依然として交渉は中断したまんま。わたし達の弁護士は今頃どこかの島だか海だかで、優雅にバカンスしてるんやろなあ。
昨日はちょっと感傷的になったわたし。ここらへんで気分を変えるためにも、ちょっと小話をひとつ。
上の息子は工科大の4回生。
ここから遠く離れた(休み無しで車をぶっ飛ばしても7時間半かかる)ヴァージニア州に暮らしている。
彼が3才の夏、睾丸袋の後ろ側が痒いと訴えてから丸10年、彼は傷だらけ血だらけになりながらアトピーの痒さに耐え続けた。
5才になって母親の駆け落ちに付き合い、幼児の扱いが苦手な若者アメリカン義父に気を遣い、
極貧からなかなか抜け出せない親のもと、いっぱい我慢しながら大きくなった。
13才でいきなりアメリカに連れて来られ、
現地人やのに教えてくれない義父と、移民やから無理!と堂々と居直ってる実母に見切りをつけ、独り学校で学んだ彼。
大学生になって3年間、家の経済を思ってか安い寮で暮らしてたけど、
最後の1年だけはアパートに住まわせてくれへんかなあと、初めてのお願いがあった。
「彼には辛抱させっ放しやったから、アパートはともかく、彼の5才の時からの夢やったフェアレディも貸してやりたい」
ええぇ~マジィびっくりしつつもちょっぴり嬉しいわたし。
フェアレディは旦那パパからのお下がり。今年で20才の大御所。
初めてアメリカに遊びに行ったクリスマスイブに、下の息子が川崎病を発病し緊急入院した時、
5才やった上の息子を元気づけようと、旦那パパが彼を助手席に乗せて、160キロでぶっ飛ばしてくれたそうな。
その時以来、いつかフェアレディを運転するのが息子の夢になった。
それを覚えていた旦那。そして、ずっと我慢させてきたと思てたのはわたしだけじゃなかった。
それがなんだか嬉しかった。
そんなこんなで、サマーコースを取るために早めに大学に戻る息子に付いて、
荷物運びの手伝いがてら、旦那とわたしがもう1台の車で一緒に行くことになった。
なにしろ息子は免許取りたて1週間のホヤホヤ、大御所は20才のお年寄り、
休みも入れて9時間のドライブに耐えられるかどうか……、
3人ともそれぞれのやり方で隠しはしてたけど、かなり緊張しながらの道中、
その伝説的小話は生まれた……。
大御所をかなりの時間続けて運転したわたし。
エアコンなんざとっくの昔にぶっ壊れてるその車内の気温104°F、摂氏に直すと40℃、
熱中症手前でフラフラと、息子の運転するスバルの助手席に移った。
文明の利器エアコン、あ~いい気持ち
すっかり汗もひき、気分上々でデュランのCDを聞いてたら、
「しりかいて」
えっ……?しりかいてって……。
依然として前を向いたままの息子と、それを横目で盗み見するわたし。
わたしはその昔、トイレで用を済ませた息子のお尻を、かなり大きくなるまでいそいそと拭いてあげてた母親として有名だった。
「拭いてぇ~」と呼ぶ息子達のかわいい声が今も耳に残っている。
その様子を横で見ながら呆れてた旦那の耳にも残ってるらしい。
そういう過去があるだけに、21才になったとはいえ、「尻掻いて」と頼まれるのもしゃあないか……。
けどなあ、いくら産みの母ちゃんといえど、青年の尻を掻いてええのかどうか……。
まさかセクハラとか虐待とかにはならんべな……。
迷いは次から次へと怒濤の嵐のごとく押し寄せる。
でも、ちっちゃい頃から痒さで苦労してきたこの子の頼み、ええ~い、聞いたらいでかぁ~!
それでもやっぱり薄ら恥ずかしい母は、前を向いたまま、16才の乙女のごとくそろ~りそろりと息子の尻とシートの間に手を差し込んだ。
あ、それはそうとどこら辺が痒いんやろ?
え~い、ここら辺でど~じゃ。
決死の思いで人差し指から小指までの4本をクイッと曲げた(ピアノ弾きは指力が強い)途端、
「おわっ!なにする、このド変態っ!」
ハンドルを握りながらも10センチは飛び上がった息子。
ド変態?!
