リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

衝撃の事実

2014-06-15 10:35:00 | オヤジの日記
誰が始めたのか知らないが、言葉を略すという現象がある。

大抵は、そのものや人に対しての親愛の情から略すことが多い。

たとえば、SMAPの木村拓哉さんを「キムタク」というように。

ただ、これは、どうかな? というのもある。
以前、大御所志村けんさんのことを「しむけん」と略している記事を見た。

「ら」しか抜いていない。

抜く意味があるのかと思った。

その他に、ハリウッドの大女優、アンジェリーナ・ジョリーさんが、映画「トゥーム・レイダー」でブレイクしはじめた頃、ネットの映画記事で「アンジョ」と略して表現しているのを見たことがある。

「アンジェ」ならまだわかるが、「アンジョ」はないだろう。

私の知る限り、そんな風に略して言った人を知らない。
普通は「アンジー」だ。

メチャクチャすぎて、笑うしかない(あるいは無知なのか)。


昨日、同業者6人と吉祥寺の居酒屋で、恒例の飲み会を開いた。

そのとき、隣のテーブルに座った男が、「カツアン! 俺の酒が飲めないのかよ!」と怒鳴っているのが聞こえた。

「カツアン」と「俺の酒が飲めないのか」という言葉に反応して、テーブルを見た。

目の据わった30代半ばの男が、隣の20代半ばに見える男に、酒を強要しているところだった。

平成を26年過ぎたいま、まさか「俺の酒が飲めないのか」というフレーズを聞くとは思わなかった。
昭和の高度経済成長期からタイムスリップしてきたのかと思った。

私は、忘年会や新年会、新入社員歓迎会などは、面倒くさいと思って、8割がた断ってきたので、幸いにも、そのフレーズを聞かされることがなかった。

もし、そんなことを言いそうなお方が会に潜入しそうな場合、防衛本能が働いて、断ってきたからだ。

体育会系の大学陸上部OB会でも、そんなことを言う人がいなかったから、私は幸運な人生を歩んできたと言っていい。


その居酒屋で、そう言われた若い人は、どう反応したかというと、「もう限界です。飲めません!」と抵抗していた。
それに対して、相手は「俺の酒が」と繰り返したが、他の3人の同僚が、「カツタは、ビール1杯が限度なんですよ。これ以上飲ませたらヤバいです」と懸命にかばったので、「チェッ! 『ゆとり世代』は、これだから、信用できねえんだよ」と舌打ちまじりに吠えた。

しかし、推察するに、30代半ばなら、おそらくあなたも「ゆとり世代」ではないか、と思った。

「ゆとり教育」は、小学校では1980年頃始まっているから、いま39歳くらいまでの人は、「ゆとり教育」世代ではないだろうか。

「ゆとり世代」が「ゆとり世代」を「『ゆとり世代』は、これだから、信用できねえんだよ」というのは、自分の首を絞めるようなものだと思うのだが、きっとご本人は気づいていないのだろう。


これは、余談だが、私は「ゆとり教育」が失敗だとは思っていない。

「ゆとり教育」に批判的な人は、おそらくOECD(経済協力開発機構)が実施した学力テストをもとに評価しているのだと思うが、日本が学力上位にいたときの参加国は30カ国程度だった。

しかし、いまは、60カ国以上に増えている。
参加国が増えれば、順位が下がるのは当然ではないだろうか。

ましてや、途上国は子どもの教育に力を入れることが多い。
そのとき、「1位」という冠が意味を持つ。
国家としてのモチベーションが上がるからだ。

しかし、先進国は、アメリカ、イギリス、フランスなど、トップテンには入っていない。
先進国で上位にいるのは、日本だけだ。

要するに、先進国には「1位」のモチベーションは必要ないという判断だろう。

その現象を、統計学を知らない頭の悪い政治家や評論家、間抜けなナショナリストが批判して、「ゆとり世代はダメだ」と決めつけることになった。

「教育論」を順位に結びつけるから、そんな間抜けな批判になる。
世界をグローバルなものとして、一つに捉えれば、「俺の国だけが」という発想にはならない。

中韓も「俺の国だけが」という意識が強烈すぎるが、アジアで日本だけは、それから脱するような教育があってしかるべきだと思う。


しかし、まあ、それは、どうでもいい。

私が気にするのは、「カツアン」という略称である。

「カツタ」というのが聞こえたから、「カツアン」の「カツ」は、「カツタ」なのだと思う。

では、「アン」は、何なのか、というのが気になった。

居酒屋で隣に居合わせた人のことなど、どうでもいいと思うのだが、「カツアン」のインパクトが強すぎたので、私はこだわった。


そこで、同業者との会話に身が入らないまま、隣のテーブルの会話を断片的にピックアップしていると、衝撃的な事実が分かった。

その人の名は、「カツタ・アン」と言うらしいのだ。

つまり、「タ」しか、略されていない。

そして、もっと衝撃的なのは、そのひとが女性だったことだ。

外見上は、スーツを着ていて、髪は短髪。
化粧もしていない。

「その種の人」かと思ったが、よく聞いてみると一人称は「私は」である。
「俺」ではない。

「その種の人」は、自分のアイデンティティを保つために、自分のことを「俺」「ボク」と呼ぶ場合が多い。
(私の知り合いに一人『オナベ』の方がいらっしゃるが、彼(?)は、自分のことを『ボク』と呼んでいる)
つまり、このひとは「その種の人」ではないのかもしれない、と推測した。


「カツアン」と呼ばれ、「俺の酒が飲めないのか」と言われた人は、女性だった。

それは、私にとって、とても衝撃的な事実だった。



世の中には、こんな風に、色々なことがある。


そして、こんなこともある。

ヤホーのトップ記事を見ていたときのことだ。

ジャイアンツの監督が、サッカー日本代表へエールを送った。
「初戦が大事。日の丸を背負う重みは違う。重圧はプレッシャーではなく、荒ぶるという形でね、力に変えてほしい。ショー・ザ・フラッグ(日の丸をみせろ)だよ」と語った。

私の乏しい知識では、ショー・ザ・フラッグというのは、「立場をハッキリしろよ(旗幟を鮮明にせよ)」という意味でとらえていたのだが、いまは違う解釈なのだろうか。


この解釈に関しては自信がないので、軽々しくは言えないのだが、この一言も、私にとって、ある意味「衝撃の事実」だった。


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