インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

1万円の誘惑③~アルファポリス・ファンタジー大賞~

2009-09-30 22:56:33 | 映画や小説、テレビなど
  月末は恒例のアルファポリスの小説大賞の投票であるが、今回はファンタジー部門である(エントリー多すぎ)。これまで当てたためしがないが、独断と偏見で、今回も投票してみよう。

  ファンタジーなんて中年男の読みものではないが(?)、世界を何とでも創り上げられるから案外面白いのかも知れぬ。

  やはり主人公は能力がなければならないが、スタート時点からMAXはナンセンスである。主人公には使命があり、求道者でなければならない(と思う)。考えてみれば、野球やサッカーなどのスポコンものや、ミュージシャンやビジネスマンのサクセスストーリーも、このラインに沿っているわけである。

 そして困難が強敵が次々と現れ、修行やらセレンティビティ(気づき、悟り?)とかで克服し、苦しみながら成長しながらクリアしていく、まさに人生である。

 求道者には与えられた道など存在しない。なぜなら求道者は新たな道の創造者であり、破壊者であるからだ。支配者の生活を破壊するのである。まさに官僚の既得権を奪う民主党は、今のファンタジー世界の主人公である(何の使命があり、何を求めているのか知らないが)。

 かくして、ファンタジー小説は読者も一緒になって求道する「物語世界」であると見た。それはハラハラするゲームであるかもしれない。

 さて、アルファポリスのエントリーを見るに…、一緒になって求道したい世界が見当たらない。魔法やら剣やらが多い。文章が上手くて?ボリュームがあり、ゲームっぽいのが、12位のARCADIA (Wiz Craft)で、これは創意工夫されている。ラヴ・クラフトから拝借したペンネームか? まずこれに一票。

 最終日なのに連載中が多い。「王子もの」は勘弁してもらいたい(を思い出す)。

 フルーブレイブとか洗練されたHPで面白そうだが、文章がケータイ小説のような気もする。

 88位にある神の棲む島(ZAKI)…。雛姫が訪れたのは瀬戸内に浮かぶ離島「巫部島」――。これは何かしら我が白馬の小説を髣髴させ、スピリチュアルな内容で良いではないか。瀬戸内の島ではあまりロマンがないが、気に入ったので一票入れよう。

 最後は…、トップに戻って、2位の傾きのバイブル−パスタム教会広報部署(鈴谷)に一票。 「私の名前って、何だったっけ?」で物語の展開が見えてきた。私の「使命」は私が誰かを知ることで、ただでは知れないから、「求道」しながら難敵と戦うことになるのだ(ろう)。

 自分は一体誰なのだ。多くの先人が、本当の自分を探しながら修行を続けたわけであるが、それはハイアーセルフの自分を知ることであったかもしれないし、ただ脳下垂体などのホルモンを活性化させたり、脳内麻薬物質(ドーパミンなど)を分泌させることであったかもしれない。

 脳内麻薬物質を分泌させる求道者を主人公にしたファンタジーを、誰か書いてください(釈迦やら僧侶のストーリだったりして)

 体外の麻薬に耽る求道者の物語なら沢山あります(レイ・チャールズはヘロインしながら音楽を) 

音楽の麻薬効果

2009-09-28 21:53:06 | インディオ文明と麻薬
  例のジャンベは田舎に置いてあり、夜な夜な親父が叩いているようだ(さすがインディオの親だ)。隣家が遠いから、苦情も来ないし、田舎に戻ったときにオリンパスのボイスレコーダーに録音して聴いているが、実演で聴く音と、録音の音が全然違うのである。

  5万円ぐらいするボイスレコーダーならもっと音質が良いかもしれないが(?)、やはりデジタル録音の限界か? 如何に高価なメカで録音しようと、楽器の生演奏をそのまま再現できないのだろう。

  特にジャンベのような管楽器のごとき?長い筒で、音が流れ出る場合、麻薬のように(?)頭がぼーっとする催眠作用があり、これが再現難しいだろう。もし、出来れば麻薬効果が期待され、馬鹿売れするような気もするのだが。

 そういえばパイプオルガンのCDを結構持っていて、臨場感はあるのだが、実際に教会で聴くのとは差があるのだろう。

 大勢で空気が熱くなっているところに(大衆心理が働く)、聖書のスピリチュアルな説法を聴き、祈りを捧げ、凄まじいオルガン演奏を聴かされれば、信者になってもおかしくない(ならないほうがおかしい)。再び、麻薬効果を得るために教会へ行くのである。

 最近、(脳内)麻薬の本に惹かれていて、クンダリーニ昇華とか、座禅の悟りとか、『アミターバ』の無量光明とか、ヘロインを超えた、凄い脳内麻薬が分泌された結果ではないかと、考えはじめた。

 例のホロトロピックの代表、天外伺朗氏もそう本で語っています(偶然ゲット!)

