インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

水が出ない!

2013-08-31 17:01:36 | 実用書
  買い物から帰ってきた雅太が、イチジクを一つ食べようと蛇口をひねったところ、水が出なかった。どうしたことか。雅太の脳裏に「断水のお知らせ」の緑色の紙切れが過った。料金の滞納か。いや、確か二か月分まとめて払ったのではなかったか。日誌を調べると、確かに二か月分の水道料金の領収証が貼り付けてある。コンビニエンスストアのスタンプの日付は8月27日とある。ということは、手続きの行き違いか。

 雅太は怒りの指先で尾道市の水道局に連絡しようとしたが、一向に繋がらない。一体どうしたことか。水がなければ生活できるものか。責任はアパートの管理会社にあると、そっちに電話してみる。すると、「○○にお住みですよね。その辺一帯は、どうやら断水しているようです……」と長ったらしい説明が始まった。どうやら雅太だけではないようだ。アパートの管理会社(仲介業者)事態も困っているようで、水道局に電話をしたがやはりつながらなかったようだ。皆困っているから宣伝カーでも走らせるべきだと、その若い男性はまくしたてていた。

 水が出ない。雅太のアパートには2ℓのミネラルウオーターが2つぐらいあり、車にも2個あった、だが、茶碗を洗ったり、手を洗ったりするのに使用するにはもったいなさすぎる。とりあえず、時間がたてば復旧するのではないかと、雅太はミネラルウオーターで蜜柑とイチジクを洗い、食べながら、『花の回廊』345ページを捲った。宮本輝の『流転の海』、第五部である。確か、零落れた熊悟も大阪のビルで水道がない生活をしていたようで、それでも近所から水を借りたり、如雨露などで体を洗ったりしていたようだ。尾道のこの界隈の人々は、果たして今晩、風呂に入られるのか、と雅太は考えたりする。飲食店も並んでいるが、水が出なくて商売になるのか。水商売ができないとなると、一体損害賠償は、水道局に請求できるのか。

 台風15号が接近しているようだが、まだ被害にあっていないのにパニックになってどうするのだと雅太は思いつつ、何か自分だけが悲惨でないと知った時、気が楽になったような気がしたのであった。

『天の夜曲』から『放浪記』へ

2013-08-24 15:24:26 | 身の回り
  昨夜から、雅太にとっての救いの雨が降り始めた。夏風邪に熱中症が併発するかと思われるほど弱っていたが、雨によって室温が3度以上下がり、今現在30度である。雅太にとって快適な温度かもしれぬ。さっき雅太が大型スーパー(フジグラン)へ入ってみると、あまりの寒さに車から長袖をひっぱり出して、タオルを首に巻いて買い物をした。パセリ、トマト、生カツオのたたき、栄養のありそうなものを物色していたのだが、カートを引っ張り、冷蔵庫のような店内を歩いているうちに具合が悪くなってきた。本屋によって、『花の回廊』(流転の海 第5部)を買おうと思っていたが、さっさと抜け出してしまったのである。今夜も熊悟に浸っていては、夏風邪がまだ長引くともよぎった。

 もし、部屋が涼しくなければ雅太はブログを書いていないだろうと思った。もちろん、書きたいことは頭のごみ箱の中でごった返しているのだが。『天の夜曲』を読み終え、宮本輝は相当賢く育てられていることが分かった。小さい頃から他人が「タバコといえばマッチ、マッチといえば灰皿」と教え込まれ、さらに「自尊心よりももっと大切なものを持って生きなければなならない」と説かれていたわけである。ほぼ野放しで育てられた雅太とはえらい違いである。所々、古代メキシコの呪術師を髣髴させられる部分も見受けられた。上海で知り合った漢方医は、「憎悪や怒りの心が、人間の様々な病気の原因だ」といい、「彼は病人に漢方薬を調合する際、必ずその人間の生い立ちを訊いた。それも時間をかけて少しずつ幼いころからの思い出話を語らせた」とある。雅太が印象に残ったのは、「ロシア人墓地」の話、「金がないのは、命がないのもおんなじじゃのお」と熊悟が資金繰りに苦しむところか。「運」についてとか、雅太は生命力旺盛な時にやはり運気も旺盛になるのかと考えさせられる。風邪から復活すれば、運気が上昇するのか。

