goo blog サービス終了のお知らせ 

ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

死を迎えようとしている家族

2014年06月19日 | 家族とわたし
先週の土曜日。
サッカーのワールドカップで、日本の試合があった夜。
ロンドンから、松尾久美ちゃんが来てくれるというので、空港まで迎えに行った夜。

数日前から食がみるみる細っていた家猫ショーティに、少しでも食べてもらいたいと思った旦那が、
晩ご飯に使おうとしていたあさりの水煮の缶詰から、ちっちゃな身を一切れ、彼女にあげた。
珍しく、彼女はそれをパクパクと食べた。

それからしばらくして、突如、ショーティが吐き始めた。
1度、とても酷い下痢をした。
5回ほど吐いた。
もう迎えに行かなければならない時が来て、旦那とわたしが出かけた後も、吐き続けていた。
2度めの下痢は、次男くんが処理してくれた。

わたしたちが戻ってからも、もうドロリとした液体だけを吐き続けていた。
あさりに当たったのか……。
とにかく様子を見ることにした。

翌日、下痢と嘔吐は止まっていたけれど、一切何も口にしなくなった。
水を飲もうとしても、すぐに吐き気に襲われるのか、何も飲まずにへたりこんだ。
水分を消耗しているはずだし、それは多分、糖尿にとても悪い影響を与えるだろうから、とにかく水を与えようとあれこれ試したけれどもダメだった。

月曜日。
彼女の一挙一動が気になって、まともに眠れないままの夜が続いた。
朝、それでも眠ってしまって起きた瞬間、まだ生きてくれてるだろうかと、ビクビクしながら彼女のお腹の辺りを見つめる。

月曜日の夕方。
食べない、飲まない、おしっこも出ない。
この最悪の状態が、少しだけ改善した。
ひと口ふた口と、自分から飲み始めた。
おしっこが一回だけ出た。
歩こうとするけれども、数歩よろよろと歩いてはペタンと横になる。
細かく砕いたドライフードに白湯を混ぜ、スプーンで口元に運ぶと、初めてひと口だけ食べてくれた。
大喜びしたのも束の間、ふた口めを運ぶと、ウゥ~ッと、久しぶりの怒りの声。
でも、そんな声も、三日ぶりに聞けて超~嬉しかった。

火曜日の朝、いつも行っている動物病院の、けれどもいつもとは違う獣医に診てもらう。
彼女はショーティを見るなり、開口一番、
「安楽死させますか」と言った。
旦那もわたしも、その残された時間がどれだけ短くても、できるだけ苦しまずに、そして暮らしてきた家で最期を迎えさせたいと思っていたので、
その言葉には面食らってしまった。

状態はかなり深刻。
血糖値も、食中毒の後からずっとインシュリン注射をしていないので、生きているのが不思議というほどにまで上がってしまっている。
かといって、食べもしないのに、インシュリンを投与すると、こんどはそのショックで死に至ることも多分に予想できる。
我々はもう彼女の思うままに、思うというか、体の変化のままに従いながら、少しでも楽に、苦しみが減るようにできるだけの工夫をしながら寄り添っていくしかない。

水曜日のコンサートはだから、旦那はわたしのために断念して、ショーティを看護してくれた。

抱っこをすると、彼女の体に、死が刻々と近づいてきていることがよくわかる。
今朝は、彼女を抱っこして、いつも遊んでいた所を回りながら、昔話をした。
彼女は、1年半だけ大津で暮らし、それからはずっとアメリカの東海岸。
激動の移民暮らしを共に生きてくれた。
鳴き声が変わっていて、初めて聞いた人を必ず、混乱させたり笑わせたりした。
文句ったれで、寂しがりで、マイペースで、安いカリカリが好きで、刺身や高級ネコ缶が嫌いで、病気知らずで、
視神経に障害があるから、よく怪我をして帰ってきたショーティ。
わたしがスカイプで誰かと話してると、必ずまだぁ~と文句を言いにきたショーティ。
お気に入りの丸いツールを、パソコンをしてる時は机の横に、テレビを観ている時は我々の椅子の間に置くよう命令したショーティ。
まだまだ時間はあると思い込んでいたけれど、それはもう叶いそうにない願い事になってしまった。

最近になって、わたしたちが飲んでいるコップの水を飲みたがっては叱られていたショーティ。
なので今は、どこで寝ていても飲めるよう、水をたっぷり入れたコップを、部屋のあちこちに置いている。
そのお水を、時々思い出したように舐めては眠る。
そのくり返しをしながら生きる彼女の姿には、我々に有無を言わせないような、断固とした意志がにじみ出ている。
どんなふうに工夫しても、元固形物であった食べ物を口元に持っていくと、渾身の力を振り絞って威嚇する。

我が家の大切な家族ショーティが、死のうとしている。
どうしても書けないまま、日が経ってしまったけれど、少しずつこの状況にも慣れてくると思う。

ピアニスト『松尾久美』

2014年06月19日 | 音楽とわたし
木曜日の朝に、伴奏バイトの最後の大仕事であるコンサートが終わり、
これであとは、バイト代の請求を残すのみ♪と、ヘロヘロになりつつも浮かれていたら、
「いやあ、今年ほど響きの整ったコーラスはなかなかないよね。やっぱ録音しときたいかも♪」とダリル。
え……ということは……。
「月曜にさ、6曲録音っつうことで」
どど~ん……。


