東北大地震の被災者の数が増えている。そのなかにはもちろん子供たちもおり、医師たちの救援、そして処置を必要としている。
ロシア人小児科医のロシャリ氏は、ジャーナリストたちの間では世界的な小児科医として名高い存在だ。
ロシャリ氏は25年以上にわたって、災害戦争時の国際児童援助慈善委員会の委員長を務めている。ロシャリ氏には世界中の、あらゆる土地から災害に遭った子どもへの救援を乞う連絡が飛び込んでくる。
ロシャリ氏の編成したボランティア医師団は今までに20回以上も被災地、そして戦地へと駆けつけており、非常に稀有な経験を有している。
アルメニア、グルジア、サハリン、カリフォルニア、インド、アフガニスタン、エジプト、トルコの地震被災地でも、ロシャリ氏は被災者の窮状に耳を傾け、治療にあたり、後遺症から立ち直る手助けをしてきた。
ロシャリ氏の医師団は、1995年の阪神淡路大震災でも震災後の神戸の街に入り、子どもたちを助けてきた。
そんなロシャリ氏が繰り返して語る言葉がある。「子供たちは世界で一番素晴らしい人たちだ。子どもがどんな民族の出身であろうと、政治関係がどうであろうと、その両親がどんな宗教を信仰していようと、そんなことに関係なく私は治療を行う」
ロシャリ氏は自然災害の条件下では、人類の最も善良で最も弱い部分である子どもたちが、具体的な医師の助けを必要としていると信じて、次のように語っている。
「今の段階では負傷した子供たちがどこに何人いるのか分からない。私たちは地震の起きた当初に在露日本大使館に連絡し援助を申し出ている。
私たちは震災後の神戸でも活動を行ってきた。以来神戸には多くの友人や知り合いの医師がいて親交を温めている。
私たちは援助の申し出を日本大使館に送ったが、今のところ受け入れ要請は出ていない。ボランティア医師団には外傷医、神経外科医、蘇生術専門医たちが入り、いつでも出発が出来るよう準備が整っている。
つい最近、日本の国境なき医師団の山本医師とも話をしたが、山本さんは申し出に謝意を表し、情報が入り次第必ず電話連絡をくれることを約束してくれた」
ロシャリ氏は、このように発言している。
2003年、ロシャリ氏はモスクワ緊急小児外科外傷医学術調査研究所の所長を務めていた。
研究所では若い小児科医ろの(※放送で女性アナウンサーが「小児科医ろの」と言ってるが、恐らく正しくは「小児科医らの」)卵たちに対して、常に子どもを相手にメスを持つときは、たとえそれが小さな傷でも後で醜い大きな傷跡になり、その子の人生をゆがめてしまう恐れがあることをどうか忘れないでと繰り返してきた。
そして自身も、恐ろしい災害が子供の心に与える傷を少しでも減らすよう最大の努力をされている。
3月16日放送 ロシアの声・ラジオジャーナル
ロシア人小児科医のロシャリ氏は、ジャーナリストたちの間では世界的な小児科医として名高い存在だ。
ロシャリ氏は25年以上にわたって、災害戦争時の国際児童援助慈善委員会の委員長を務めている。ロシャリ氏には世界中の、あらゆる土地から災害に遭った子どもへの救援を乞う連絡が飛び込んでくる。
ロシャリ氏の編成したボランティア医師団は今までに20回以上も被災地、そして戦地へと駆けつけており、非常に稀有な経験を有している。
アルメニア、グルジア、サハリン、カリフォルニア、インド、アフガニスタン、エジプト、トルコの地震被災地でも、ロシャリ氏は被災者の窮状に耳を傾け、治療にあたり、後遺症から立ち直る手助けをしてきた。
ロシャリ氏の医師団は、1995年の阪神淡路大震災でも震災後の神戸の街に入り、子どもたちを助けてきた。
そんなロシャリ氏が繰り返して語る言葉がある。「子供たちは世界で一番素晴らしい人たちだ。子どもがどんな民族の出身であろうと、政治関係がどうであろうと、その両親がどんな宗教を信仰していようと、そんなことに関係なく私は治療を行う」
ロシャリ氏は自然災害の条件下では、人類の最も善良で最も弱い部分である子どもたちが、具体的な医師の助けを必要としていると信じて、次のように語っている。
「今の段階では負傷した子供たちがどこに何人いるのか分からない。私たちは地震の起きた当初に在露日本大使館に連絡し援助を申し出ている。
私たちは震災後の神戸でも活動を行ってきた。以来神戸には多くの友人や知り合いの医師がいて親交を温めている。
私たちは援助の申し出を日本大使館に送ったが、今のところ受け入れ要請は出ていない。ボランティア医師団には外傷医、神経外科医、蘇生術専門医たちが入り、いつでも出発が出来るよう準備が整っている。
つい最近、日本の国境なき医師団の山本医師とも話をしたが、山本さんは申し出に謝意を表し、情報が入り次第必ず電話連絡をくれることを約束してくれた」
ロシャリ氏は、このように発言している。
2003年、ロシャリ氏はモスクワ緊急小児外科外傷医学術調査研究所の所長を務めていた。
研究所では若い小児科医ろの(※放送で女性アナウンサーが「小児科医ろの」と言ってるが、恐らく正しくは「小児科医らの」)卵たちに対して、常に子どもを相手にメスを持つときは、たとえそれが小さな傷でも後で醜い大きな傷跡になり、その子の人生をゆがめてしまう恐れがあることをどうか忘れないでと繰り返してきた。
そして自身も、恐ろしい災害が子供の心に与える傷を少しでも減らすよう最大の努力をされている。
心理学者がみた阪神大震災―心のケアとボランティア | |
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3月16日放送 ロシアの声・ラジオジャーナル