 本棚から雅太は、林芙美子の『放浪記』を取り出し、何故これがかつてベストセラーになったのか、吟味している所である。時代が時代であるが、芙美子が東京で暮らしていたのは「二畳で5円である」。他人の不幸は蜜の味なのか、何となく貫太(西村賢太)の世界に近いような気もするが、こっちは親孝行であり、人情に溢れている。スチルネルの『自我経』を古本屋に1円で売ったようだが、何か凄そうなものを読んでいたようだ。カスタネダの『呪師に成る』を5,000円で売るようなものなのか。当時の金銭感覚が分からないのは、宮本輝の小説もそうであった。文学的な才能はあるのだけれども、それに加えて波乱万丈な自分の人生を下敷きにしているのが、何となく雅太が最近読んでいる本の傾向なのであった。

偶然書く。

2013-08-22 21:58:21 | 身の回り
 雅太は今、33度の部屋でキーボードを叩いている。今日はブログを書く予定ではなかったが、パソコンの電源が点滅していた(スリープ)から、ついでに何でもよいから、あいうえお、はひふへほ、と言葉を並べようと思ったのであった。もちろん、雅太は夏風邪から脱出しているわけがなく、今も咳がとめどなく出て苦しい。元来、風邪薬を飲まない性質であるからだ。6年前に、苦しくて抗生物質を飲んだ記憶があるが、余程のことがない限り、病院は行かないであろうし、薬は飲まない。風邪は、身体の毒を出すための試練のようなものであるから、汗をかき、ぐっすり眠るまでだ。ただ、これから雅太は宮本輝の第四部『天の夜曲』を読み始めており、これが睡眠を妨害している気もした。熊悟はどうなるのか。その息子、伸仁(モデルは作者か)いかに成長するのか。深い人生観が織り込まれており、作者の人格的な力が、読者を中毒にするのであろう。
 雅太のキーボードを叩きながら汗が噴き出くる様相は、雨に濡れた服を脱ぐように言われる小学生の状態であった。雅太は自分で自分を養うしかない故にさすがに仕事に出かけたが、何とか切り抜けた。結局風邪というのも精神的なものかもしれぬ。雅太にとって、一番きついのは午前6時で31度が最低室温の、この部屋にいることかもしれぬ。汗が冷えてきたので、雅太はそろそろ着替えようとブログをアップしたのであった。いや、その前にスイカを……。

夏風邪、読書

2013-08-21 19:29:08 | 身の回り
  雅太は焼け付く喉の痛みで、風邪を予感し、それが的中した。一昨日のことである。カボチャやサツマイモの煮付けを食べて、薄めたポカリスエットを飲んだりして、連日仕事を休んだ。冷房は体に悪く、35度前後ある部屋で、読書をしながら過ごした。むろん、雅太は読みかけのスーパー長編小説にはまっていたのである。宮本輝の『地の星』を読破し、『血脈の火』も大方読み終えた。松坂熊悟なる大きな器の、気風の良い主人公に引き付けられたのであろう。貫多とも、雅太とも、えらい違いのあるスケールの大きな人物であると思われた。

 雅太はいかに自分自身の器が小さいのか思い知らされた。カネに細かく、スーパーで半額を買うところ辺から、何かしら人生の指針が間違っているわけである。それに人づき合いとかも良い方ではなく、誘われても断るし、自分から誘うことはめったにない。そういえば、今年に入って食事を誰かにおごってやったことがあったか? 小説を読みながら、やはり気前が良くなければ人間は成功しないものだと、雅太は思い知らされるのであった。

 

盆が終わる

2013-08-17 19:33:22 | 身の回り
  雅太は、今日こそブログを書こうとPCを立ち上げた。 雅太にとって、盆休みなど真面になかったが、一応、日曜と金曜に田舎へ戻った。昨日は温泉に寄って実家で一泊し、0時過ぎまで『流転の海』(宮本輝)にはまっていた。読破して寝たが、このシリーズは第二部、三部、四部と続いているようで、 雅太はさっそく朝食を食べながら第二部の『地の星』を読み始めた。さらに、昼から、埃まみれの隣の部屋にある雅太の過去の遺物が詰まった段ボールを発掘し始めた。これは古代メキシコの呪術における「反復」をもっと押し進めるためであり、ガムテープを開けるたびに、「おお、懐かしい本だ、ノートだ、ファイルだ」と、しばらく愕然とするのであった。全国を転々とし、 雅太の人生そのものが謎に満ちているように思えたが、裏を返せば、飽きやすくて放り出しやすいということであろう。 雅太のノートは最初の数ページしか書かれていないものが多く、ルーズリーフに変えたのも当然であろう。膨大な知識やら理論を頭に詰め込んだわけであるが、 雅太の記憶には思い出すためのよすががなく、本や紙をペラペラめくれば、理論や知識はともかく、当時何をしていてどんな気持ちだったのかが恐ろしいほど甦ってきた。
 尾道のアパートに引っ越して、 雅太はある意味、人生の安定期を迎えていたような気がした。それはいつまで続くか分からぬが、引っ越しや仕事の変化で生活のリズムをころころ変えたりしない意味で、今のことに気を奪われず、人生を振り返ることが出来るということなのだろう。もし、今が見知らぬ地で新しいことの連続であれば、「反復」するどころではないだろう。
 そう考えながら、 雅太が温度計を見ると、35.7℃であり、実家の地下水で薄めたアクエリアスをがぶ飲みした。再びサウナ温泉に入ってアパートに戻ったわけだが、そこでは低温?サウナが展開されていたのであった。