 
理想的な死に方―「あの世」の科学が死・生・魂の概念を変えた!
天外 伺朗
徳間書店

自殺志願なタイトルです

  
 感想はまた今度(近いうちに)

いつの間にか89円台…

2009-09-27 12:35:53 | 経済
 帰省とかで、しばらく更新していなかったが、為替レートが1ドル89.54-89.60円と高騰しているようだ(26日5時時点)

 アメリカ経済との相対だから、どこまで円高が進むのか分からない。もう少し待てば85円ぐらいになり、輸入品が安く買えるかもしれないが…

 レギュラーガソリンは129円だった…(一番必要なものなのに)

 輸出企業だけでなく、漁師や運送業者も悲鳴を上げている。それでも値段を魚や運送料に転嫁できまい。競争が厳しいから。都会だけでなく田舎もそうか。

 わが田舎では若者などあまり見かけない。たまたま出会うとな目で見られる(田舎の習性だわい)。博打的に戻って、「個性的な家を建てます」の広告を打っている方もおられるようだが、地震か台風などの災害でもない限り、難しいだろう(案外獲れたり)。

 もはや田舎は自給自足の場で、商売をする場ではなくなっている。これまでは不況でも公共事業で凌いでいたのだが、財政悪化、さらに民主党政権誕生。未曾有の不況の中、ダム建設などがストップし、土建会社も悲鳴を上げている。

 そうなると、多くの労働者がヤス給料で悲鳴を上げるから、栄養あるまともな食事にありつけまい。かえって、栗やら柿やらリンゴやらとって食べている農民の方が幸せなのではないかと栗ご飯を食べながら考え…、

 いや、ただ己が貧乏なだけではないか、と考えるのであった。

 円高の恩恵でも考えてみるか(浮かばん)
 

モラトリアム制度はどうか?

2009-09-19 13:51:40 | 経済
 新政権がさっそく揉めているようだ。カメイ静香が金融・郵政担当大臣になって暴れているようだ(?)。我らが選挙区の代議士です(特定郵便局の守護神です)

  亀井vs藤井、内紛ぼっ発 徳政令にダメ出し(ZAKZAK)から抜粋するに、

 モラトリアム制度は、金融機関に対し、中小企業向け貸し出しや個人向け住宅ローンの返済猶予を促すもの。金利分さえ支払えば、元本返済を3年程度猶予する。

 亀井氏は記者会見で、モラトリアム制度創設の法案を10月の臨時国会に提出する考えを表明。「金融機関が(貸し渋りなどをして)社会的使命を果たしていない。だから国が出ていかざるを得ない」と制度導入の正当性を強調した。

 これに対して、藤井氏が「そんな(制度を導入するという)話になったら政府全体の問題になる。確かに昭和初期に(この制度を)やっているが、そういう状況なのか」と疑問を呈した。この藤井発言を受け、それまで売られていた銀行株が買い戻されていった…

 
 モラトリアムを調べると、「天災、恐慌などの際に起こる金融の混乱を抑えるため、手形の決済、預金の払い戻しなどを一時的に猶予すること。日本では関東大震災後(1923年、震災手形を参照)と昭和金融恐慌(1927年)の際のモラトリアムが知られる」とある。今は一時的なパニックだから、とりあえず3年間(猶予期間)は経済環境が収まるまで生き長らえてもらおう、ということか。

 大地震が起こったわけではないが、リーマンショックが酷かったから、その直後なら説得力があった(?)。

 いや、民間の間(銀行⇔企業)でも、モラトリアムに似たようなことは沢山やっているので、今さら国が介入して末期癌状態の会社を沢山生き長らえさせても、意味がないのではないか? 

 むしろ銀行がなかなか潰さないので、「潰さないとモラトリアムにするぞ!(元本を回収なしだぞ)」と迫っているようにも思われる。逆に倒産が増えるのか。

 景気回復に民主党の政策で目新しいものはない。モラトリアム制度導入で、まずはとにかく毛細血管の、マネーの流れを良くしようというのだろう(ただの延命措置。これで民間の設備投資や雇用が増え、GDPが増えるわけがない)。

 モラトリアム制度に従い、カメイさんの言う「社会的使命」で、回収できない相手に貸し出す銀行があれば、その銀行は潰れるから、銀行を潰さない制度も同時に必要である。それは日銀のマネーを垂れ流しすることだから、銀行の国有化という話になる。

 しかしそれは税金でやることだから、増税は避けられないわけで、消費税を上げないなら、大金持ちからカネを奪ってこなければならない(しかし資本主義・自由主義の世でそんなことは出来ない)。増税しなければ、財政赤字だけ膨張していく。

 そんな国に、外国のハゲタカが大切なマネーを預けるわけはないから、資本を引き上げていく。株価が大暴落し、円安になるのである。

 製造業は円安はいいかもしれない。しかしガソリンがℓ200円ぐらいになるし、消費者は困る。1ドル150円ぐらいになるとアメリカからクレームが来るだろう。すると、既に25%CO2削減やら難題だらけの鳩山政権が…。

 モラトリアム制度の法案が10月の臨時国会に提出されれば、鳩山政権爆発の導火線に火がついたようなものだろう(もっとも、民主党内から反対ですぐに消されるが)。

 大臣の独断より、国会議員の数が優先されます(国民新党は3人です)

 結局、カメイさんのパフォーマンスなのですね(成立させたいのは郵政保護の法案だけです)

 

『ワイルド・ソウル』(下) ~地球の裏にある精神~

2009-09-17 23:00:37 | 映画や小説、テレビなど
 これも『破裂』と同じく、勉強小説で、南米(コロンビアやブラジル)へ旅行したりする人は読むべきか。

ワイルド・ソウル〈下〉 (幻冬舎文庫)
垣根 涼介
幻冬舎

アマゾンでアマゾンの本(熱帯雨林です)



 上巻は固有名詞が多すぎて読みにくかったが(内容は濃かった)、下巻から没頭させてくれる(何か文章が違うような…)。マスコミやら、警視庁やら、内部まで踏み込んでいる。Nシステムやらニンジャプレート、段取り良く指紋を消したり写真を変えたり、犯罪予備軍が読んでいそうです(しないで下さい)。

 実際、元厚生次官殺の小泉毅容疑者〔絶望者の増加〕はこの小説を読んでいると思われる。そういう読み方をするヒトもいるから仕方ない。
 もともとアメリカでは映画を観て犯罪をまねする人が多いはず。ノンフィクションや小説を読んで「実際にやってみよう」とおもってもおかしくない(紙一重)。

