選んだ理由や事情を読みながら、
自分ならどうしたかを、ずっと今日一日考えてました。
もしわたしが、梅蔵ちゃんのように、原発そのものや、原発事故後の現実をきちんと冷静に把握できる知識と持ってたとして、
その上で、梅蔵ちゃんと同じ暮らしをしていたらどうしていたか……。

初期の内部被爆については、梅蔵ちゃんほどのことをできた人は、いったい何人いはるやろね。
ただ、今も続いている汚染は、実際全く見えないし匂わないから、
データを、それも、他人からの受け売りに過ぎないデータの中から、自分が正しいと思うものを選んだに過ぎないデータを寄せ集めて、
そこから予想できる限りの情報を得ていくしかないのでしょう?
もしかして、梅蔵ちゃんは、独自の、もしくは、会社なり大学なりが精密に測定したデータを手に入れることができたりするのかなあ。

梅蔵ちゃんの旦那さんの会社のように、社員を大切に思い、適切な行動がとれるよう、いろいろと配慮してくれる会社があるってことを知って、それにもすごく励まされた。

梅蔵ちゃんは子供を二人産んで、旦那さんがいて、家事を人並み以上に丁寧にして、
その上、新しい世界を学ぼうと大学に通い、たくさんの実技や宿題を抱えながら、子供達の習い事の練習にもきちんと付き合い、家族の健康を考えた食事を作ってる。
わたしからすると、もう、スーパーウーマンとしか言いようのない人。
そんなあなたが、とどまることを決め、自分の足元でできることをやるしかないと決め、どうにかしなきゃ、と思っている人とは、緩やかな連携を持って対応して暮らす、と決めたのなら、わたしはその決定を尊重したいと思います。
そうやって、いろいろなことがわかっていながら、それでもそこにとどまることが適切である、と思えるなら、
それが親として、妻として、ひとりの梅蔵ちゃんという、この世にたった一人しかいない、かけがえのない人生の所有者として、
できる限りのことに注意して暮らす梅蔵ちゃんが、声そのものなんだと思えるからです。

ただ、ひとつだけ、これを言っておきたいと思います。
梅蔵ちゃんが言う覚悟というのは、どういうことを意味しているのか、想像するしかないのだけれど、
その覚悟の延長に、もしかしたら、自分をはじめとする、家族の、特に子供たちの、健康被害を目の当たりにする現実が有り得るってことだよね。

わたしは多分、そういう覚悟をするぐらいなら、とにかく逃げて、逃げて逃げて、もちろん、狭い国なんだし、今の原発村の連中の企みが阻止できない限り、汚染はどんどん全国に広がっていくのだけれど、
それでもやっぱり、それなりに汚染されている、ぐらいでとどまっている所を目指して、まず移動すると思います。
なんでこんなことになったのか、なんでわたしが仕事を辞め、生徒達を見捨て、旦那にも、やっと得た職を手放させ、子供たちの環境もぐちゃぐちゃにして、見知らぬ土地に引っ越して苦労せなあかんのか、そんなことをふと思って腹を立てるとは思うけど、
それよりもまず、恐ろしい放射能から逃げることの方が頭の中を大きく占めていて、まず体が動いてしまうと思います。

これまでの人生がそういう生き方だったし、気がつくと、ついそういう形で決断して、全く想像もしていなかった世界で生きている自分に、自分でびっくりしたことが何回かあるので。

だから、本当に人それぞれ。
わたしは、ただただ、人から得た情報を元に、自分の思うことを声にしているだけなので、その行動を無責任だと非難する人もいると思います。
けれども、どうしても、黙っていられないのです。
こんなことを誰も聞きたくないだろうに、と思いながら、記事を書いていることも何度もありました。

だから梅蔵ちゃん、
わたしはただただ、梅蔵ちゃんと梅蔵ちゃんの家族の方々の、安全と健康と未来のために祈ります。
まだ実際に会ったことも無い人だけど、わたしは梅蔵ちゃんのことが大好きで、大切に思っているからです。

梅蔵ちゃん、このコメントに書いてくれたこと、記事に載せてもいいですか?
梅蔵ちゃんが話してくれたことを、たくさんの人にも知ってもらいたいなあ、と思いました。
でも、プライベートなことだから、嫌なら載せない。