猛暑に苦しむ。

2013-08-13 19:56:15 | 身の回り
 湯上りの雅太は喉の渇きから、水で薄めたアクエリアスをがぶ飲みした。全身から汗が吹き出し、また着替えなければと、温度計に目をやる。32度。風呂の間中、冷房を激しくかけていたのだが、元々38度あったわけで、これでも下がった方なのか。雅太は喘ぎながら、冷房を切って、温度計をじっと見やる。魚を狙う海鳥のように。温度計の数字がリバウンドした。0.4度も上がってしまった。

 雅太はサウナ状態っからだっすつするために、再び冷房のボタンを押さねばならなかったが、カネもかかるし健康にも悪いので、躊躇していた。こんな時に冷蔵庫にスイカが一切れでもあったら。八つ墓村とでもいえる実家に墓参りした雅太は、実家の方でブドウを食べ、スイカの味をしばらく忘れていた。やはり猛暑でないと雅太はスイカを渇望するわけでもなく、今日はまさにスイカが必要不可欠であり、しかしながら冷蔵庫にはトマトが一個あるだけであった。

 そうだ、トマトでしのごう。雅太が温度計に目をやると、33度になっていた。

『獄門島』を読み返しながら…

2013-08-03 21:13:09 | 身の回り
 雅太は寝る前に、何か書き込もうとパソコンを立ち上げた。サウナの後で眠気に襲われている雅太だったが、今、この瞬間を逃せば、いつブログを書くか予想もつかぬ。とりあえず、今、横溝正史『獄門島』を読み返していたので、それについて言及しておくべきか。これは日本のミステリィ史上一番面白いと喧伝された小説で、 雅太も学生時代、寮のベッドの上で読んだ記憶がある。戦後間もない瀬戸内海の孤島を舞台にした、意外性のある推理小説で、確かに横溝の中では上位にランクするだろう。ただ横溝シリーズを8割方?読破した雅太であるが、ベストは『悪魔が来りて…』のように思われたが、ミステリー大賞にでも出そうかなぁ、と目論む雅太は、参考資料として、当時とは全く違った読み方をしていたわけである。もちろん、犯人は分かっているし、犯人が誰かを探るミステリィにもあまり興味はない。

 ただこの小説は、金田一耕助という探偵の視点を中心として、孤島やら田舎やらの独特な世界観・人間関係を見つめているわけであって、その意味では「文学」であろう。読者に「謎」という餌をばらまき、最後まで読書させるわけである。謎さえあれば別に殺人事件でなくともよいような気もするが、「人が死んだ」というのは重みがあるので、「一体なぜ?」「誰がどのように?」と食いついてくるわけである。

  雅太は田舎の実家やら、都会のアパート暮らしやら、職場やらを題材にすれば、何かしら物語ができないでもないような気もしてくる。実際に 雅太のアパートに住んでいる住人は得体がしれぬ怪しいのが多く、「一体何の仕事をして、今どこにいて…」というのが分からぬ輩も多い。 雅太自身がそうかもしれぬが。彼は実家に一泊してきたのであるが、階下の住民からすれば、謎には違いない。

 視点自身が謎なのである。金田一耕助が、一体何で獄門島に来たのか? 一体何で来た途端に殺人事件が始まるのか? 金田一耕助=疫病神であるが、次々に謎を解いていくわけである。もちろん、怪しげな犯人候補が、何人もうじゃうじゃ島にいるわけである。

  雅太は、昔熱中した小説自体が、設定自体が、良く考えてみると非現実的で無理があるような気もしてきた。読者も承知でその世界に入っていくわけであるが、犯人を特定することで自己満足を得たいわけである。読者自身の推理力、頭が良いことの証として。その意味では雅太には、文学とパズルがミックスされているのだと思われた。


  雅太は今、「横溝正史ミステリィ大賞」なるものに応募してみようかと思いつつ、400万円という賞金があるからハイレベルな原稿が集まってくるには違いないと思うのであった。