 主要登場人物は、アマゾン移住者の衛藤。
 コロンビアでマフィアのボスの養子として育った松尾。
 ブラジルで青果商の富豪(衛藤)の養子として育ったケイ。
 そしてマスコミのディレクター、陽子。

 松尾とケイは、アマゾン移民の子供で、復讐に燃えている。それが物語。
(現地大学出のエリートで組織の日本支部を任された)松尾に対し、ブラジルに溶け込み商売を継ぐケイ。

 (最後の死に掛ける瞬間で)
 命とは、生き方を指している。松尾の在り方そのものを指している。
あいつはおれよりもはるかに馬鹿だ。頭も悪い。教養もない。おまけにやることなすこと間抜けときた。だが、一番大事なことは、その感覚で掴んでいる。肌で知っている。
 あいつは、おれよりも利口だ――。


 まさにそうで、勉強関係なしで、賢い人を見かける。頭が良い=悪賢い?という部分もあるかもしれない。だがラテン系で(江戸っ子で?)おおらかで、本も読まず(?)、感覚・本能だけで世の中を渡ってきた人間。アウトローではあるが魅力があるので自然と人間が集まってくる。

 なるほど、日本の教育やらシステムではなかなか育たない豪傑が、ブラジル辺りではゴロゴロいるのかもしれない(危ない人間もゴロゴロ…)。

 読書の際、これはと思った箇所に付箋を貼りながら読んでいるが、上巻の前半に多かった。

 アマゾン移民の衛藤がラッキーを掴むとき(レバノン人のハサン)。
 「飢餓寸前なのに物盗りになる度胸もない。かといって乞食にまで落ちぶれるには、ちっぽけなプライドが許さない……中国人とも韓国人とも違う。馬鹿正直に生きるだけが取り得の黄色人種だ」

(衛藤が助けられ)
「だがその相手は俺じゃない」
「それでいいんだ」平然とハサンは返した。「俺はその相手から受けた恩をお前に返す。お前も、この俺から受けた借りをいつかは誰かに返す。そういうふうにして世界はつながっていく」

(※ハサンは15年前ブラジルで飢えていたとき救われた)

  見栄っ張りで小心者の日本人に対し、おおらかなブラジリアン。そこら辺にいる日系ブラジル人もそうなのだろうか。

 何かマナウスへ行ってみたくなった(これを見ました ゆめぽろearth

 お金が足りないので戻ってこれませんね(本物のインディオになりますか)

『ワイルド・ソウル』(上) ~アマゾン移住者~

2009-09-15 21:56:22 | 映画や小説、テレビなど
 テレビが視聴率を気にするように、ブログはアクセス数を気にする。昨日は閲覧数:492PV 訪問者数:143IPで、昼ごろ猛烈にクリックされたようだ(面白かったですかねぇ)

 さて、先週からずっと読んでいるのが大藪・吉川文学・推協賞の三冠を受賞した『ワイルド・ソウル』であるが、なかなか面白い(今下巻突入)。

 
ワイルド・ソウル〈上〉 (幻冬舎文庫)
垣根 涼介
幻冬舎

詳しく


 二段並べのハードカバーより、文庫本の方が読みやすいようだ(特に下巻からスラスラ読める)。犯罪系のハードボイルドで、徹底的な調査でリアルに描いており、桐野夏生を髣髴させる(過去のトラウマやら偽造パスポートや麻薬が出てきて『ダーク』っぽい)。

 南米の都市やら風俗、麻薬、銃や車などについて詳しく、日系ブラジル人のシンパであるように思われる。

  戦後、まだ日本が貧しかった頃、日本で移民政策があり、あまり世間に知られていないが、外務省に騙されて酷い目にあった人々が4万人以上(ブラジル)いたようだ。ドミニカへの移住政策では、訴訟すら起こっている⇒ドミニカ移民の悲劇救済に感じること(依存症の独り言)

  まさか日本が凄まじい高度成長期を迎えるとは思っていない時期で、「狭い日本で豊かになるにはアマゾンへでも行くしかない!」と思った人々も多かったのだろう(国が素晴らしいと宣伝していたし)。

  日本は生温い環境だから(北海道等を除く)、アフリカや南米が如何に恐ろしいか想像力を働かすしかない(ウイルスを甘く見ていたら…)。著者も、アマゾンの中では、ヒト一人の命など明らかに軽いと繰り返す。

 中には特殊な人もいるが(『ジャングルに乾杯』)。実際、プラス思考に生きた人もいるかもしれない。インディオに混じって踊り、麻薬でもやって精霊世界に生きたとか…(同じモンゴロイドだからすぐに仲間になれそうな)。だが、現実はマラリアや毒蛇でそれどころではないか??

 そもそも、アマゾンの開拓など農地に適していないので、現地人は始めからやらない。それを…。作者も現実を視たり、資料を調べたりするうちに、怒りがこみ上げて来たものと思われる(それがモチーベーション)。

 おれたちは棄てられた民だ。そもそもこのアマゾンへの移民事業自体が、戦後の食糧難時代に端を発した口減らし政策だったのだ。国と外務省が推し進めた棄民プロジェクトだったのだと。
 このペテン師、人殺し野郎――。