とにかく、梅蔵ちゃん、わたしのような役立たずに、いっぱい話してくれてありがとう。本当に本当にありがとう。
梅蔵ちゃんの毎日が、無事に続いていきますように。



まうみさんへ (梅蔵)

 
まうみさん、こんにちは。

一日半くらい、いろいろと考えていました。

ここの放射線量について、高いけど、生活すべてを捨てて逃げる程なのか、3月から考える毎日です。

結局。家族の中での危機感の差もあるのです。
夫は現状で問題ない、と考える人。
その夫を見限ってまで行動に移すことは、私には出来ないのです。

夫の反対のなか、母子だけで、九州の実家に引っ越した知人も居ます。
旦那さんの様子をみると、家族としての今後はどうなるのだろう。
10年後にこの家族はまだ家族で居られるのだろうか、と疑問をもちました。
我が家の夫もそのタイプ。

そして、子供の頃からの夢をかなえた夫の仕事を変えてまで、家族で逃げるというのか……。
それとも、ホットスポット以外の近くに越すのか……。

何も考えず、ここに住み続ける人も居ます。
考え抜いて、あらゆる対策をして、ここに住み続ける人も居ます。

私は、後者を選んで暮らしています。
同じ意思をもってここに住む友人たちと、知恵を分かち合いながら暮らしています。
学校や地域に、母親としての声を届けながら暮らしています。

子供たちの命を縮めて暮らしているのか、そうでないのか。正直、わからない。

けれど、今は出来ることをやり続け、影響を少しでも減らしながら暮らしてゆくことを選びました。

私の文章、どうぞお使いください。とっても感情的ですが……(恥)



梅蔵ちゃんへ (まうみ)

こんな話をしている時に、急に姿を消してしまっててごめんね。
どうしても、パソコンをつけるところまで回復しなくて、地団駄踏んでいたのでした。

梅蔵ちゃんが、いろんな思いの中から、少しずつ少しずつ吐き出してくれた言葉を、わたしはもう何回読んだだろうか……。
読んでは考え、また読んでは考え、わたしの思いと混ぜ合わせてみたり、分けてみたり。
もっと梅蔵ちゃんの身になって考えないと……と思いながら、ふと気がつくとまた、自分本位の思いが頭の中を駆け巡っていたりして、
いったいどうして、梅蔵ちゃん達が、こんな思いをして暮らしていかなければならないのか、
なんでこんなことになってしまったのか、
結局はそこに戻ってしまってムカついて仕方が無かったり……。

旦那さんとのこと、子供の健康への疑問、家族、夫婦の在り方、
そうだよね、結局は何を重点に置いて考えるかってことだよね。
そして、どこの時点を見て考えるかってことでもあるよね。
その、梅蔵ちゃんの知り合いで、旦那さんを残して避難した奥さんは多分、
今の暮らしの継続よりも、5年後10年後の、子供と自分の健康がマシかもしれない、という、これも単なる賭けに過ぎないかもしれないのだけれど、それを選んだんだと思う。

夫婦の在り方として疑問は残るけど、子供の健康にとって良いと思われるのは?という問題を話し合ってみて、
それで意見が真っ向から対立してしまった場合、どちらかが折れることになるんだけれど、
折れたことで、例えば数年後に、子供が運悪く、とても深刻な病に冒されてしまった場合、
その姿を見ながら看病する暮らしが始まった父親と母親は、そこできっと、お互いを、あるいは選んだ自分を責めることになる。
そんなふうになったらもう、健全な関係を保てるだろうか?
そんなことになるぐらいなら、今決断をして、それでもなんらかの病気になる可能性もあることを覚悟した上で、行動に出ようと思う人がいてもいいよね。

でもやっぱり、そんなことをうだうだと考えているだけのわたしの意見など、なんの参考にもならないと思う。
参考になんかして欲しくないし、うるさい!もう黙れ!って思ってもらってもいい。
こんなふうに梅蔵ちゃん達若いおかあさんおとうさんを悩ませている奴らは、のうのうといつも通りに暮らしている。
それがもう、どうにも腹が立って仕方が無い。
誰か、うんときつい罰を与えられる人はいないのかな、なんて、子供みたいなことを思ってしまう。

梅蔵ちゃん、許可してくれてありがとう。
これから、梅蔵ちゃんの話してくれたことをブログに載せます。
ありがとう。