びっくりしたのはわたし。呆然として固まってると、いきなり息子が爆笑し始めた。
ひぃひぃ泣き笑いしながら息子がふり絞るようにこう言った。
「アホか、CD替えてって言うたんやがな~」「へ?」
「またひとつ、伝説が生まれたな」……親思いの息子がボソリとつぶやいた。
昨日はちょっと感傷的になったわたし。ここらへんで気分を変えるためにも、ちょっと小話をひとつ。
上の息子は工科大の4回生。
ここから遠く離れた(休み無しで車をぶっ飛ばしても7時間半かかる)ヴァージニア州に暮らしている。
彼が3才の夏、睾丸袋の後ろ側が痒いと訴えてから丸10年、彼は傷だらけ血だらけになりながらアトピーの痒さに耐え続けた。
5才になって母親の駆け落ちに付き合い、幼児の扱いが苦手な若者アメリカン義父に気を遣い、
極貧からなかなか抜け出せない親のもと、いっぱい我慢しながら大きくなった。
13才でいきなりアメリカに連れて来られ、
現地人やのに教えてくれない義父と、移民やから無理!と堂々と居直ってる実母に見切りをつけ、独り学校で学んだ彼。
大学生になって3年間、家の経済を思ってか安い寮で暮らしてたけど、
最後の1年だけはアパートに住まわせてくれへんかなあと、初めてのお願いがあった。
「彼には辛抱させっ放しやったから、アパートはともかく、彼の5才の時からの夢やったフェアレディも貸してやりたい」
ええぇ~マジィびっくりしつつもちょっぴり嬉しいわたし。
フェアレディは旦那パパからのお下がり。今年で20才の大御所。
初めてアメリカに遊びに行ったクリスマスイブに、下の息子が川崎病を発病し緊急入院した時、
5才やった上の息子を元気づけようと、旦那パパが彼を助手席に乗せて、160キロでぶっ飛ばしてくれたそうな。
その時以来、いつかフェアレディを運転するのが息子の夢になった。
それを覚えていた旦那。そして、ずっと我慢させてきたと思てたのはわたしだけじゃなかった。
それがなんだか嬉しかった。
そんなこんなで、サマーコースを取るために早めに大学に戻る息子に付いて、
荷物運びの手伝いがてら、旦那とわたしがもう1台の車で一緒に行くことになった。
なにしろ息子は免許取りたて1週間のホヤホヤ、大御所は20才のお年寄り、
休みも入れて9時間のドライブに耐えられるかどうか……、
3人ともそれぞれのやり方で隠しはしてたけど、かなり緊張しながらの道中、
その伝説的小話は生まれた……。
大御所をかなりの時間続けて運転したわたし。
エアコンなんざとっくの昔にぶっ壊れてるその車内の気温104°F、摂氏に直すと40℃、
熱中症手前でフラフラと、息子の運転するスバルの助手席に移った。
文明の利器エアコン、あ~いい気持ち
すっかり汗もひき、気分上々でデュランのCDを聞いてたら、
「しりかいて」
えっ……?しりかいてって……。
依然として前を向いたままの息子と、それを横目で盗み見するわたし。
わたしはその昔、トイレで用を済ませた息子のお尻を、かなり大きくなるまでいそいそと拭いてあげてた母親として有名だった。
「拭いてぇ~」と呼ぶ息子達のかわいい声が今も耳に残っている。
その様子を横で見ながら呆れてた旦那の耳にも残ってるらしい。
そういう過去があるだけに、21才になったとはいえ、「尻掻いて」と頼まれるのもしゃあないか……。
けどなあ、いくら産みの母ちゃんといえど、青年の尻を掻いてええのかどうか……。
まさかセクハラとか虐待とかにはならんべな……。
迷いは次から次へと怒濤の嵐のごとく押し寄せる。
でも、ちっちゃい頃から痒さで苦労してきたこの子の頼み、ええ~い、聞いたらいでかぁ~!
それでもやっぱり薄ら恥ずかしい母は、前を向いたまま、16才の乙女のごとくそろ~りそろりと息子の尻とシートの間に手を差し込んだ。
あ、それはそうとどこら辺が痒いんやろ?
え~い、ここら辺でど~じゃ。
決死の思いで人差し指から小指までの4本をクイッと曲げた(ピアノ弾きは指力が強い)途端、
「おわっ!なにする、このド変態っ!」
ハンドルを握りながらも10センチは飛び上がった息子。
ド変態?!
びっくりしたのはわたし。呆然として固まってると、いきなり息子が爆笑し始めた。
ひぃひぃ泣き笑いしながら息子がふり絞るようにこう言った。
「アホか、CD替えてって言うたんやがな~」「へ?」
「またひとつ、伝説が生まれたな」……親思いの息子がボソリとつぶやいた。