  気づいた時は、戻る金もなく、送金を頼んでも仲介業者が使い込み(ゲートウエイ21と全く同じ!)、ただ路頭に迷うしかないわけだ。

 …ろくに現地調査も行わないまま、現地政府といい加減な取り決めを交わし、蜜の誘い文句で移民者達を未開の地に放り込んだ後は、知らぬぞんぜぬを決め込む。

 いったい中南米全体でどれほどの人間が路頭に迷い、虚しく土くれと帰していったのか。めまいを通り越して吐き気さえ覚えた。


  国家やら政府を信じてはろくな事にならないのであろう(戦前も、戦後も)。この世は、人間のアタマ、理性の力を越えたところにあるのではないか。

  アマゾン移住者の謙虚さが必要ですアマゾンに夢を託してより

  「(アマゾンでの迷子)…この時、私が入植時味わった恐怖感を一瞬で体験し、出れなかったらどうしよう、死んでしまうのではないかと生まれて初めて死を考えるのです。しかも日本では怖い物が何も無かった青少年がどうする事も出来ず、自分の力の弱さ、小ささを知り、偉大な自然の前では手も足も出ない、動く事さえ出来ぬ弱い人間だと学ぶのです。大声で泣き叫び恥も外見も無く助けを求め約30分、私と別れた所に戻り、座り込み顔の表情が変わって来ます。何とか生きようと決意するのです…」

ボロブドゥール寺院遺跡群

2009-09-13 19:22:36 | 映画や小説、テレビなど
  かつて、マヤ文明などに拘っていたが、今は何事にも執着しないように心がけている。ふうっと意識を緩めたときに、これまで気づかなかった情報が、次々と飛び込んでくるものである(たぶん)。

 テレビでも全然興味のないものでも観ている。この間の、バチカン市国~神に捧げられた国~以来であるが、仏教遺跡のボロブドゥールがやっていた。インドネシアのジャワ島の密林にある遺跡である。

  テレビ内容をそのまま叩くに、8世紀末の不思議な建造物で、世界でも異例の形をしているようだ。一体何のために建造された? 悟りの場所? 王の墓?  遺跡の形が何で? と疑問だらけである。

 詳しくはこちらのサイトをご覧下さい ボロブドゥール①ボロブドゥール②

  こちらは実際に行かれた方のブログです  ボロブドゥール遺跡(その1)(勝手ながら…私の記録)

 九層からなる大ピラミッドで、何かしらマヤの遺跡を髣髴させる。そのピラミッドは階層ごとにに、場面=絵が描かれてあり、釈迦の誕生から仏教のストーリーであるようだ。回廊を時計回りに歩いて流れを追い、上の階へ行くようだ。

 基壇の内側に、もう一つの基壇があり(隠れた基壇)、欲望にとらわれた人間達の姿、まさに我々文明人がそこにいるのかもしれない。

 穴の開いたベル?が沢山あるようだ。ストゥーパ(釈迦の骨を収める場所)と呼ばれる塔が並んでいる。塔の中には仏像があり、ひし形の窓=不安。正方形の窓は安定を意味するらしい。

 なお、このボロブドゥールなる仏教の聖地は、ムラピ山(2968メートル)の大噴火で忘れ去られたが、1973年、ユネスコが修復に乗り出し1983年に完成、1991年世界遺産に登録された。

 インドネシアでは、仏教が伝わるはるか昔、祖先に祈りを捧げていたようで、これが混じっているようだ。西ジャワ州にある幻の遺跡、グヌン・パダン遺跡。丘に五層に渡り石が積まれていたようである(インドネシアの巨石文化・参照)。山に祖先の霊が宿るとされる。

 古の信仰+仏教=ボロブドゥールであるようだ。この仏教は、同時期の(3キロ離れた)ムンドゥット寺院に起源があるようだ。

 ここでは幻想の祭り、ワイサック(年に一度、釈迦を讃える祭り)がある。聖なる泉で特別な「水」を集める。「火」は進みだす道しるべで、天然ガスが噴出す岩場からとる。世界中から1万2千人もの仏教徒が集まり、読経やら、火を先頭に僧侶が行列をつくる。 

 聖なる水(蓮も)も運ばれる。夜、満月の下、釈迦を讃える祭りはクライマックスを迎える。仏教徒は、祈りながら遺跡の周りを廻るのだ。壮大に火が燃える。多くの蝋燭が並んでいる。お経を歌う。そして、蛍のように行灯を飛ばすのである。人々の思いを乗せ、火が昇天する。

 この間の、バチカンにあるミケランジェロやベルニーニの作品も立派だが、ムンドゥット寺院内部に安置された仏像(3メートルも)凄そうだ。制作者は不明だが、まさに神に捧げられた芸術作品である。ただ場所が場所であるし(熱帯の僻地)、『天使と悪魔』のように取り上げる作家もいないから(?)、

  知る人ぞ知る遺跡だわい(インドネシア=イスラム教のイメージが)

  仏教徒なら、一度行ってみるべきです(あっ、あなたは仏教徒ではないのですか)

『ワールド・トレード・センター』で考える

2009-09-11 23:07:43 | 映画や小説、テレビなど
  昨日は閲覧数:470PV 訪問者数:208IPで、午前7時に多かったようだ。また200越えをしたので、今日も書かなくてはならない。そういえば、今日は『ワールド・トレード・センター』なる映画がやっていた(『ワイルド・ソウル』を読んでいたが放棄して観入ってしまった。

 8年前の9月11日、今のようにテレビを観ていなかったし、ネットにも接続していなかったし、情報が少なかったせいか、あまり関心がなかった。資本主義社会のエリートが自爆テロによって大勢殺されたので、恐ろしいことだとは思った。冷めていたのか、鈍かったのか。やはり対岸の火事なのだろう。

 『ワールド・トレード・センター』で救出に行った警察官が、逆に巻き込まれて救助されるわけであるが、状況から考えて無謀であるが、「救出に存在意義がある」わけで行かざるを得なかったのか。

 そもそも人間の力で何でも出来るわけではないが、出来るかもしれないからやってみよう(それが仕事だからやらざるを得ない)ということで、悲劇は次々に起こるのか。溺れた人を助けようとして飛び込み、一緒に死んでしまう。また、岐阜県防災ヘリ墜落、3人死亡というのも、救助しようと思って、逆に巻き添えになるという典型例だ。

