リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

歪んだ統治

2014-06-08 10:49:00 | オヤジの日記
得意先で、訳の分からない呪文を唱えられた。

仕事を出してくれた担当者が、「ライオンズの選手は、甘えているよ。監督の責任じゃないのに」と言ったのだ。

プロ野球に疎い私でも、ライオンズというのがプロ野球チームだということはわかる。
しかし、突然「選手は甘えているよ。監督が~」と言われても、意味不明だ。

私が苦手な会話の中に、プロ野球と高校野球の話題がある。

まったく興味がないのだ。

お得意様相手だから、話を合わせた方がいいのだろうとは思う。
だが、話を合わせるといっても、まったく知らないのだから、話の合わせようがない。

いい加減なことを言ったら失礼になると思ったので、ここ6年ほどの私は、「すみません。全然興味がないので、わかりません」と答えている。
それが功を奏して、最近は、その種の話題を振られなくなった。

本来なら、この担当者も野球の話を振ることはなかったが、よほど我慢できなかったのだろう、突然言い出した。

色々なご不満を私にぶちまけたが、私は、その話の5分の1も理解できなかった。
理解できなかったから、相づちを打つこともしなかった。

自分でも失礼な男だと思う。
しかし、わからないものは、わからない。
だから、「ごめんなさい」と言うしかなかった。

担当者は、私が頭を下げたものだから、我に返ったように「ああ、ごめん。Mさんは、知らないんですもんね。俺の方こそ、ごめんなさい」と頭を下げてくれた。

それを聞いて、私の中で、彼への好感度が上がった。

生まれが福岡で、物心ついた頃からのライオンズ・ファン。
親会社が変わって、埼玉に移ってきても、彼はライオンズを応援し、長男には「怜央(レオ)」と名付けるほどの筋金入りのファンだ。
つまり、愛すべき野球ファン。


そのことが気になったので、家に帰ってネットで「選手は甘えているよ」事件を調べてみた。

そこで、「伊原監督“休養”ナゼ? 前近代的な指導や規律にナインの心が離反」という記事を見つけた。
読んでみた。

ライオンズの今シーズンの成績が悪くて、それが監督の「前近代的」な指導、練習法によるものだ、という記事だった。
前近代的な方法とは何か、と言えば、選手に対して、長い裾のユニホームやひげ、茶髪を禁止、門限も午後10時に設定。野球以外の部分でも厳しい戒律を求めた、ということらしい。

メディアは嘘をつくのが当たり前だが、もしそれが本当なら、「前近代的」というより、「時代錯誤の勘違い」と言っていいのではないだろうか、と思った。

私は、ニューヨーク・ヤンキースが所属選手に対してヒゲを禁止していることに、苦笑を禁じ得ないのだが、これは、それよりも遥かに上をいく「拘束」ではないか。

聞くところによると、プロ野球の選手は「個人事業主」として、球団と契約しているという。

すべての野球選手が、個人事業主として契約するとき、「監督の命令は絶対だ、長い裾のユニホームやひげは禁止、門限は午後10時」という条項を受け入れてサインしているのだろうか。

それは、ありえない、と私は思うのだ。

プロは、プロとしてのパフォーマンス(能力)だけが求められる世界だと思っている。
契約社会のメジャーリーグでは、ヤンキースと契約するとき、「ヒゲ禁止」が盛り込まれているかもしれないが、日本では、どうなのだろう。
個々の契約の詳細はわからないし、プロ野球に「長い裾のユニホームとひげ」の選手がいるかいないかもわからないので、そこは保留にしておく。

お互い納得しての年俸契約を交わしたプロに必要なのは、個人成績とチームの優勝だと思う。
チームの勝ちに貢献して、そのチームが優勝すれば、それはプロとして最高の結果だろう。

個人事業主は、個人の能力を最大限に発揮した結果、チームが優勝することが命題で、それによって年俸が上がるものだと私は考えている。
そして、素人考えでは、チーム内での個人パフォーマンスが上がれば、勝ちがついてくるものだと単純に考える。

その現実的な事象に、「長い裾のユニホームやひげは禁止、門限は午後10時」は必要なのだろうか。

彼らは、子どもではないのだ。
高い年俸を得ている大人に、そんな「しばり」は必要なのか。

自称「常勝球団」という奢りを持ったニューヨーク・ヤンキースでさえ、いま「常勝」ではない。
あのチームに、「ヒゲ禁止」の効力は、どれほどあるのだろうか。

勝利に有効なのは、ユニフォームやヒゲや門限ではないだろう。
指揮官が、どれほど真剣にチームの現状に向き合い、「個人事業主」を気持ちよく働かせることができるか、が必要ではないのか。

保守的な指揮官は、過去の栄光だけにすがっている。

しかし、個人事業主にあるのは、今だけだ。
今の成績が、「明日の年俸」に繋がる。

それが理解できない指揮官は、無能だ。

ただ、「休養した監督」が、負けを認めて勇退したことは、潔いと思う。

私が見たネットでのコメント欄では、「選手も同罪」「ヒゲは必要なのか」「長いユニフォームは見苦しい」などという監督擁護の意見が目立った。

しかし、私は思うのだ。
個人事業主のプライドを最大限尊重して、試合を作るのが監督の仕事だということを。

休養した監督にあったのは、「自分の過去の流儀」だけ。

それだけでは、説得力がない。
それは、自己満足というものだ。

「現在」を見つめて、選手を尊敬しなければ、人の心は未来に向かわない。


保守的なライオンズ・ファン(あるいは、昔はよかった的な野球ファン)は、選手に対する尊敬を忘れているのではないか、と素人の私は考えた。

経験ある監督が示唆するルールは絶対である、という認識は「盲目的な従順」を前提にしたもので、それはチームの戦略とは関係ないものだ。

監督を擁護する人たちの気持ちは、私には全くわからない。
選手の尊厳を無視したチーム作りは、否定の感情だけが際立ったネガティブな「歪んだ統治」だ。

そんな「歪んだ統治」が蔓延している、と思ったのが、その記事の下の方にあったリンク記事だった。

ジャイアンツの監督が、自己の球団の投手が、打って一塁に走った際に、足に違和感を感じて降板したことに対して、「あの程度で足がつってもらったら、そりゃ困りますね」と、記者に向かって言った記事だ。

怪我をした投手を労ることもせずに、目の前のメディアに自分のチームの投手を批判することを言ったという。

しかし、そんなことは、本人に直接言えばすむことで、メディアに言うことではない。

監督は、選手を批判するのが仕事ではない。
選手をかばうのも仕事の一部だ。

かばうことで、選手は、落ち着いて仕事をすることができる。

しかし、これは私には呆れる出来事なのだが、ファンの多くは、メデイアに同調して監督同様、選手を批判するコメントが多かった。

本来なら、ファンも選手の怪我の状態を心配するものではないのか。

これでは、選手は、怪我を申告できなくなるではないか。
小さな怪我が、大事になることもある。
しかし、監督にそんなことを言われたら、我慢せざるを得なくなる。

我慢したら、怪我は悪化する。
悪循環だ。

監督や盲目的ファンは、選手の将来をどう思っているのだろう。

選手を使い捨ての駒だとおもっているのか。

選手の悪口を言う監督は、他の人が受け入れたとしても、私には受け入れられない。
チーム事情よりも、選手の状態を優先できない人は、結局は「自分本位」の人だと私は思っている。


後日、得意先の担当者に、そんなことを言ったら、「野球を知らない人に、言われたくないね」と完全に否定された。



そう言われたら、何も言い返せないのだが………。



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