さて、先週の土曜日の夜から、うちに来てくださっている松尾久美さん。
彼女はイギリス在住の、それはそれはすばらしいピアニスト。
家猫が、丁度その、彼女が空港に到着した夜から、一気に体調を崩してしまい、それでいろいろと気持ちの波はあるものの、
わたしはもう、音楽の天国にいるような気分で、彼女の練習を台所で聞かせてもらっている。

彼女は、昨年のルイジアナ国際ピアノコンクールの優勝者。
どうして彼女が、うちなんかに滞在してくれることになったかというと、彼女が卒業した、英国王立音楽大学大学院で一緒に学んだ谷本綾香ちゃん(彼女もぶっとびで魅力的なすばらしいメゾソプラノ歌手)、そして彼女のご両親と我々家族はとっても親しい仲で、
そんなこんなでこのニュースを教えてくれたので、なにがなんでもうちで!と申し出たことがきっかけ。

『気品とパワーを併せ持った独特の演奏スタイルを持つクラシックピアニスト』という評価を得ている彼女のピアノの音を聞くのが、とぉっても楽しみだった。


東京都出身の彼女は、桐朋女子高等学校と桐朋学園大学を卒業した後、
ロンドンの英国王立音楽大学で、ジョン・ブレイクリー、アシュリー・ワス両氏に師事、
2010年に同大学のアーティストディプロマを、2012年に修士課程を修了しました。

また第75回日本音楽コンクール第2位、スペインの第22回フェロール国際ピアノコンクール第3位、セルビアの第6回イスィドル・バイッチメモリアルピアノコンクールで第1位を受賞しています。


なんていう、輝かしい履歴の持ち主なのだけれども、ピアノを弾いてない時の久美ちゃんはもう、超~ざっくばらんな女の子。
しゃべり始めるとついつい長くなってしまうので、ニワカマネージャーのわたしとしては、そのついついを自制しなければならない。
彼女はとっても素直で、カジュアルで、それでいて世の中で起こっている物事に対しては、きちんとした考え方を持っている。
ピアノを練習するにあたり、騒音になりはしないかとずいぶん気にするので、
「うちは、こんなわたしの練習でさえ、わざわざ外に出てきて聞いてくれるような人たちだから大丈夫」と言うと、
彼女が経験した、壮絶とも言える、ピアノの音にまつわるご近所との確執話をしてくれた。
どんなに防音の工夫を施してみても、しまいにはピアノを布団でグルグル巻きにしても、それでも解決に至らなかったその騒動はきっと、
彼女はもちろんのこと、同じくピアノを学ぶ妹さんたち、それからご両親の精神を、ことごとく苛めていったのだと思う。
在住しているイギリスでも、日本ほどではないにしろ、やはり音についてはゴチャゴチャ文句を言われたようなので、
せめてここに居る1週間だけでも、好きなように好きなだけ弾いてってもらおうと思う。
ピアノもきっと、心の奥深くから、快感を感じていることだろうし。


昨夜は、彼女が優勝したルイジアナ国際ピアノコンクールが主催する受賞者コンサートが、カーネギーのウェイルホールで行われた。
こちらには何の伝手も無い彼女。
ならばわたしがと、いろいろな所や人にメールなどでお知らせしておいたのだけども、
チケットの売れ具合を確認してみたら……えぇ~!!60席ぐらいしか売れてないし!!
えらいこっちゃとばかりに、二度目三度目のメールを送り、まだ送ってなかった人に送り、旦那にも応援を頼みして、
結局は、1階席がとりあえずほぼ埋まる、というところにまでこぎ着けた。
いやもう、なんでもええからまあ来て聞いてみんしゃい!!というわたしの言葉を信じて来てくれた人たちが、
「こんなすばらしいピアニストに出会えて、ほんっとに幸せだった。ありがとう!」と、満面の笑顔で言ってくれたのを見て、
これも久美ちゃんのおかげだと、わたしこそ感謝感激!

日本でもし、彼女が演奏するコンサートを見つけたら、ぜひぜひ聞きに行ってください!
絶対に幸せになれますから!

では最後に、彼女のフェイスブックに、今朝書き込んだコメントをそのまんま。

『みなそれぞれに個性のある、すばらしいピアニストでした。
ただ、先のふたりが弾いて、久美ちゃんがベートーヴェンのソナタを弾き終わった時、見ず知らずの聴衆同士が顔を見合わせて、同時にこう言ったのです。
「同じピアノだよね、あれ……」って。

それほど違った。それほど音の温かみと広がりと深さが違った。
ピアノ弾きの友人は、あんなベートーヴェンを初めて聞いた……と一言言って、後に言葉が続かなくて、苦笑いしてました。
ベートーヴェンが柔らかに微笑みながら、久美ちゃんの演奏に耳を傾けていたような気がしました。
ラベルの、本当は途方も無く難しいパッセージや表現が、久美ちゃんの指に、思うままに操られていると感じられるほどに、それはもう、どんなところも心地良く聞かせてもらえる天国のような時間を過ごすことができて、会場の聴衆は誰も彼も、本当に満足した顔で拍手を送っていました。

本当にありがとう!忘れられない夜になりました』