 鳥インフルエンザとか、医師や看護師でも、その可能性は大いにあるし、倒産しかけた会社に手を差し伸べて、それが原因で倒産することもあるし、「連帯保証人」がまさにそれである。お人好しは地獄に引きずり込まれることになるのだろう。
 
  助けてください(お金が一銭もないのです)

  貸してもいいけれど…(こっちも金がないから。来月の支払いが)

  絶対に返します(助けて、助けて)

   ※来月返って来ないと役が逆転します(マンダラ思考させられます)

  助けてください(踏み倒されて、お金がないのです)

   …

   倒れた兵士を助けようとして、その兵士もやられ、それを助けようと…

   かくして死体の数は増えていく。

   今の日本経済がそうなのだろうか?

   それでも神様は助ける人の味方をするのだろうか?
  
    お人好しから滅びていく?

    自分だけが幸せになってよいか?      
 

アメリカの医療保険制度改革

2009-09-10 22:09:21 | 考えるインディオ
  gooブログの編集表示が変っており、「ブログの開設から 878 日 閲覧数:372PV 訪問者数:163IP 順位: 8884/…」と表示が増えていた。満遍なく色々閲覧されているようだ。最近、病気や医療に凝っているので?、やはりオバマ大統領の医療改革問題について、何か書かねばならないか。

 インディオは2年ぐらい病院へ行ったことがない(風邪物語で行った以来)。できるだけビタミンの多そうな実家の野菜を食べ(ピーマンとか)、変なものは口にしないようにしている。

 病気というのも毎日の食事の積み重ねだから、結局自己責任なのかもしれない。
ただ、既になってしまって医療が必要な貧しい人々を、見殺しにするわけにも行くまい。

 オバマ大統領は、16年前クリントンが目指した医療保険制度改革(公的保険)を導入しようとしているが反対にあっているようだ。支持率が68%から50数%に急落しているという。

 反対派によると、①財政難になり、増税が懸念される、②自由の国が、社会主義の国になる、というわけである。さすが市民が銃を持つ国。銃で自殺しようが、檻に入ろうが、病気で死のうが、自由というわけで、「長生きしたければ、頑張って努力して稼ぎ、私的な保険に入れ」というのだろう。

 しかし、現状はあまりにも酷いようで、だいぶ前だが、まろはマイケルムーアの映画『シッコ』なるものを観てそうおもった。超映画評論『シッコ』96点(100点満点中)から引用するに、

 …しかもそうした悲劇は低所得層に多い「無保険者」に降りかかっているのではなく、「民間保険に入っていた(=高額な掛け金を払っていた)のに、土壇場で保険会社に難癖をつけられ支払いを拒否された人」のそれである。このショッキングな序盤で観客は、問題点は「保険制度を営利企業に任せる」という、発想そのものである事を理解する。

 映画では、アメリカの保険屋は、私的利益を追求した悪徳商人のようである。それでヨーロッパとか公的保険のあるイギリスやフランス(税金は高いが)へ飛んで、「いいなあ」と感動し、最後にはカネのない病人とキューバへ飛び、経済後進国?の島国でさえ、人道的な医療システムを持っていて、「アメリカは何ていびつな国なのだ!」と訴えている?映画だった(…ような)。

 確かにアメリカという国家を引っ張っているのは「自由」であると思う。自由な競争を追求しているから、マラソンのように個人差が大きく開くのは当然で、トップ集団に破格の報酬を与え、国家を引っ張ってもらうわけである。もちろん、後ろを振り返れば、おびただしい数の脱落者が存在するわけで、いちいち振り向いて面倒を見ていてはトップ集団が走れなくなるだろう。

 しかし、社会が不安になってしまえば、トップランナーとて後ろから撃ち殺されるかもしれないし(?)、9.11のようなテロの温床になるかもしれない(?)。絶望者は何をしでかすか分からない(『ジョンQ』がそうだったような…)。惨状を軽減するために、導入すべきである。

 ただ日本でも公的医療費の増大が恐ろしいことになっているし、アメリカでも財政が破裂する心配がある。何せ、人口は日本の倍いるわけだ(負担も倍?)。中国なんて社会主義国家のくせに、医療費は自腹(しかも前払い!)なわけで、自己責任にするしかないと割り切っているのである。厳しいけれども、それしか手がないのかもしれない。

 アメリカは国がでかすぎるし、人種がたくさんいて、国としてのまとまりが、とれるのか?という疑問があるが…、

 プロテスタントの国なのだから、公的保険をやるべきだわい(イエス・キリストは、貧しき者に手を差し伸べます)

 中国の無保険の惨状も凄そうです 中国:公的医療保険のお寒い現状 (地球大に考える)

『破裂』② ~超高齢化社会と安楽死~

2009-09-09 21:40:22 | 映画や小説、テレビなど
 昨日は閲覧数 : 378 PV 訪問者数 : 198 IPでやけに多く、「ゴマブックス倒産」検索で流れて来られた方が16人おられたようだ。ようやく『破裂』も読み終え、「超高齢化社会へ突入する日本」(4人に1人が65歳以上)について危機感を持った(超高齢化社会における高齢者医療費抑制策について)。

 国家予算の半分が医療費の水準になるわけだから、ただごとではない。実際、小説でも佐久間なる厚労省の官僚が、この現実を何とかせねばと動いている(とんでもない解決策)。日本に寝たきりの老人が多いのは、脳の血管は弱いからすぐに脳梗塞や脳出血で寝たきりになるが、心臓が強いので長生きする(欧米は逆)として、佐久間は優秀な心臓研究医に愚痴る。

「…医者は世間知らずのバカばっかりだ。循環器の医者は心臓を治すことしか考えとらん。脳の血管が詰まろうが、腎臓が弱って透析が必要になろうが、おかまいなしだ。自分たちが寝たきり老人を増やし、日本の社会全体を危機に陥れていることなど、気づきもしない」

 それで、その佐久間なる厚労官僚(かなりの予算をコントロールできる)は、ぴんぴんポックリ(PPP)なる政策によって、日本国家を救おうと燃えているわけである。日本を安楽死先進国にしたいのである。

 この小説の底流には、医学に対する懐疑や矛盾がある。全体として捉える立場の官僚、佐久間は「医療の奢りに我慢がならなかった」とある。

 医療は命を救うことを至上の価値として、すべてにそれを優先してきた。自らを正義と信じ、権威を振りかざし、他の議論を圧殺してきた。なぜ医療はそんなに威張るのか。

 そして現場の葛藤は、江崎という麻酔医の視点から述べられている。医療の立場と患者の立場は全然違うわけで、患者は自分の命がすべてである。しかし医者の手術は人間のやることであるし、医学の進歩のために積極的に挑戦もしなければならない。あまり細かく追及されれば、誰も手術などしなくなり、医学生が産婦人科を敬遠するのもそうか。

 病院に頼るのも、車に乗るのと同じで、事故が必ず起こるわけである。しかし客観的に因果関係が証明できないし、立場上、証言者も現れないから、裁判沙汰になることはあまりないわけである。

 さて、医療裁判で患者の味方をし、感謝され褒められた江崎医師(彼の母は痴呆)は告白する。

「だから僕は患者思いでもなんでもない。ただ、できる範囲のことをやっているだけなんです。母だってほったらかしでいいんです。手厚い介護なんて幻想だ。医療もほとんどまやかしです。目の前の苦しみをごまかしているだけなんだ。どんなにあがいたって、困難はなくなりやしない。苦しみも悲しみも、そのまま受け入れるしかないんです」

 結局は、人間の理性の力では、老いや病気、死を克服できない。戦後、国家が哲学(宗教?)なしで、科学万能主義にかたより突っ走ったそのツケが、超高齢化社会として目の前に存在しているのではないか。

 経済が復活して医療費が徴収できれば、という問題でもないような気がする。カネがあっても、健康なものを食べていなければ病気になるわけで、国がタバコを配り、ジャンクフードどころか、ビールや焼酎の宣伝はじゃんじゃん流してもOKだが、大麻は持っていただけでもOUT。また、老人とか病人とか、金を払って一箇所に押し込めるシステムでは、子供などにとって非日常的な存在となっているし,社会に「哲学的な判断」が欠けているのかもしれない。
 
 死を扱う哲学世界は、信憑性も怪しいし、狂気も混じっているが…、

 まともな思想(綺麗事)だけでは、本格的に超高齢化社会に入ると、どうにも対応しきれなくなるのでは、と思うのであった。

『破裂』① ~患者必読~

2009-09-08 21:07:50 | 映画や小説、テレビなど
 昨日は閲覧数 : 294 PV 訪問者数 : 168 IPで、やはり深夜に多く見られているようだ。さて、このブログは読書好きが閲覧しているようなので(?)、読んだ本は詳しくUPしたい。

 今回は『破裂』。長すぎてまだ読み終わらないが、タイトルからして意味深長である。この間、『アミターバ』で、「がん患者→ 病院で苦しむ→ 光に包まれる」ようなテーマであったが、今回は病院の医療システム自体がテーマになっている。「医療ミス」だけでなく、「高齢化社会の医療のあり方」である。

破裂 ~医者は三人殺して初めて一人前になる。
久坂部 羊
幻冬舎

アタマに自信のある方はどうぞ(勉強本です)


  久坂部羊という作家は、医者であり、特殊な医療現場について細かく書いている。本書に出てくる「阪都大学医学部附属病院」(大阪大学のこと)の実態をそのまま書いているような感じもした。医者でも心臓外科>内科>麻酔と序列があり、さらに看護師の間でも色々あるようで、派閥闘争に「医療ミスの裁判」が絡んで、現場の問題が浮き彫りになっている。

 病院内だからモデルはゴロゴロいるわけで、そのまま当てはめている部分も多いかもしれないが(?)、官僚や弁護士はモデルは想像か?(やけに詳しい。リアル過ぎる)。とにかく多視点の小説で、医者をベースに、看護師になり、ジャーナリストになり、官僚になり、弁護士になり…、なかなか難しい小説である。

 この間の『ダーク』よりやや薄いが、密度は3倍あり、専門的な概念を学びながら読み進むことになる。VIA、ペプタイド療法、インテグリン、サブトラクション画像など、深読みすると、なかなか読み進まない(アタマが破裂)。レベルの高い読者だけを対象にしているのか。

 ただ、これは関西の医療関係者にはバカ受けすることは間違いない。たぶん、作者は御堂筋ラインに住んでいて(阿倍野が有力、安治川界隈かも)、できるだけ事実に忠実に書こうとしたのだろう。やはり医者は、科学者であり、研究者だ。客観的な内容を重んじて、ロジックやらストーリーを計算している。かといって文才もあり、自然な流れで、余計な文章がない。

 この本、病院対策にはもってこいです(患者は無力ですから)

 入院先のベッドの枕元に『破裂』を置いておきます(大阪大学医学部附属病院なら完璧です)

 医師や看護師は大いに警戒し(先生、悪魔の本がありますよ…)

 ミスがないか検査や手術に細心の注意を払うだろう(因縁をつけられないため)

 お見舞いに一冊持って行きましょう(お守りです。『アミターバ』も)

ゴマブックス倒産 ~新刊を増やしても…

2009-09-07 20:24:00 | 映画や小説、テレビなど
 毎夜、死神のように大型倒産速報(帝国データバンク)をチェックしているが、そのデスノートにゴマブックスが載っていた(負債がデカイぞ!)

  ゴマブックス民事再生法の適用を申請(毎日新聞)などから、

ゴマブックス(東京都港区)が7日、東京地裁へ民事再生法の適用を申請した。負債額は約38億2000万円。

 同社は88年に設立、ビジネス書から絵本まで取り扱い分野は広く、『ちびギャラ』シリーズ(累計150万部)、ビジネス書『なぜ、エグゼクティブはゴルフをするのか?』は30万部を突破。児童書「レインボーマジック」シリーズや累計330万部のケータイ小説「赤い糸」シリーズなどのベストセラーを生み出し、09年1月期には年売上高32億3200万円を計上した。

 しかし、国内景気の悪化やベストセラー不足、返本率の上昇などで業績が悪化。新刊の出版点数を増やしたものの、販売が激減し債務超過に転落していた。


 …とある。自己啓発や成功本を相当出版しているから(160冊!アフォメーションカードまで)、成功要素を抱えているはずなのだが…。

 本を書いたり出版するだけではダメだということですね(絵に書いた餅で終わりました)

  ネット情報やブックオフが氾濫している時代に(しかも世界同時不況)、従来のビジネスモデルが成り立たなくなった、ということか。

 物体としての本の流れは、

   出版社→ 取次→ 書店→ 消費者

  …であり、お金の流れはその逆である。

 本がお金になって戻って来なかったら、バランスが崩れるので、「新刊の出版点数を増やす」わけである(物体を流す)。 

 このことは新刊発行点数がなぜ多いのか(INTEC JAPAN/BLOG)に詳しく載っている。

  …さて、本が売れない場合、本は書店から取次に返品されます。5000冊印刷して、仮に2500冊返品されたとすると、出版社は、既に受け取っている本の代金から2500冊分の代金を取次に返還しなければならなくなるのです。これが、本を取次に納品してから、3~6ヶ月ごとにめぐってくることになります。
 しかし、出版業界は不振であり、一度受け取った代金の半分を取次に返還することが苦しい出版社もあります。そういうとき、どうするかというと、出版社は取次に返品分のお金を渡す前に新しい本Bを製作して取次に納品するのです。そうすると、その代金が出版社に入りますから、その代金でAの返品分のお金を支払うのです。出版業界が不振で、本が売れていないにもかかわらず新刊書の出版点数が急増しているのは、こういう事情がウラにあるからと考えられます…。

  つまり、新刊をどんどん出す出版社はわけである。

  景気が良さそうに見えますが(儲かっているような)

  見かけと実態は全然違うということですね(恐ろしい業界です)

富をかたよらせる通販市場

2009-09-06 18:23:46 | 自己主張
 夏が終わっても、未だに暑く(連日34℃超!)、だるさが残る。 台風もないし、これなら遅米は良く育つだろう。

 さて、最近アクセスを気にしているが、ほかに判断材料がないので仕方がない。

 コメンテーターは二人います(応援クリックも)

 昨日は閲覧数 : 292 PV 訪問者数 : 157 IPで元に戻っている。gooは日曜日で週計され、1035 IP(それでも8089 位…)。

  1日1000人訪問のブログがゴロゴロあるということか。多分それでもアフィリエイトとかではほとんど収入はないはずで、万単位ともなると、どうなのか?
 
  同じgooブログで、池田信夫blogがあり経済学者による難しい?理屈が書かれてあるが、1日22690 IPもある。 注目すべきはサイドバーのアフィリエイト欄で、ずらりとアマゾンの本が並べられてある。案外、売れているかもしれない。

  すると、その分、書店や小売店で売れなくなるわけであるが、そんなことはブログ主の知ったことではない。

  そもそも店舗を構えているわけでも、店員を雇っているわけでもないから、売れようが売れまいが、どうでもいいのかもしれんわい(有料gooブログは毎月290円引かれます)

  下心はあると思いますよ(閲覧者の傾向にそったアフィリエイトです)

  何せ、通販市場8兆円の時代で、大勢が自宅で買い物をしているわけである。

  これではイオンなどの大型店舗とかでも、「新型インフルで客足が減っても、まとめ買いをしてくれるのでは…」と期待は出来ない。自宅買い物にますます拍車がかかるのかもしれない。

  高速無料化になって、宅配業者が効率良く安く運ぶようになると、商業経済が全然活性化しないのではないのか?

  不動産業者、建設業者、店員、広告代理店など色んな人々が集まって、商業施設が成り立つ。なのに、それを飛ばして、

   メーカー → ネット宣伝者→ 運送業者、カード会社→ 消費者

   …とういう流れがあるから、大勢にカネが廻らず、不況が長いこと続いているのである(一つの原因)。

  しかもリーマンショック以来、マネーの流れが最悪の状態になっているし、超円高で海外の安い商品は入り、自国産業は厳しい立場にあるわけである。

  メーカーすらヤバくなれば、もうこれは、公共事業でもたくさんやって仕事を作るしかない(しかしカネがない)。
   
 それなのに、民主党にはとりわけ経済成長戦略はなく(?)、国民生活重視戦略で、①子育て支援で年30万(中学卒業するまで)を与えて消費力をつけさせ、②高速道路を無料化してさらなる効率化とか実行するわけで、

 そんなので国民経済(特に商店街)は活性化するのだろうか、 

 あと半年もすれば日本国はとんでもない状況に陥っているのではないか、と思うのであった。
   

『アミターバ』 玄侑 宗久 ~無量光明~

2009-09-05 21:37:15 | 映画や小説、テレビなど
 昨日は閲覧数 : 374 PV 訪問者数 : 181 IPで、まだ高止まりしているようだ。 昨日書いた「技芸とパワー」が全然足りないブログだが、だからこそ、どこからか、それを引っ張ってくる必要があるだろう。

 『破裂』と『アミターバ』を同時に読んで、やっと後者を読み終えた(前者はあたまが『破裂』…)。これぞ神に捧げられた本…、というより「死を恐れるすべての人に捧げる」と横帯に書かれてある。「臨死体験記録や宗教体験から紡ぎだされた究極の物語」とある。

アミターバ―無量光明
玄侑 宗久
新潮社

詳細


 玄侑 宗久(げんゆうそうきゅう)なる作家は、禅宗(臨在宗)の僧侶で、芥川賞作家である。
 義母の死の体験が核となっているようだ。舞台は主に病院。主人公は末期がん患者の「私」(お母さん)。仏教は勿論、物理学やらキリスト教やら色々詰められてある。タイトルのアミターバとは、無量の光、阿弥陀さんのことであるようだ。

 カスタネダとかサネヤ・ロウマンでも光とか、光る球体とか出てきたが、この本はもろにそれが出てきて、

 味わいある、技芸ある文章で巧みに述べられています(これこそ文芸です)

 細い光の筋が無数に並び、そのそれぞれがまた無数に枝分かれしていた。どこまで行っても光が弱まらないせいか、私は距離感を失っていた。はっきりと見えるのは、数十センチの厚みの光の帯で、それは陽を受けて煌く海原とも思えた。しかしよく見ていると何だか私は宙に浮かんだその中に入っていくようでもあり、初めは何も見えなかった空間もやがて微細な光の粒子に満たされていくようだった。私が光に近づいていくようでもあり、その逆のようでもあった。いずれにしても光は私の体を、間違いなく貫通していた。というより、私には体がないのだった。見える限りの空間に光の粒子が溢れていた…。

 死に際の「私」は、夢の出来事と過去の現実がゴチャゴチャになり、時間の流れも直線的でなくなり、光を感じるようになるのである。先立った配偶者が、あたかもキリストのように、天使のように、光から現れてくる。そして最後には飛行機から大地を見下ろすように、高いところから現実の人間世界を淡々と捉えていくようになるのである(死んでいる)。なお、「死ぬことは楽しみになるような」説法を、「私」の娘の旦那である僧侶(著者の分身)がしたりしている。

 まさにインディアンが草木から霊を感じ取るように、死者はエネルギーを注ぎ、樹木の葉をざわざわと揺れさせる。そして死んだ私は、あたかも太陽となり「発光する私の光が、それらの植物の茎にも葉にも根元にも入っていくのだった。…私は観音竹の喜びを自分の内側の振動のように感じていた」

 ただ、インディオの祖母が癌で死んだ時(90歳)、ただただひたすら苦しんでいたので、小説のように光を感じていたのかどうか、全く疑問である。自分が死に掛けた時、この『アミターバ』を再読して、安らかに逝こうと思う(甘いか)。

 もっとよく知るためにはこれが良いかも知れませんね(CD付です)

 
CDブック・無量光明(アミターバ)の世界-わたしたちの魂はどこへ行くのか[CD-ROM付]
玄侑 宗久
徳間書店

詳細


 そういえば、この新書も持っています(執着心がない生活です)

 たくさん紹介していますね(でも味気なくて売れないような)

 
禅的生活 (ちくま新書)
玄侑 宗久
筑摩書房

詳細

技芸か、パワーか

2009-09-04 21:07:04 | 映画や小説、テレビなど
 昨日は閲覧数 : 350 PV 訪問者数 : 226 IPで、空前絶後の訪問者があった (過去最多の179人を大幅更新!)

 ヤノマミ NHKで14人?の訪問があり、ラビバトラもちらほら、中には「大麻 水講栽培 グロウ」でやって来られた方もいるようだ(ヤノマミの放送でもあったのか)

 別にメチャクチャ面白い記事を書いているわけでもないし、役に立つ記事を書いているわけでもない。個性的ではあるかもしれないが、大したことはないかもしれない。たまたまアクセスが集中しただけなのかもしれない。

 ここらでアクセスを維持するために、あっとの内容を書かねばならないが…、全くの準備不足だわい(どんどん逃げられます)

 最近、映画をみる代わりに読書をしているが、やはり良い本は「芸がある」と思う。実際に目の前にたくさんの読者がいることを想定して、いかに技術やら工夫やらオリジナリティを発揮するか…、が練られてある。プロなのである。

 考えてみれば、映画にしても、踊りにしても、サッカーにしても、観ている人は細かい所までみているのである。

 ど素人でも、あの踊りは「面白くないなあ」とか、あの映画は「つまらないなあ」と、直感で分かるわけで、技芸だけが先走っても、何かしら圧倒されない。パワーがないのかもしれない。

 Bachのパイプオルガンとかパッサカリアとかフーガとか技法があるのだろうが、テクニックだけではなくパワーも感じる。なぜだろうか?

 それはたぶん、「神に捧げられた音楽」だからだと思う。

  アフリカやアマゾンの奥地とか、技術的には?な踊りだが、神に捧げられているがために、下手だなと思いながらも惹き付けられる何かがあるのだと思う。

 それで東南アジアとかの踊りを観ると、洗練された手の動きとか、技芸と共に宗教的なパワーもあるわけで、プロの領域を超えている(神の領域?)。

 小説とかもそういうものがあればいいのだが…、

  聖書やコーランがそうかも知れません(愛読者が億単位です)